史実の堀川城の戦いは凄まじく、武士だけでなく民の犠牲者も多かったという。その理由を脚本家は今川方の猛将、大沢が民を盾に使ったからだとした。それに抵抗したのが龍雲丸。しかし龍雲党は酒井忠次の軍勢の前に壊滅した。
その間(かん)、主人公直虎は政次を失ったショックで方針状態にあるとして一切関わっていない。良い筋立てだ。
この酒井忠次は後に井伊直政や本多忠勝、榊原康政とともに徳川四天王に列するものの、どうも器の小ささが目立つ。そもそも家康が小さい。
合戦の最中に陣幕で碁を打つシーンは前回の真田丸にもあったが、実際そうなのか? 大きな地図を広げて重臣と書き込んだりするならまだ分かるが。碁を打つのはどうも違和感がある。現代の企業でもそうなのか?
現場で必死に戦う社員と別に、現場とは別の所で別のことに興じる幹部。そんなふうに見える。
もちろん史実の家康は違うはずだ。