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(直虎)武田信玄は京を目指していたのでは?

 武田信玄が甲斐を出て遠江に入ってきた理由は、通説では天下取りだったはずだ。反信長包囲網の1つとして、源氏の末裔として、京を目指す。

 

 それがこのドラマでは、家康が勝手に今川と和睦したことに怒っての遠江侵攻というふうに矮小化されている。最新の研究がそうなのかもしれないが、信玄のビジュアルは古典的なイメージにしているため、甲斐を出た動機も古典的でよいのではと思う。

 

 あと考えられる理由としては、直虎のドラマが天下とは無関係な小国の話なので、信長や信玄が出て来るところもわざと少なくしているのではないかと。

 

 おそらくほとんどの視聴者はドラマのリードによって信玄を天下取りとは無関係に受け取るだろう。しかしそれでは、信玄が死ぬ間際の、織田徳川連合軍を破り天下を目前にしての悔しさが分かりにくくなるはずだ。

 

 一説によると、悔し泣きの信玄が観音像にすがりついていた時の寺に、直虎も虎松もいてその様子を見ていたという。僧侶たちは罰当たりなことをする信玄を見て先が長くないと囁き、直虎たちは武田ではなく織田徳川への接近を決意したのだと思う。

 

 次の天下は武田ではないと。

 

 

 

 

尖閣諸島問題と北ミサイル問題は同じ賊のやり方

 中国漁船が頻繁に尖閣諸島の海域に現れ、自衛隊の艦船が来ると引っ込む問題と、北朝鮮が日本の海域に頻繁にミサイルを打ち込む問題。

 

 この2つに共通点は多い。どちらも挑発して国内感情を乱している。どちらも本土には当てていない。そして、どちらも莫大なカネとエネルギーを投じている。

 

 思考方法が同じ。それはどういうことか?

 

  1つは、どんなに時間がかかって何年先になってもこの挑発を続ける意図。内部崩壊も企図。

 

 2つめに、上陸や交戦はしない。

 

 過去にそんな先例があったか? 日本の武将級の戦史には見当たらない。どちらかというと低レベルな山賊や海賊に近い。

 

 つまり、富裕の町に対して、賊が夜な夜な近づいて騒ぎ、衛兵が来ると逃げるようなイメージである。

 

 

 

(直虎)いくらなんでも盗賊の頭と結婚するか?

 昨夜の直虎を視て以来、頭痛がする。

 

 頭痛の原因はなんとなく分かっている。スッキリと治したいのでここに書こう。

 

 由緒ある井伊家の末裔の女性が、架空の人物とはいえ、元武家の子とはいえ、遠州で有名な盗賊の頭と結婚する訳がないだろう! 農婦になった? 尼のままで良いではないか!

 

 女性脚本家の主人公への思い入れの強さが、今度はそっちの方向にいったようだが余りにも時代考証を無視し過ぎる。一方では虎松を松下家に入れる冷静な頭脳を持ちながら、これでは安直な判断の持ち主にも映ってしまう。

 

 いや、相反する2つの頭脳の持ち主こそが、今どきの女性なのかもしれない。山尾議員、今井議員、斎藤由貴、ベッキー・・、他にも高畑淳子江角マキコらもこうした部類に入る。

 

 もし当時に文春砲があるなら、「女性市長が暴力団組長と婚約!?」となる。全ての今までの政策が何だったのか?と思われる。

 

休日夜間に電話に出ない人ほど振替休日がたまる怪

 労働時間がますます重要視される昨今、納得できない発言も散見される。

 

 例えば日頃の技量が未熟な怠惰で屁理屈の多い人間が、規定時間内に仕事を片付けられなくて残業になる場合である。残業代を支払う会社でなければ振替休日という形になる。

 

 「振休が30日溜まった」「振休が40日溜まった」 別に調整してとればいい。

 

 しかし、そんなセリフを吐く人間には共通点があり、休日夜間に会社から電話が掛かってもまず一回で出ない。

 

 それだけ労働意欲が低下している証拠であり、仕事や会社をナメており、やがてはしっぺ返しを食らって振休を全部消化してさっさと消えてくださいとなる。

 

 簡単に言えば、実力もないのに高給をもらっている人や、実力ある同僚や後輩に抜かれる人が、自ら努力をすることを諦めて、今度は労働時間のエキスパートを主張するようになり、やがて自滅していくのである。

 

 休日夜間に電話に出ず、どこかの誰かが自分の代わりに仕事をして自分よりもうまく解決していくことを暗に認めているから電話に出ない。それが繰り返されてますます肩身が狭くなっていく。

 

 ただこの事実を本人には知らせない。穏便に辞めていただき、やる気のある者のみ育成して強いチームをつくっていくだけである。

 

 

(直虎)磔刑と復活がキリストとカブる

 磔(はりつけ)で亡くなった小野政次が、死後も皆の心の中で生き続けているという話は、どこかイエス・キリストのような感じだった。

 

 そういえば聖書では、息絶えたはずのイエスが3日後に復活して弟子たちの前に姿を現す話があり、これも龍雲丸の意識が戻ったシーンと被る感じがした。

 

 要するに井伊はいったん滅ぶものの、やがては蘇生する、その経緯を今月は描いてゆく。まずはキリストの復活劇をモチーフにするが、毎回タイトルが名作のオマージュな今大河のことだから、次はこれをリスペクトすると思う。

 

 それは「スーパーマン」や「ドラゴンボール」だ。すなわち、跡継ぎたる虎松を脱出させ、脱出先で成長させ、大きくなると井伊直政として常に徳川軍の先鋒となって超人的な活躍をする。

 

 

道半ばで終わる英雄の共通点

 織田信長と鉄砲との関係は、ナポレオンと大砲との関係にも比せられる。

 

 信長は高い経済力で当時まだ珍しかった鉄砲の大量生産に成功し、それを合戦に活かして勝ち続けた。

 

 ナポレオンは当時まだ騎兵科よりも下だった砲兵科に授業代が安かったから学び、やがてその知識が各戦争で活かされ、新設した砲台で勝ったり、照準を修正して勝ったり、市民に至近距離から大砲を撃って黙らせたりしてのし上がっていった。

 

 その後、ドイツのロンメルは歩兵戦術の専門家だったが戦車に転身して成功し、山本五十六ゼロ戦の大量活用で海戦を一変させた。

 

 こう見てくると、歴史に名を残す将は新しい武器の活用に長けていると言える。そこで憶測だが、ICBM大陸間弾道ミサイル)という新しい武器に最も魅了されカネとエネルギーをかけている人物といえば北朝鮮金正恩になる。

 

 英雄の真似かどうかは分からないが、天然でそうしていると思う。

 

 ただその末路はというと、信長もナポレオンもロンメルも五十六も道半ばで斃れている。新しい武器である程度は他を圧倒しても、絶対に安定した結果には至らず、反撃に敗れるものである。

 

 

 

 

「坂の上の雲」の見方2

 日露戦争後半戦、極寒の大地でロシア軍を破っても破ってもシベリア鉄道で次々と兵が送り込まれて新たな大軍と向かい合う連鎖地獄に陥った日本陸軍の中で、異彩の大活躍をしたのは黒木為楨や野津道貫など幕末の戦争を生き残った元武士の将たちだった。

 

 彼らがいなければ敗北していたと言っても過言ではないほどの猛々しい突撃、奇襲、夜襲。その背景にあるのは、30年ぶりに会った生きる(死ぬ?)目標と言える。自身が培った才能を久々に活かす場所に出会えた喜び。それさえあればどんな地獄も耐えられるのではないだろうか。

 

 同じことは300年前の朝鮮の役の時の戦国武将にも言えて、明の大軍を相手に島津義弘立花宗茂が九州時代の恩讐を超えて連携し、かたや加藤清正小西行長はライバル同士で先を競い合った。更に遡って元寇の時も北九州沿岸で鎌倉武士たちが団結して防衛し、ついに上陸を阻止した。

 

 現代も自分の働き場所があるだけで幸せなものだし、久々に出会えたら相手がどんなに大きくとも馬鹿力を発揮するものである。

 

 日本の中高年の中にはまだまだ激戦の生き残りはいる。活かさない手はない。