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「坂の上の雲」の見方

  司馬遼太郎著「坂の上の雲」全8巻は、四国松山を出身地とする秋山兄弟と正岡子規の3人を中心に日露戦争の時代を描いた群像劇という見方が一般的だ。

 

 しかし初期の主役だった正岡子規が病没した後は、延々と戦争描写が続き、読者はこの大戦の一兵卒となってただただ戦場から抜けられなくなってゆく。それが面白いかというと、あまり評価する声を聞かないし映像化されてもあまり詳しく描かれていない。

 

 では読まなくて良いかというとこれももったいない。それこそこの戦争の最も素晴らしいところを正確に伝えるための長々とした描写なのだ。

 

 普通、戦争といえば死者数が多い方や逃げた方を負けとする。なのにロシアという国は、ナポレオンやヒトラーを相手にした時も、漸次敗れつつジワジワと引いていき、最後はモスクワの内陸部で敵を寒さとひもじさで圧倒する。

 

 この戦法を日露戦争でもロシアはとり、日本は各会戦で勝ち進みつつも決着はつかず引き込まれていった。さらに恐ろしいことには、ロシア軍はシベリア鉄道を使って尽きることなく兵力を補充できた。

 

 日本は勝っても勝っても新たに大軍を迎える連鎖地獄に陥った。その展開に果たして日本はどう勝つのかと気が遠くなってゆく。

 

 現代人ももし辛いことがあれば、この大戦の地獄と比べてみるとよい。

 

 この大戦ほど地獄なことはないと思う。

 

 ただしどういう訳か日本が最終的には勝った。

 

 

 

 

(直虎)合戦中に碁を打ってる場合か!

 史実の堀川城の戦いは凄まじく、武士だけでなく民の犠牲者も多かったという。その理由を脚本家は今川方の猛将、大沢が民を盾に使ったからだとした。それに抵抗したのが龍雲丸。しかし龍雲党は酒井忠次の軍勢の前に壊滅した。

 

 その間(かん)、主人公直虎は政次を失ったショックで方針状態にあるとして一切関わっていない。良い筋立てだ。

 

 この酒井忠次は後に井伊直政本多忠勝榊原康政とともに徳川四天王に列するものの、どうも器の小ささが目立つ。そもそも家康が小さい。

 

 合戦の最中に陣幕で碁を打つシーンは前回の真田丸にもあったが、実際そうなのか? 大きな地図を広げて重臣と書き込んだりするならまだ分かるが。碁を打つのはどうも違和感がある。現代の企業でもそうなのか?

 

 現場で必死に戦う社員と別に、現場とは別の所で別のことに興じる幹部。そんなふうに見える。

 

 もちろん史実の家康は違うはずだ。

 

 

 

(直虎3)影の主役は家康(とマッカーサー)では?

 今回の神回について更に考えてみた。

 

 実際の徳川家康は絶対に阿部サダヲのようなキャラではない。もっと凛々しく、海道一の弓取りと呼ばれる猛者。その家康が、井伊谷を直虎に治めさせるため小野政次を処刑したと考えられる。小野も家老として直虎寄りであり、今川を欺くため一時的に城主になったかもしれないが、小野を処刑することで家康は直虎復帰を周囲に納得させたと。

 

 一方、前回書いたA級戦犯たちは本当はもっとヘタレかもしれないが、マッカーサー昭和天皇に日本を任すため東條英機らを処刑した。この構図は同じである。

 

 家康やマッカーサーは小国だが重要な国の領主にはそれなりに民が納得する者を据えたいと思っている。

 

 現代の日本や韓国のような小国も同じかもしれない。

 

(直虎2)東京裁判のA級戦犯と小野但馬が重なる

 ABCD包囲網により(アメリカ、ブリテン、カナダ、オランダ)追い込まれた昭和初期の日本。石油も止まり、松の木の油で代用してバスを動かす当時。

 

 小国井伊と同様、近藤のようなソ連や中国に狙われる日本の国土を守るため、敗戦直後の軍部はあえて、昭和天皇の意図とは裏腹に日本を乗っ取っていたと主張し、本来の天皇に日本を返しますと宣言した。アメリカは東京裁判を開催して彼らをA級戦犯として処刑、天皇の名誉が回復された。

 

 今回の「嫌われ政次の一生」、どうも東條英機ら忠実過ぎた軍部首脳に重ねて見えてならない。

 

 お陰で戦後日本は、昭和天皇を中心に高度成長期を迎え躍進、アジア・アフリカ各国は西欧の植民地から脱して独立、その真実を知っている一部の政治家は今も靖国神社に参拝、まるで小野但馬を祀っている浜松市民のように。

 

 小国を守るためにはそこまで犠牲が必要なのだ。

 

 小野但馬の死に様に涙腺崩壊した人々は、A級戦犯の彼らの死に様も改めて見直してもらいたい。

 

(直虎)2人で大国同士の争いから小国を守った回

 まさに絶賛の嵐。

 

 前々回の視聴率10%や前回の視聴率12%を報じた記事が今回の絶賛コメたちで吹っ飛んでいったかと思う。

 

 冷静に考えれば、近藤がそこまで悪なのか、小野の処刑は史実とはいえ本心がドラマ通りだったのかという疑問はある。しかし大河の脚本家は書き進むうちに直虎が刑場でお経を読むのではなく槍を奪って突き刺す方に筆が運んだという。

 

 確かに納得のいく流れだった。

 

 以上は多くの視聴者とほぼ同じ感想だが、ここに加えて江戸を日本の首都に定めた徳川家康井伊直虎がどんな影響を与えたのか書いておきたい。

 

 ご存知の通り、江戸時代初期の日本は世界の中では小国で、まさに当時の井伊谷みたいなものである。その日本を預かる初代将軍家康は、直虎と同様に関東平野を産業化して経済を活性化し、対外交渉では没落する今川家を見限ったように東アジアよりもヨーロッパと結ぶようにし、キリスト教による侵食には敏感に禁止令で対抗した。

 

 江戸幕府を開設して改めて井伊直虎の苦労を思い出し、そして直虎のように強いお福を乳母に迎え春日局として大成した。

 

規律が高い軍は強いが勝負を決めるのは非常識さである

 武田信玄織田信長の強さは軍の規律の高さがあってである。

 

 それは応仁の乱の規律の低さの逆をいき、源義経の源氏軍の規律の低さへの嘆きを参考にした。信長はその規律の高さで京都をきれいにした。

 

 現代でも規律の高い企業が成功する。大企業でも規律が低いと失敗する。

 

 しかし、規律が高いだけでは勝てない。勝負を決めるのは常に、相手が予想もしない奇天烈な常識外な奇襲や夜襲、作戦、技術である。それも規律を知ってこその非常識だが。

 

 弱いのは規律が低く、かつ常識の範囲内の戦いしかできない軍である。

 

 ところで、北朝鮮に脅威を感じるのは規律の高さと従来にない戦法なのかもしれない。我々も規律が低いままで、既存の知識のままではまずい。

 

 日米は規律の高い連携のとれた軍事訓練を行い、北朝鮮の上を行く新しい戦法を繰り出して圧倒した方がよい。

 

マテオ・ファルコネと現代社会

 20年前にある財界雑誌の対談の中で、社長同士が「マテオ・ファルコネ、あれはいいね」「確かに、あれはいい」と盛り上がっている作品を知った。1人は東京電電の平岩外史会長だった。

 

 「カルメン」の作家としても知られるプロスペル・メリメの短編作品集「エトルリヤの壺」(岩波文庫)の中にそれはあった。詳細は実際に読んだ方が良いが、ネット上でも知ることはできる。

 

 作者のメリメはあるとき、地中海の一地方で起きた元マフィアの男が息子を処刑した事件を知って興味を持ち、それを作品にした。社長たちはそのどこを評価したのか。人命をあまりに軽んじた話で、読後はどうも違和感しかなかった。 

 

 20年後、仕事で敵前逃亡した部下を捕まえて目の前にした。戦争なら即銃殺刑とウィキペディアにもある。本人は敵の大軍を前に逃げることは悪くないと思っている。しかし全員が向かっていく中では、やはり公開処刑しかないように思う。

 

 ただ現代社会は、働きは悪いのに有給を申請する人が多く、敵前逃亡の予備軍はまだまだ多いと思う。公開処刑に効果はないかもしれない。マテオ・ファルコネは、それが一人息子であっても木にくくりつけた。そして「祈れ」と言って引鉄を引いた。泣きわめいて反省しても聞かなかった。

 

 そんな価値観を平岩は評価したが、日本経済の成長期は終わり、今や顧みられなくなった。しかし、大勝負を前にしては再び、この価値観を必要としなければならないような気がする。