草分け中

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誰もが変だと思う上司には敵対する方が絶対に得

 おかしなことを言うのに高給取りだったり、マトモなのに薄給だったりする昨今。

 

 そんな高給取りを使う上も悪いものだが、たいていは部署を異動させられていき次第に窓際へ追いやられるものだ。

 

 であればそんな上司に対してイエスマンでいることはかえって損である。むしろ大いに敵対している方が異動の時に得をする公算が大だ。普段から反抗して煙たがられて嫌がられてその対立が周囲に漏れ伝わって注目されて、やがてはアナタの方が凄くマトモに映るはず。ヤツが異動される際に道連れにされずに済むどころか、異動後に後を任されて自由と権力を得ることは間違いない。後は信ずるところを行って成功するだけである。

 

 思うに日本人は伝統的に忠義が重んじられて愚かな上司に対しても忠誠を強いられたりするものだが、一方で戦国時代に下克上があったように上司と敵対する行動も実際に認められていた。バブル時代に採用されたトンチンカンな上司と敵対することは決して損なことはない。

 

 もちろん賢い上司と敵対する部下は愚かである。ただし現実にはなかなかいない。東芝三菱マテリアル神戸製鋼、公務員など愚かな幹部に敵対して是非とものしあがって頂きたい。

 

 

直虎、家康黒幕説を採用するってよ

 次回の題は「信長、浜松来たいってよ」

 

 毎回何かをパクる題で、これは「桐島、部活辞めるってよ」から来ている。

 

 その予告最後の場面で明智光秀がチラリと映った。密室で家康に信長への謀反を持ちかけるシーンだった。やはり本能寺の変で家康黒幕説を採るのか?

 

 最近では光秀の子孫と言う明智憲三郎氏が盛んに唱えているが、信長を葬った後の政治ビジョンがあまりに欠けている点で慎重な家康には合わないと反対する人も多い。

 

 ただこの作品の信長はほぼ悪役に収まっているので、この展開は似合うと思う。タイトルをフザけたものにすることで、視聴者があまり信じないようにしたのだろう。

 

 あと残り短いが、井伊直政が赤い甲冑をまとう馬上姿は果たして見れるのか? 伝わる話では南渓の2人の僧も武具をもって直政と戦ったらしい。

 

 

(文春vs小林)一斉射撃が止まった後は・・

 ここのところ、小林よしのり氏の文春バッシングが面白くて毎日チェックしているが、今日の記事でついに文春の動きがパタリと止まったようだとあった。勝負ありか?

 

 文春だけではない。他の雑誌や新聞も一斉に止まったのだ。いよいよ怪しい。

 

 さらに怪しいのはヤフーのコメントだ。小林よしのりの反撃が始まった時は反小林的コメントがこれでもかというぐらい書き込まれ、支持数もそれなりにあったが、どれを読んでも論調が同じなので、まるで1人か数名の書き手だけが狂ったように書いているように思えた。その書き方も軽くて知的な若手の役人たちに似ており、たぶんだが霞が関の住人だろう。

 

 国民が暴動を起こさないように絶えず注意し続け、大手メディアを使って世論を一定の方向に誘導することの大切さはよく分かる。しかし、大義名分の下に例えば恐怖政治があったり、証拠のない捏造記事があったりすることが問題なのだ。

 

 さて、今後「彼ら」は手強い相手になった小林よしのり氏を懐柔するのだろうか? その動きすら漫画のネタにされかねない。では脱税や違法な落ち度を見つけて地検を入れるのか? あるいは事故に巻き込んで抹殺するか? こんな漫画家が活動しにくい法律をつくるのか? 静寂が続く間、いろいろ案を練っているような気がする。

 

 

(直虎)因縁の9月15日

 いわゆる信康事件には諸説ある。

 

 織田信長が秀吉の正妻ねねに宛てた心がこもる手紙を知っている者からすれば、今回のような冷酷な魔王信長がしっくり来ない。

 

 そもそも最初のきっかけとなった田中城で起きた信康の近習、近藤武助の暗殺未遂事件からして、実際は高天神城での武田方の忍者の頭領、近藤武介の暗殺未遂事件だったから虚構からスタートしたことになる。

 

 まあ視聴者の多くは自分の中で全てがつながればいい訳だから、ここで若い武助じゃなく壮年の武介ですよと言ったって余計な雑音になるだけだろう。

 

 確かなことは、時代が大きく変わりつつある中で徳川信康が何らかのトラブルに巻き込まれて9月15日に亡くなった。それは当時の家康には何もできなかった。その後、1600年の同じ9月15日、関ヶ原の合戦が起きた。東軍がギクシャクしている中、家康は「倅がここにいたら」とつぶやき、「秀忠様のことですか?」と尋ねた側近に対し「信康よ」と言った家康はいつまでも彼の実力を惜しんでいたようだ。

 

 数々の理不尽な目にあいながら家康はついに、自らが天下人になった。

 

 

 

 

 

 

(この声をきみに)最終回には無理を感じた

 なぜ豪華キャストのこのドラマが深夜帯なのか? 最終回で分かった気がした。

 

 柴田恭兵が朗読教室の主催者、麻生久美子が教室の先生でヒロイン、ただし江崎京子は本名ではなく年齢も不明。主人公の竹野内豊は数学者で小学生の娘と息子がありながら妻(ミムラ)との折り合いが悪く離婚し、麻生久美子と心がつながる。他、教室のメンバーに杉本哲太堀内敬子大原櫻子片桐はいり等。竹野内の父は平泉成。確かに豪華だ。

 

 ふつう深夜帯のドラマは三流の俳優か若手、あるいは落ち目が多く、ストーリーもゴールデンではできない内容のものが多い。このドラマは朗読会という地味な舞台という設定なのでゴールデンにできなかった気もする。ただ、何故そもそも朗読会という設定にしたのか?

 

 最終回で柴田と麻生は言葉の素晴らしさを褒め上げる朗読を行い、その前に竹野内演じる数学者が子供の頃の夢を書いた文を読み、「いつか皆を幸せにする完璧な定理を発見する」話をしてそれぞれ拍手を受けた。

 

 脚本家の大森美香を調べたが、過去の作品はあってもプライベート関係の情報は一切なく、おそらく江崎京子は彼女自身だろうと推察した。しばらく疎遠にしていた家族のところへ戻る話も実話と思う。その際に慰留された経緯から生まれた作品だろう。そして、戻って竹野内のような格好良く声のいい純心な数学者と教会に入るところは願望だろう。妻子持ちの男性は格好よく見えるもので、更に現在の妻と別れることも願望である。

 

 さまざまな形式美を数式で表し、世界中を幸せにする完璧な新定理を追い求める男と、誰からも慕われる朗読教室の教師、つまり文系の女性との高次元の和を説く話だったのだ。そんな自由勝手な話は深夜帯に出すしかない。もしこの実験が好評なら、ゴールデンに出すことも検討するのだろう。

 

 ただ哲学者という言葉の定理を追う者から言わせてもらえば、文学と数学とはそもそも合わないと思う。哲学と文学、哲学と数学という例は多いけれども。

 

 

「対パパラッチ権」があってもいいのでは?

 小林よしのり氏が山尾事案を追う週刊文春の記者2名の尾行中の写真と実名をブログにあげると、文春側の弁護士から「肖像権の侵害」と抗議書を受け取ったため、さらにネタにしている。確かにストーカーが肖像権と言うと滑稽に聞こえる。

 

 一方、落選した若狭勝氏が「議員の不倫を規制するルールをつくるべき」とテレビで発言すると、「議員に限らず良くないこと」とネット上で叩かれていた。くだらない新ルールをつくる人こそ本当のルール破りと先日も書いた。

 

 風の吹き方を見て思いついただけの発言なのだろう。

 

 ところで、もしパパラッチによってありもしない不倫を報道されそうになった場合は、パパラッチから自身の身を守るためにも、尾行中の写真を撮ったり、パパラッチ側の素行不良を確認したりすることは正当防衛の1つとしてアリだと思う。

 

 現代はあちこちに監視カメラがあるので録画を確認すれば映っていることが多い。

 

 小林氏が裁判で文春側に勝てば、それを前例として今後は文春記者もやりにくくなるだろう。それが見えているからか、文春側の抗議も早かったが、今のところことごとくネタにされている。

 

(シン ゴジラ)ラストに出た尾のアップを見て

 大ヒット映画「シン ゴジラ」の地上波初放送。映画は見なかったが、レビューの幾つかにラストの尾に人間のようなものが見えたが何を意味するのか分からない、という書き込みがあったことを思い出し先ほど見た。

 

 なるほど、確かによく分からない。作者の庵野監督も何も語っていない。ネットにはいろいろな説があるが、どれも庵野監督とは一致していないと思うのでここでは書かない。ちなみに私はいわゆるエヴァファンではないので監督の世界をリスペクトもしていない。

 

 ただ、庵野監督がリスペクトしていると言われる漫画家、諸星大二郎には同じく評価している。諸星の作品「影の街」に触発されてエヴァンゲリオンが生まれた話も有名である。まだ知らない方は画像検索すると良い。では、諸星は何に触発されてこのシーンを描いたのか?と考えてみた。

 

 街中に巨大な猫背の男の影。おそらく「ゴジラ」だろう。伝説の初代ゴジラだ。ではゴジラは何に触発されて? 恐竜だろう。

 

 しかし、現代の恐竜はゴジラと違って、頭が大きく尾を引きずらない姿が真実となっている。つまり、日本人が好きな頭が小さく尾を引きずるゴジラには全くリアリティが無いのだ。それでも庵野監督は映画ゴジラを引き受けた。

 

 日本中に衝撃を与えた初期のシンゴジラの姿は、これまでの恐竜説を全否定するものだった。いわゆる深海魚のラブカをモチーフにしたらしい。ここから、魚類、両生類、と進化して、恐竜ではない生物という設定にした。

 

 そして「ヤシオリ作戦」が登場する。その名前は古代日本神話のヤマタノオロチに酒を飲ませた故事に由来するらしい。つまりゴジラは特に恐竜にこだわっていないので、ヤマタノオロチのような幻想的大蛇でもある。

 

 最後は神話同様に酒ならぬ血液凝固剤を大量に飲まされて終結する。日本神話では、ヤマタノオロチの尾から「草薙の剣」が出てきて主人公の手に渡る。これは体内に始めから剣があったのではなく、ヤマタノオロチが古代製鉄集団を意味し、砂鉄から鉄剣をつくって大和朝廷に献上したことから出来た話だという。

 

 それではシン ゴジラの尾がアップされて何人かの人が映っていたあれは何か? 「第5形態」で画像検索すると出て来る。ありそうな見方だがどの説にもないので書くが、凝固剤で固まったものだと思う。勝ったヤシオリ作戦と、敗れた彼らの姿があの尾なのだ。で、彼らとはマキ教授ではなく、日本中枢を狙った高度な知能を持った誰かたちであり、尾から操縦していたのだと思う。