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他者との状態(動画で自説を書いてみた3)

 次は、“社会学の父”コントを参考に他者との状態の変化を追う。

 

 これも前々回、前回と同様に7つの心機能が関与する。

 

 まずは見知らぬ人といる自由段階を基に遭遇し、危機を感じ各々なりの感覚で防衛する。

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 次に、前もって防ごうと対策を講じ、予防する状態が続く。

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 そして、約束を結び共存関係となる。共存に基づいて会う場合は遭遇と言わず会合となる。

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 会合から順応していき、各々なりの感覚で服従するも、自由を取り戻すために策謀し、反抗する。

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 反抗が成ると征服へ進み、自由に至り一巡する。

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 自由には権利が対応し、次に権利の行使、更に圧迫して危機を対応させる。

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  圧迫から攻撃し、防衛させるも、防衛側が対策を講じると、用心から防具ができていく。

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 一時的な防具に留まらず、永続的な法規に進むと、義務に至り、義務の遂行が続き、拘束していく。

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 拘束は強制となり相手を服従するも、策謀され反抗に進むと、隙間が生じ武具ができ、征服に領土が対応する。領土を得て権利に至る。

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 こう見ると、共通項として「7つの心機能」関与の他に、「2つの極態」、「2本の環(わ)」、「状態の過程(が4本)」などが挙げられることが分かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

経済の状態(動画で自説を書いてみた2)

 

  今回は経済人の状態に潜む隠れた法則を追う。「近代経済学の父」アダム・スミスが発見した、あの経済人のことである。目の前の対象は全て経済的な資産や資材ではあるが、前回同様に7つの心機能が関与することがわかる。

 

  まず、手持ちのものが変わって腐ってしまったため各々なりに補おうとする場合、

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 次に、取引して交易する場合、

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  包みを開け資力となし、造っていく場合、

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例えば爪や髪がのびたので余分に思って切り、合理化が済むと投資へ踏み出す場合、

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生産、消費して所得となし、一巡して変容、不足へと展開する。

 

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 反応心機能が関わらないと財産が対応、直感心機能が関わらないと分布が対応、感覚心機能が関わらないと補充に展開せず格差と対応。f:id:reigan3941:20180325102413g:plain

 格差から次段階の商品が生まれ、取引、交易に伴い離合集散する。

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 利益を得て資本となると、その成分が問われ、偏らせていく。

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 成分の偏りから次段階の道具へと至り、投資・生産・消費に伴い、中心・伝播・周辺が対応し、財産へと至る。

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 結論として、この経済的な人間の状態にも前回と同様、7つの心機能が関与する。個人的には、商品と道具の対称性が一番気に入っている。

 

 

  

 

動画で自説を書いてみた

 1989年頃、人間の状態に潜む隠れた法則性について考え、4年後、本に著したことがある。その面白さをなかなか理解されないまま現在に至るが、これを動画ソフト「9VAe」で再度解説を試みたい。

 

 科学には「状態遷移」という分野があるが、物質だけでなく人間にも状態の変化は認められ、これを数値ではなく適切な単語を当てていくことで理論を組み立てていく。

 

 1.まず、状態の変化を単一の公式で考える。「基本状態+心機能→次段階の状態」に展開する。例えば「私と花とが存在」+「目や視神経などの反応心機能」→「目撃状態」。そこに「花が美しいという直感心機能」→「興味状態」。「百合の花だ等の感覚心機能」→「認知状態」。

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2.花を見て「なぜこの山中に咲く一輪の百合の花に心奪われたのか?という思考心機能」→「理屈を練る状態に展開」。「そうか!と閃く霊感心機能」→「理屈の応用状態」。

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3.「そのアイデアをもって維持する心機能」→「(情報の)処理状態」。「脳内に収める知識心機能」→「認識状態」。「筋肉や骨格などの反応心機能」→「作動状態」。

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4.「こう動いた方がよい等の直感心機能」→「分裂状態」。「整った動き方を身に着ける感覚心機能」→「独立状態」。というように同じ心機能が働いて状態を展開させ、さらに、一人前になった後により主体的な姿勢になろうと「思考心機能」が関与し→「逆転状態」。そして「霊感心機能」が働くと、応用と対照的な「創造状態」。

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5.創造状態をまとめようと「維持心機能」が働き「協同状態」。最後は「知識心機能」に収め「存在段階」で一巡し、「目撃」や「興味」へと「循環」する。(=状態には端がない)

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6.もし「反応心機能」が存在段階に関与しなければ「幻想」と対応。つまり見てなく夢の中。次に、目撃状態に直感心機能が関わらなければ「外見」(形や色)と目撃が対応。そしてセンス、感覚心機能が働かなければ花に興味を持つだけで名前も分からない「暗示」と対応。

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7.花の名前は分かっても思考心機能が働かなければ、「認知と見解」との対応。思考しても霊感が閃かなければ思い悩むだけの「理屈と因果」の対応。そして閃いたままで終われば「応用と近接」の対応。つまりアイデア止まり。

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8.最終的に処理すれば完成だが、現実化の一歩前で終われば「疑似現実、類似」止まり。現実には対応しても何も動かなければ「現実と認識」の対応止まり。(幻想と現実の対称性) たとえ動いても思いが伴わなければ「応接と作動」止まり。思いが伴ってもセンスが整わなければ効果音等の「明示」に振り回されるだけ。(暗示と明示の対称性)

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9.一人前になっても主体的な思考がなければ「権威と独立」止まり。踏み出してもさらに前に走らなければ「意外」止まり。創造的になってもまとまろうとしなければ逸脱して「遠隔」止まり。(近接と遠隔の対称性) まとまっても最終的な存在へと至らなければ、メダルや賞状を受け取る「相違」止まり。最後は納得のいく夢(幻想)の達成で一巡する。

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10.内容的には当たり前なことをただ順序と対称に気をつけて整理しただけとご理解いただきたい。詳細を知りたい方はメインサイト「ツインサイバーシステム」をどうぞ。

 

 

 

 

 

“続編希望”が増えた民、減った官のドラマ

  今日最終回の石原さとみ主演「アンナチュラル」。視聴後ネットを見ると、“続編希望”のコメントが多数書き込まれていた。一見、沢口靖子主演「科捜研の女」と似ているが、こちらは警察機関の内部ではなく民間のラボが舞台。現実にはない架空の設定である。

 

  一方、昨日最終回だった木村拓哉主演「BG」も、警察のSPではなく民間のボディーガードを描いており、こちらも“続編希望”の書き込みが多数だった。今の時代、クニよりも民間の方がウケが良いのか?

 

  確かに、例えば社会保険の加入を厳しく企業に求めるのは老後の問題を官よりも民間に負わせる意図があるからであり、障害者手帳を持つ人を雇用する企業への優遇措置も民間にシフトしている証拠である。

 

  そして官の代表的機関である財務省からは、現在自殺者が続出したり公文書改竄が次々と報道されたりと、官のイメージが相当悪化していっている。

 

  ドラマの分野は時代に敏感だからか、今や警察を格好よく見せても非現実的過ぎ、相棒やハンチョウも続編を見たい声が少なくなった。時代劇の大岡越前水戸黄門も同様。

 

  逆に、民間の元気のある企業に焦点を合わせると、陸王もそうだが反響が大きくなる。自由度の差か、人材の魅力か、時代の流れそのものか。

 

 

 

(北朝鮮) 理想の包囲方法を家康で解く

  昨日、米朝会談を5月までに行うニュースが飛び込んできた。

 

 アメリカを中心にした包囲、経済封鎖に北朝鮮が降伏したようには見えない。

 

  ここで大規模な包囲について徳川家康の先例を見てみよう。「小牧長久手の合戦」を前に、当時5か国の太守だった徳川家康は、敵対する大坂の羽柴秀吉に対し包囲環を形成しようとした。

 

  包囲網と言わず包囲環としたのは、東西南北の諸将で環状に包囲するからである。家康は、尊敬する武田信玄が安土の織田信長に対し東西南北の包囲環をつくったことに学んだ。東(武田信玄)、西(毛利氏)、南(大阪本願寺の賢如)、北(浅井朝倉氏)。すると信長は、旗印の足利義昭を京都から追放し、東(徳川家康)、西(羽柴秀吉)、南(丹羽長秀)、北(柴田勝家)らを派遣し対応させたものの、中央が空洞化したため、義昭の元家臣だった明智光秀に本能寺にて討ち取られた。

 

  小牧長久手の戦いを前に形成した対秀吉包囲環は、東0(徳川家康)、西0(島津氏)、南0(長宗我部氏)、北0(佐々成政)だった。すると秀吉は、信長のような派遣隊は作らず、東西南北で小競合いを起こさせた。東1(真田昌幸)、西1(大友宗麟)、南1(十河そごう氏)、北(上杉景勝)、信州上田合戦の東0対東1など、各地の小競合いで包囲環を揺さぶる一方、家康が反秀吉の大義名分とした旗印、織田信雄が懐柔され、勝負はつき、家康が秀吉の軍門に降った。

 

  秀吉没後、今度は関ヶ原の合戦を前に石田三成が対家康包囲環を形成しようとしたが、家康は秀吉の方法を真似てこれを崩すことに成功した。東0(上杉景勝)に対し東1(伊達政宗)を対戦させ、西0(黒田官兵衛)に対し西1(加藤清正)の九州小競合い、南0(毛利氏)に対し南1(藤堂高虎)の四国小競合い、北0(丹羽氏)と北1(前田氏)の間では浅井畷の激戦が起こり、関ヶ原で勝った家康は旗印の豊臣秀頼大坂城に封じ込めた。

 

  15年後の大坂の陣では、全国の大名の軍勢を関西に集めて包囲し、豊臣方にこの包囲環を崩す余地を与えることなく滅ぼした。

 

  しかし、家康没後の島原の乱では若干失敗する。大名連合軍を北九州に集めるも大将の板倉重昌は戦死。次の大将となった戦経験に乏しくも知恵伊豆の異名をとる松平信綱は、原城の沖に外国船を呼んで大砲を撃たせた。これがキリシタンに与えた心理的衝撃は大きかった。なぜなら同じキリスト教として諸外国の船が必ず原城を助けに来て徳川連合軍を蹴散らすと見込んでいたからだ。

 

  大坂城と違い原城が持ちこたえた理由も包囲環崩しの一種と言えるが、今回の北朝鮮包囲環も、東0(日本の安倍)に対し東1(韓国の文)を小競合いさせ、西では中国の習をドイツに近づけてイギリスを牽制し、南はイスラム国、北はロシアのプーチンと、決して一枚岩の包囲環になっていない。

 

  そんな状況下での非核化表明、米朝会談は決して油断がならないし、日本国内もいまだにモリカケ問題で小競合いが続いている。

 

 

 

 

進路を誤らない為には正しい分析が重要

  最近、分析を間違える例をよく見掛ける。

 

  業績の良い支店の原因が課長にあるのに店長だけを評価し出世させて結果が悪化したり、客先が評価しているポイントに気付かずに客先が評価しないポイントをアピールしたり。

 

  分析を間違えると、当然、進路も間違えてしまう。正しい分析ができている者は、進路が間違えていることに気付いて修正すべきとは思うものの、分析の誤りを指摘することが難しいため結局は黙ってしまい、被害を最小限に抑えることや、自身や周囲の安全をせめて考えるようになる。

 

  このような例は各所に見られるものの、どうしても看過できないもっとも目立つ危険がある。それは現首相の安倍晋三の後任が全く見当たらないことである。安倍がライバルや若手の台頭を妨害している訳でもないのにいない。由々しき事態である。

 

  これは最近の日本の価値基準が間違ったまま分析や評価を続けてきた結果に違いない。民間企業でもソニーや日産、マクドナルドなど社長人事を誤って下降したり、反省修正して業績を回復する例が多い。

 

  政治世界においても、深く広い教養と現場感覚、面倒見の良さこそ大切なはずが、家柄や学歴、英語が流暢、顔がいい等、悪く言えば既得権益が安心する人材ばかり評価していれば、安倍の後任がいない事態のようになる。

 

  マスメディアやネット民には分からない理屈なので、哲学者たちが声をあげ、近代ヨーロッパの啓蒙時代のように盛り上げれば危機的事態は劇的に改善すると思う。

 

 

 

  

重荷を背負うような一生の中身

 徳川家康の遺訓、「人の一生は重荷を背負っているようなもの」は有名である。

 

  「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり」

 

  ところで、家康の一生には時々その重荷がなくなって身軽になる時がある。

 

  ・長い間、隣国今川氏の勢力下にあったが、桶狭間今川義元織田信長に討たれた。→徳川の独立を果たす

 

・今川氏を滅ぼして後、新たな隣国となった武田氏の脅威を長い間受け、三方が原の合戦では信玄に敗れるも、やがて信玄没、長篠の合戦で勝頼に勝ち、天目山で滅ぼしようやく武田の脅威がなくなった。

 

・同盟関係にあった織田信長とも、妻子が武田と通じている疑いから自決させられるなど大きな脅威だったが、本能寺の変明智光秀が信長を討ったため脅威がなくなった。混乱の中で家康は北方に兵を進め5か国を治めた。

 

豊臣秀吉の天下になってしばらくは、関東に移り東北の蒲生や上杉など豊臣方の諸将に囲まれた形になったが、関ヶ原の合戦で勝ち豊臣の脅威がなくなった。

 

 江戸幕府を開いてもまだ、旧豊臣の勢力が各地にいたものの、大坂の陣で勝ってようやく落ち着いた。

 

  主な5つの脅威を挙げたが、一般人も同じだろうか?  例えば小学校時代のいじめも重荷だが中学になるとなくなったり、職場のパワハラ、隣家との争い、いろいろな重荷は確かにある。

 

  家康の場合、これら重荷が重いからといってすぐに背負うのをやめた訳ではない。背負って長期間歩いている。やがてその重荷がなくなると、さらに重い荷物に耐えられるようになっている。