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黒船ショックとAIショック

  幕末、アメリカのペリー提督が4隻の蒸気船を率いて関東の沖に現れ、開国を迫ると日本中が大騒ぎになった。ちなみに蒸気船は帆でも石炭でも進むことができる今で言うハイブリッド型の船だが、当然漕ぎ手はいらず、日本にはまだその技術は無かった。

 

  この事態に対する各主要人物の対応の違いをここにまとめておきたい。

 

  吉田松陰:黒船に乗り込んでアメリカに行きたいと交渉して罰せられた。

  勝海舟:幕府が買った黒船に幕臣なので乗船し渡米、倒幕を企てた。

  高杉晋作:長州の家臣なので応募し黒船で上海を見聞、倒幕を企てた。

  伊藤博文:長州の下級武士ながら黒船で渡英、帰国後倒幕に参加する。

  坂本龍馬:勝のもとで黒船の操縦法を学び、黒船で武器商人となる。

  西郷隆盛:黒船を持つ龍馬を使い、長州に武器を送った。

  島津斉彬:豊富な財力で黒船を造ろうとした。

  大村益次郎:高い語学力で洋書を読み宇和島にて黒船を製造した。

  大久保、岩倉、木戸:明治維新後、黒船で欧米を見聞した。

 

  このように、黒船ショックはペリーのところで止めてはならない。主要人物は必ず黒船に関わっている。そして高杉晋作の場合は第二次長州征伐の緒戦、周防大島にて幕府の黒船に夜襲を仕掛け、すぐに湯を沸かせず蒸気機関を短時間で稼働させられないという弱点を突いていた。

 

  ひるがえって現代では、「AIショック」という言葉が広がってきている。黒船が既存の船乗りや船大工の仕事を奪ったことと同様、AIも多くの仕事を奪うとの見方があるが、上記のごとく柔軟に対処することが大事であろう。

 

 

価値観が大移動中

  ここ最近のニュースで価値観の大移動を感じる。

 

  新しいものから書くと、今日の山口県周防大島での2歳児発見のニュース。大勢の警察官がまる2日捜索しても見つからなかったのに、大分県からやってきた78歳のボランティア男性が「子供が上に上りたがる」勘から山を登って行き、わずか20分後、700メートル先の沢の付近に座っていた男の子を保護、警察への引き渡しを拒み母親に直接手渡した話に日本中が感動し称賛した。

 

  昨日のニュースでは、徳島県阿波踊りで最も盛り上がる「総踊り」を徳島市長が(赤字対策のため)禁止したにも関わらず踊り子たちが別の場所に集まって実行した。祭りが誰のものかを考えれば市長とはいえ一方的に総踊りを中止することは間違っている。

 

  日大田中理事長と日本ボクシング連盟の山根会長との新アンガールズは、大組織の頂点にいる人の実態がどのようなものか明白になった。

 

  そして先月の西日本豪雨の被災地の1つ、岡山県真備地区は過去に洪水被害があったにも関わらず長年対策を怠り、結果として200名を越える死者と住居や学校の廃墟化を招いた。

 

  その少し前には安倍総理夫妻のモリカケ問題が話題だったが追及しきれずに終わった。

 

  以上の共通点は何か?  従来頼っていたものが実は頼りにならなくなってきており、従来頼らずにいたものが実は頼もしくなってきているという、価値観の大転換である。ネットの影響でそれが瞬間的に大進行することもある。

 

  このような時代では、従来誰からも頼られていない人であっても、自分が良いと思うボランティアや現業を真面目に取り組めば急に良いことがある。一方、従来自分が頼もしいと思われているはずだと思い込んでいる人は、都知事だから頼もしいはず、経営が傾いても社長だから頼もしいはず、警察だから、役人だから、聖職者だから、教師だから、教授だから、市長だから、いずれも身分差をバカにしない方がいい。

 

  徳島の阿波踊りのようなしっぺ返しを受けたり、山口の捜索のように恥をかいたり、岡山の真備のように弁明に追われたり、それから後悔しても追い付かないようなことになる。

 

  希望的観測ではなく、一連のニュースがそれで繋がっており、まだ自覚しないうちにこの流れが今後も加速していくと思われる。

 

 

 

  

鳩山由紀夫や石破茂の人相

  歳をとってからの転職先や転居先で不思議に思うのは、以前に見たことがある顔が多いことだ。そして、顔が似ていると、名前や役職は違っても心や仕草、言い方に似ているところが認められたりする。

 

  それを人相学と言うのだろう。ただここでは、眉の向きや目の形、鼻の高さを詳しくは論じない。そういった人相の特徴を遡ればどこに行き着くかというと、久々に書くが波の問題になるのだろう。

 

  原子や分子よりも先に生まれた、量子という、粒子と波動の両面をもつ存在のことで、音楽も楽器を通じて生まれ、耳を通して脳内で音楽の心地よさを知る。

 

  同じ考え方で、喜怒哀楽や仁義礼智信などの波が、目鼻の形を作り、その顔を見た相手は目を使って脳内で判断する時、「徳が高い顔つきの人だな」と思ったり、あるいはその逆を思ったりする。

 

  だから、整形を施しても言動が低レベルなら、顔つきという印象的なものも結局は低くなる。他方、最初は顔の形が遺伝によるものでも、言動を丁寧に注意してマナーよくやっていれば、波が影響して微妙に顔つきを変えていく。

 

  だから、転職が異業種ではあっても、組織形態が似た会社ならば、社員の顔に前の会社と似た顔が多いことも大いにあり得る。また、本社の指名による公的に重要な業務を任されている人の顔つきと、営業所の軍隊で言えば伍長クラスの人の顔つきとは当然、差がある。言動にもそれは現れる。

 

  最後に、先日中国で「安倍総理は世界の失笑を買っている」と発言して、逆に「日本の恥」と国内から猛ブーイングを受けた鳩山由紀夫について、思い出したことがある。昔まだ自民党の若手議員だった頃に、マスコミが選ぶ将来の首相というアンケートで1位をとった話とともにある週刊誌の巻末に顔写真と人相の記事が載っていた。

 

  すぐに鳩山由紀夫は離党した。すっかりその気になったのだろう。野党に入ってやがて本当に首相になり、「政治は愛」とか頓珍漢な発言をしただけで何の実績もなく退陣。続く菅総理のとき東日本大震災でますます失政が露呈した。

 

  マスコミの罪深さは言うまでもないが、彼をその気にさせたアンケートで票を投じるとき、鳩山一郎の血筋で、ゴツい弟と比較するとハンサムに見えるその程度の基準だったのではないか?  誰もが「宇宙人」と言っている通り、その顔を作っている波動は未知で乱れている。

 

   いまポスト安倍に名乗りを挙げている石破茂。島根の地元がなぜ応援するのかまったく理解できないが、顔つきから受ける印象も全国的には不評だし、言動も軍事オタクだったりコスプレしたりと決してマトモではない。

 

 

吉野源三郎から村田諒太へ引き継がれる正しき精神

 山根明会長が辞任した。

 

 引き金は元アマ金メダリストの村田諒太だという。若者が巨大な老害に立ち向かい、遂に倒したと言える。

 

 最近の休みの日の過ごし方は専らブックカフェだ。結婚前はよく言っていた漫画喫茶も、読みたい本がなくなってきた。地方では結構つぶれているが、ダーツやカラオケなどの他のアミューズメントと合体した店舗で生き延びたりしている。妻子が夏休みで帰省している現在、家や庭の清掃を済ませたら、気になっている書籍を読みにブックカフェに出かけている。

 

 ブックカフェの良いところは、図書館と違い今話題の最新刊があること、買って後悔したり、部屋を邪魔する量となったり、ゴミとなったりすることなく、2百数十円のコーヒー代で1冊まるごと読んでしまえることだ。

 

 呉座勇一著「陰謀の日本中世史」や吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」も、ここで読んだ。

 

 陰謀の・・は、特に「本能寺の変」については以前このブログか別の媒体に書いた内容と全く同じ見方である。あれは陰謀など何も絡まず、単に信長の防衛態勢に隙があり過ぎたことから光秀が攻めていったに過ぎない。本能寺は京都で政務を行う信長がよく泊まった寺の1つであり、泊まる時には主な僧侶は外に出させられたという記述もある。これらの史料を見ず祖先の名誉を優先した明智憲三郎の活動には確かに無理がある。

 

 君たちは・・の方は、帯に村田諒太の推薦文があって驚いた。すぐにスマホを出して「村田諒太  君たちはどう生きるか  山根明」で検索したが、特に記事がヒットしない。

 

 しかし、この本が話題になった3月の時点で彼は読んでおり、その少し後に日大の田中理事長の問題が起こり、そして現在、ボクシング連盟の山根会長の問題が起こって「新アンガールズ」と騒がれている。

 

 つまり、村田諒太はこの本のどこかに特に感銘を受けて推薦文を書き、そして実行に移し、今日の山根会長辞任に至っていると言えるのだが、そこに触れた記事がないので、このブログに書こうと思った。

 

 「君たちはどう生きるか」の構成は明確に数個の部に分かれているので、読者がどの章を面白く思うかは分かれるとおもうが、村田諒太の場合、コペルニクスの箇所やニュートンの箇所でもなく、明らかに、山口や黒川のような「苛めっ子」の話を注目したとしか思えない。

 

 現実に、山根明は山口や黒川であり、北見が村田である。北見は勇敢に立ち向かい、殴り合ったりするが、主人公の本田コペル君は足がすくんでしまう。しかし後で激しく後悔し、叔父にそのことを相談し、お詫びの手紙を書く。ネタバレになるのでこれ以上書きたくはないが、山口や黒川は結局そのままでは終わらずに制裁を受ける。

 

 著者の吉野源三郎がこの本を書いた少し後、第二次世界大戦が発生し、敗戦後、焼け野原から日本を復興させた主な中心は、吉田茂三木武吉らの下で積極的に動いた、池田隼人や佐藤栄作らの若手官僚出身の政治家たちだった。

 

 そう考えると、吉野が伝えたかったことは、戦前すぐには現れなかったものの、戦後の若者たちが、先輩の公職追放後に主導権を握った時に十分に発揮されたのだと思える。

 

 そして現在、あの時と同じ不安に包まれた国内の雰囲気の中で、池上彰が推薦し、漫画家され、ベストセラーとなり、我が子も読むか分からないが親たちが子供らの目の届くところにこの本を並べ、いつか読み、やがて今の村田諒太のように老害たちに立ち向かったりするのだろう。

 

 立派な人間とは何か? 簡単には言えない。しかし、新入社員を苛めるベテラン社員、引っ越してきた住人を苛める村八分、そういった現象を黙って見て見ぬフリをするのではなく、しっかりと声を上げて改善する人間は確かに立派である。

 

 このような内容が「君たちはどう生きるか」であり、共鳴する読者の多さは事態の深刻さを表す一方で未来への希望にもなっている。いまだ苛めっ子となっている学生や社員や住人はこの本を読んでいない。

 

 最後に大河ドラマ西郷どん」に触れておくが、この主人公もそういった他人の痛みが分かる人物である。

 

厄介な説教好き

隣人愛を説いたというキリストだが、特に定住することなく一生放浪していたので住民としての隣人はいなかったはずだ。誰もが隣人とうまく付き合えれば定住が続いて苦労することはない。

 

私の曽祖父には5人の男子が生まれたが、上の4人は皆どこかに行き、店を開いたり独立して、結局5番目が跡を継いだことが謎だった。しかし、同じ部落内に非常に性格に難のある住人がいたことが原因ではなかったかと最近思えてきた。

 

この家は十何代も前から立場が上のため、威張っており、酒が入ると長時間の説教をする。これがため祖父の長男、つまり父も公務員をやめて60キロ南の工業地帯に引っ越し、祖父の夫婦も山や畑を残し晩年は父の世話になったのではないか? 社会学では単に国家の政策で多くの国民が太平洋コンビナートに移動したと説くが、実際はこうした厄介な隣人が主要な原因ではないのか?

 

厄介な隣人は大昔からおり、民族大移動の原因も食物を求めてだけではなく、これもあったかと思われる。

 

なぜなら、厄介な隣人の存在は解決が容易ではないからである。家を捨ててどこかに引っ越せば良いかもしれないが多額のカネがかかるので、結局は我慢する。そしておとなしい末っ子が残ったり、独立心ある子は他所へ移っていく。

 

田舎暮らしに憧れて都会から地方に引っ越した人の話の多くも、前から住んでいた住人からの虐めを受けて住み辛くなり、再度引っ越して移住者同士が暮らすコミュニティの中に入ってようやく解決したりする。

 

私も、この厄介な住人が高齢ではあれどいつかいなくなったら、田舎での暮らしも悪くないと思っている。ただ非常に元気でいつまでも憎まれ口を叩いているようだが。

 

会社にもいる。調べてみると、長時間の説教好きな人の心理は寂しがり屋で決してまともではないらしく、嫌な顔でもすれば敏感に感じ取ってさらに拍車がかかるので、嘘でもおだてるしかないらしい。

 

弁護士によると、30分以上かける説教はパワハラになるというが訴えて有罪が確定する例は少ないだろう。

 

 

良い状態を原因とする悪い状態の話

今さらながらサッカー日本代表のことを書く。

 

言うまでもなく、予選突破後の公式試合で、日本代表は長らく試合で勝てないでいた。このままではワールドカップ本番でグループリーグ3連敗は免れないと思われていた。

 

日本代表の主将は長谷部誠。ベストセラー「心を整える」の著者だ。その長谷部の考え方をもってしても、日本代表は最悪の状態に陥っていた。

 

本ブログも良い状態にもっていくことを考えていく部類に属する。メインサイト「ツインサイバーシステム」にその詳細は書いた。しかし最近、良い状態の維持継続の難しさを覚えてきた。

 

良い状態に至れば、当然ながら思い上がる。己惚れる。そうなってはいけないと思いつつも、良い結果を羨む声や恨む声、更には権力の持ち主からは過重な負担を新しく強いてきたりする。そして良い状態の維持継続が難しくなって、悪い状態に徐々に陥り、悪い結果を出してしまう。

 

日本代表も同様で、本戦出場決定後に羨む声や妬む声など様々な雑音が響いてきた。そして、テストマッチで敗戦を重ねるたびにマスメディアやサポーターから非難の嵐が吹いてくると、いかに心を整えても心を整えきれなくなってくる。

 

今振り返れば結局、ハリルホジッチ監督から西野監督に交代したことが良かったと言われているが、それが全てではなことは誰もが分かっているし、今後も本戦直前に監督を変えれば済む問題でもない。

 

ただ、長谷部なりにチームを叱咤激励して予選突破しても、その頂点が即、次の己惚れや嫉妬、雑音に変わり悪い状態に否応なく陥っていけば、いかに長谷部がもがいても簡単には良い状態にもっていけない。

 

どうしたら良いのか? 優勝国フランスや準優勝したクロアチア、3位のベルギー、これらの国は見ているかぎり良質な盛り上がり方をしていて、日本のような足を引っ張る雑音はなかったと考えられる。予選敗退したドイツや韓国にはあったと思われる。

 

意図的かどうかは別として、ハリルホジッチ監督の突然の解任は一種の事故が起きたようなものだった。人は事故や発病で心の中が瞬間的に変わる。家族が一致協力したり、縁遠くなっていた知友が見舞いに来たりする。

 

日本代表も、良い状態を原因とした悪い状態が、この事故で再び良い状態に変わった。

 

では、この話から現在悪くなっている状態も事故が助けてくれるのかというと、事故はやっぱり嫌なものだ。出来れば起きてほしくない。事故事例を参照してもそれだけでは足りない。

 

少し結論が書きにくくなってきたが、まとめれば、

 

・良い状態にもっていくことは大事だが、良い状態を原因とした悪い状態が発生する。

・そのメカニズムは良い状態に対する驕りや己惚れ、嫉妬、羨望などである。

・そして悪い状態に陥るとなかなか元には戻らず、例えば事故が発生することでリセットされる。

・しかし事故を起こせば良いという訳ではない。

 

ならば、この良い状態を原因とする状態の悪化という事実をもっと共有する、という方法がある。分かりやすく言えば賢くなれ、てだけの話だが。

 

W杯出場決定後のハリルホジッチ監督に対して、威張りやがって生意気な、という日本サッカー協会の複雑な感情は確かにあり、それが不振を契機に解任へと至った。ハリルは就任後すぐJリーグの低レベルさや選手の体脂肪率の数値など批判したものだった。面白かろうはずがない。ただその批判を真摯に受け止めて、協会と監督が協調すればこうはならなかった。

 

今度日本人の監督は協会とそんな対立は起こさないと思うが、勝利後に己惚れたり羨まれたりして不協和音が生じれば、良い状態の維持は困難になるだろう。

 

 

 

 

 

 

(西郷どん) 史実以上の真実を演じきっているドラマ

 大河ドラマ西郷どん」は、一度でなく何度も見返すことをお勧めしたい。

 

 特に後半の展開は、1つの言いたいことを中心に進行しているため、見返すと伏線やその回収を含めその要旨がよく伝わってくる。

 

 言いたいこととは何か? たびたび出てくるキーワードは「革命」。西郷は革命家として島から戻ってきた。

 

 しかし、現代の多くの視聴者にはこのキーワードそのものがよく理解できていない。革命? Tシャツにプリントされているキューバチェ・ゲバラのことか? そもそも西郷はあんなイケメンではない。

 

 そして日曜日に一度見ただけで先を争って感想を書き込みたがる。上から目線で「もう夏なのにまだ禁門の変では幕末の大事なポイントが端折られてしまう」に多くのいいねが押されていたりする。今回の大河、ヤフコメが非常につまらない特徴も目立っている。

 

 原作者・林真理子がどこまで革命を思って書いたかというとそこは怪しい。「男からも女からもモテた西郷」と言ったりしていたからだ。ところが、戦国でも源平でもなく、順番的に幕末で、では西郷でもやるかとなったところで、現代のある流れが影響してきた。

 

 今日の記事にもあった、シャープが白物家電の生産を国内の工場で行うことを終了させると。すでにパナソニックは全て海外に生産拠点を移しており、シャープはまだ粘った方なのだが、それでも日本が誇っていた高度な工業力が海外に敗れていく現実をまざまざと見せつけられた。

 

 そんな時代に放映される大河ドラマ西郷どん」。江戸幕府が現代の何に重なって見えるかは自明だろう。

 

 勝海舟のセリフ、「もう幕府なんざ、見限るこった」。

 

 現代に例えるなら、「もうシャープなんざ、見限るこった」。

 

 いや、シャープだけではない。ただトヨタや三菱、自民党などの伝統全てかというと、それも違うと思う。

 

 日大の田中理事長や、日本ボクシング連盟の山根会長、これは該当し得る。「もう山根なんざ、見限るこった」

 

 そして村田諒太が立ち上がった。330名の署名が集まった。これも1つの「西郷どん」現象である。

 

 革命家としての西郷は、NHKが意図していなかったかもしれないが、視聴者の多くにそんな革命劇の流れを潜在意識に植え付け、さらに一部の若い視聴者には将来の現代的な革命家の種を植え付けたことだろう。そう思う。

 

 坂本竜馬が西郷を評して言った有名な、「大きく打ったら大きく響き、小さく打ったら小さく響く釣り鐘」という言葉を、ドラマでは先ず竜馬が小さく打ち、勝海舟が大きく打つ様子を描き、更に勝が竜馬に、「大当たりだが、小さく打ったお前はまだまだだな」と笑う。今まで読んだどの本にもそんな描写まではなかったが、確かに竜馬の名言をこれ以上ないかのように再現させた。

 

 そんな史実以上の真実を、役者たちは見事に演じきっている。