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外来種による害から守る新哲学

 新しい哲学か何か、国家哲学みたいなものを考えるには、人によって様々な入口があるとは思うが、1980年代から今も続く新自由主義を超克しなければならないことは確かだ。

 そのためにはイギリス経験論哲学まで遡る必要性をこれまで論じてきた。

 具体的には18世紀イギリスの哲学者、ヒュームが唱えた「類似、近接、因果の観念連合」まで遡るということだが、そこに「相違、遠隔、意外の観念分断」を対置する。なぜなら、より良い観念連合を促進するための「小さな政府論(規制緩和)」ではあるものの、実際は問題が多く、より良い観念連合の裏にある、より良い観念分断をも見るべきだからだ。その重大な意義に気付いた人は世界中にまだ誰1人いない。

 分断とは、一般に取り込むことを行う際に意義がある。句読点で区切ると読み取りやすいし、包丁で切り分けると摂取しやすく、群衆をうまく分断すると一度に入れるより安全無事に入場させられる。

 逆に連合は、やり方、技術、方法、ハウツーを学ぶ時の体系であり、製造し組み立てる時の連合でもあり、公衆を組織する時の国際連合欧州連合でもある。

 今までの時代は、ヒュームから始まる連合のみを見過ぎていた。ヒュームは人間とは「知覚の束」に過ぎないとまで言った。それは一方の観念分断に気付いてなく、太くなる一方の単なる束ではない。

 取り込む際は分断、それを連合するものの、再び取り込まれやすいよう分断する、この繰り返しである。

 新自由主義は、より良い観念連合を促進するために小さな政府論を唱えたが、それは多国籍企業が活躍するためでもあった。TPP多国籍企業を潤わせるために国家の壁を縮小させようとしたが、各国の内政や内情に踏み込み過ぎて生活が壊されるのではと懸念されている。

 結論だが、より良い観念分断を促進するための「多国籍企業や国際金融の権限縮小化」というものも一方であり得るのではないか?と提唱する。

 人々の生活を妨害しかねない外来種(湖のライギョのようなもの)の脅威を小さくすることは、連合を弱めることでもある。雑多なものをシンプルにスッキリとする事でもある。

 もちろん分断のみでも良くないし、連合のみとか、どちらか一方に偏るべきではない。新自由主義だけではなく、バランスをとれと言いたい。