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悪政を象徴する結婚と善政への道

 下記スライドは、まだ字句の位置を手直したりしなければならないが、時間的余裕がある間に一度アップしておきたい。

 

 以前つくった循環型社会システムを「輪廻」という名で前編とし、次の中編を加えて新たに「転生」とした。そして最後の後編が「解脱」。輪廻、転生、解脱となる。

 

 仏教でいう輪廻転生とは異なり、循環型社会にどうしても伴う犯罪性を直視し、真逆の「非犯罪性」という概念を今年の夏に見つけ、非犯罪性を大脳や意識、手足を使って実現していくことを「転生」とした。

 

 では解脱とは何か? 苦しみからの解脱? いや、この非犯罪性を実現していけば苦しみではなくなる。

 

 そして、非犯罪性を実現してゆく先に広がる到達点、それこそが極楽浄土、ユートピアということになり、輪廻からの解脱となるのではないか、という構成である。

 

 
 45ページには悪政や失政における犯罪性をまとめているが、確かに歴史上の悪政では、賢臣の声に耳を傾けないし、むしろ遠ざけ、重税を課して庶民を苦しめ、姦臣や佞臣(ねいしん)など賄賂を送る者を近づけている。つまり我欲の向くままになっている。
 
 そう考えていくと、例の秋篠宮家や眞子内親王がそっくり当てはまる。小室母子の疑惑を糾弾する声に耳を傾けず、血税を長年に渡り小室母子に流し、小室圭の甘言だけを重んじて皇室の長い伝統を軽視している。
 
 なぜ上の立場にありながら我欲を通そうとするのか? 悪政を行う王にとって、賢臣という者はなく、皆愚臣と思っているから悪王の勝手な屁理屈で諫言を退ける(偽証の罪)。眞子内親王の言い訳も同じである。
 
 また、悪王にとって国家の収入は大事に使うべき血税ではなく、選民たる自分が思うがままに使ってよいカネであり、足りなければ増税して、納められない者は見せしめとして罰する(恐喝の罪)。
 
 そして悪王たるこの内親王が小室圭を選んだ基準は、甘言で自分が心地よくなったからだが、これは賄賂をくれるから優遇することと同じである(収賄の罪)。
 
 以上、歴代の暴君と同列と言える我欲の通し方だが、皇室は特にそうなりやすいからこそ、自身を律し高めなければならない。
 
 ただこの結婚は現代の悪政を象徴する一例であり、善政を実現する(ユートピア)ためには、ただ良君の登場を待つのではなく、スライドにある通り基幹にある上の者たちが悪政をしにくいように全体も自分を律し高めなければならない。