機動戦士ガンダムにおける「地球vsコロニー」の構図は、そのまま「本社vs地方」に当てはまる。
「会社が地方に支社(支店)を出して四半世紀が経ったところで、本社による地方への圧迫からジオン独立戦争を起こす」となる。
見方をもう少し変えれば江戸時代にも当たる。地方の各藩に不穏な動きがないか江戸幕府は隠密に探らせる。やがて薩摩藩は独自に軍事力を強化して台頭する。
ただガンダムでは、地球連邦軍が最終的には勝つ。どんなに連邦の上層部が腐敗してようがニュータイプの少年の活躍により決着する。
企業でも本社が上であり、行政も東京が上である。野球ではたまに広島や福岡など地方が勝ち、巨人の時代とは言えないが、かといって野球機構の本部が地方に移る訳ではない。
そんな構図も富野監督の他の作品を見ると、別の決まったパターンに気づく。
例えば前回書いた「戦闘メカ ザブングル」の世界では、地球はついに住めない星になって人類は宇宙へ出てしまい、やがて地球を幾分住める環境にして実験的な人類を送り込むようになっている。
同じ構図が「ターンエーガンダム」で、地球は戦争の結果いったん滅び、月に移住した人類が長らく地球を観察する。やがて地球を住めるようにして入植させた人類が19世紀アメリカ程度の文明に達したところで、月の民は地球帰還作戦を開始する。
これらから伺われることは、地方からの本社へのターンである。
本社がいったん瓦解してしまうものの、地方にて生き残った者が帰ってきて本社若手に影響を与える。
ただ両作品とも内容的にはそんなにウケていなかった。多くの人にとっては、連邦の腐敗は当たり前で、反逆したジオンは敗れる話が好きなのである。