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(真田丸「幸村」) 家康の狩りが始まった

 昨夜の「真田丸」。ちょっと戊辰戦争を思い出した。

 

 三谷幸喜が脚本を担当した前回の大河「新撰組」でも、秋口から江戸幕府新撰組が崩壊へ向かう。戦国と幕末の違いはあれ、栄華から悲哀への流れは似ている。

 

 戊辰戦争の皮切りは上野寛永寺に立て籠もった約3000名の幕府残党の武士を官軍諸隊が包囲する上野戦争だった。長州の天才軍師、大村益次郎は緻密な包囲網を敷きながらも東北地方へ抜ける逃げ道だけはあけておくことで早期に勝負を決め、江戸を焼け野原にすることを防いだ。(江戸開城を西郷に交渉しながら裏で逆転をはかっていた)勝海舟も呆気にとられたらしい。

 

 同様に「真田丸」で関ヶ原の合戦に勝った徳川家康も、日本国内全体を戦国の焼け野原に戻さないよう最低限戦場を大坂の地だけで済むよう考えた。

 

 (戦上手な)真田父子の流刑地を宇喜多秀家のような八丈島にしても勝手なことをするし、関東東北も江戸に近く危ない。だったら関西の紀伊九度山で、大坂に駆けつけやすいようにしておく、としたのではないかと以前書いた。

 

 こうして昨夜、幸村は九度山を出て風雲急を告げる大坂に行くことを決心した。それはあたかも、幕末に東北へ北海道へと北上する新撰組や幕府残党とも共通する状況と心理である。為政者は合戦の地を特定のエリアに限定しようと追い込む。幸村や新撰組や残党や浪人はその土地に追い込まれる。やがて包囲殲滅させられる。狩りの手法でもある。

 

 戦上手な真田昌幸が死の直前に尾張(愛知県)へ攻めろとか琵琶湖畔の瀬田や京都南部にある宇治の橋を壊せとか二条城を焼き払えと言っていたのは、家康の追い込み方を知っているからこその広範囲作戦なのだ。しかし現実は大坂城籠城と軍議で決まってしまうが・・・。

 

 現実の幸村も、方広寺の鐘事件で徳川が豊臣を追い込もうとしていることを知り、うずいた、そして駆け付けた、さらに尾張への進撃を提案し全国規模の騒乱を画策した。(➡軍議で否決)

 

 ドラマでの幸村は、方広寺の鐘事件で徳川の狙いまでは分かってもすぐには立ち上がらず、ぐずった。これは側室とも言われる高梨内記の娘(名前は霧隠才蔵からとって「きり」)に背中を押させる演出上の事情もあり、実際昨夜の番組ツィートは長澤まさみ演じるきりの評判が上々だったが、やはり視聴者目線に合わせ過ぎだ。

 

 現代でも、気に入らない敵や相手や社員を窓際や閑職、あるいは地獄ポストに追いやっていき、転職や労基、裁判という限定された逃げ道へ走らせる手法がある(D通は最悪の展開になった)。最近ではSNSへの投稿から炎上という道も加わったがその効果には当たりはずれがある。

 

 豊洲市場移転をめぐり都庁相手に真相究明を掲げる小池都知事も攻めあぐねて止まったままになっている。追い込むにはまだ敵勢力が大きい。共産党の言い分ばかり聞くと自民出身者らしくなくなるし、難しいところだが与党内で味方になる者を増やし連携して敵を絞り(小さく限定し)、包囲していかなければならない。