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文学は何の役に立つのか?  まさに現代!

 先日、文学は何の役に立つのか? という記事があった。この学部長が言うには、長い人生で岐路に立つ時に役に立つという・・・。

 


文学部って何の役に立つの? 阪大学部長の式辞が話題に 「本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったとき」 (withnews) - Yahoo!ニュース

 

 波長の考え方で言うと、文学も一種の個性的な波長である。読書により人は視覚器官から固有の波長を体内に受信する。文学に感動した場合、その波長は体内で作用して即時的な行動の変更を行わせたり、あるいは目つき顔つきに作用して文学好きな感じに仕立てたりする。

 

 文学が盛んでない地域では、失礼だが野卑な目つき顔つきにさせる。日本や欧米はその点、文学向きな共通点があったと言える。

 

 ところで現代はまさに、日本という国が岐路に立たされており、上記学部長の理屈でいえば文学が役に立つ時かもしれないが、どうだろう? 総理の読書は偏っているし、政治家の多くも読書好きはあまり聞かない。漫画好きは麻生元総理だが、漫画は読みやすい分、波長が弱く、逆に文学は絵がなくて想像力を必要とする分、波長が強いと思う。

 

 いや日本全体が文学的に弱くなっている。大学の文学部も馬鹿にされ続けている。文学部という名称をやめて、理科系のような一定の波動とは違う意味での多種波動部とでも変更すれば、

 

 非常事態に役に立つ文学青年が育つかもしれない。

 

 

 

 

バブル期に出た“反時代”作品(温室批判)は今となっては正しかったか?

 70年代の高度成長期から80年代後半のバブル絶頂期に掛けて、世界第2位の経済大国となった日本は確かに浮かれていた。

 

 そんな中で“反時代”を掲げた作品が「ハード&ルーズ」だった。当時の日本を否定的に描き、織田哲郎が絶賛し、私も主張の多くに納得した。

 

 

 しかし、大部分の日本人は今の繁栄がずっと続くと思い込んでいた。

 

 転機はまず90年代前半、バブル崩壊の形で現れた。やがて失われた20年が続き、低空飛行なまま気がつくと中国に抜かれ、それは織り込み済みとしても幸福度や老後などあらゆる指標で他国に抜かれ低い位置に居ることになった。

 

 バブル期の反時代が指摘していたことの多くは正しかったと今となってはいえる。

 

 ただ、本ブログでは「ハード&ルーズ」を「野良猫の論理から見た飼い猫批判」とも指摘した。要するにバブル期は飼い猫が威張る時代で、それを野良猫が「フン、今後もし時代が悪化したら飼い猫のままではいられなくなるぞ」と批判した。

 

 そして現在、官僚のプランは崩壊し、50代の年金受給者は5割という、まさに野良猫がはびこる時代に突入しつつある。「ハード&ルーズ」の主人公である私立探偵ももちろん年金はもらわない。7巻最終話では同じケモノ道を歩む先輩の老人が登場したのが暗示的だったが。

 

 だからといって日本列島を野良猫だらけの島にする訳にはいかない。

 

 

 

 

公共の電波の公平公正に用いられるヘーゲル哲学

 社会科の教科書でもお馴染みのヘーゲル「正ー反ー合」。

 

 たとえ正と反との対立があっても人間の理性は合(止揚)を繰り返し、やがて世界は全体的に合理的で科学的な段階(絶対的理性の精神ガイストの実現)に到達すると。ヘーゲル哲学の前にはカント哲学の二律背反があって合の無い正と反との対立が描かれた(有限と無限、偶然と必然など)。ヘーゲル哲学の後にはマルクス主義経済学があって、世界はやがて矛盾のない共産主義に到達すると信じられた。

 

 マルクス主義経済学はやがて現実性の無さが明らかになってほぼ消えたが、左翼はまだ大勢いる。左翼は共産主義経済への移行は目指さなくなったが、正に対する反、いわば反対のための反対という形でエネルギーを増している。マスメディア、沖縄基地反対、慰安婦像、築地、原発PKO反対・・・。

 

 事実検証を詳細に行わず声を大にして反対したり、嘘の報道を行うメカニズムをヘーゲル哲学で解いていきたい。

 

 まず、ヘーゲル哲学が最終的に到達する全般的に理性が支配する合の段階、これに対して実存主義哲学は個人への着目で、レヴィ・ストロースは原住民の構造への着目で対抗し、さらにデリダ脱構築で換骨奪胎した。かようにヘーゲルの理性支配は共産主義同様マヤカシだったのだが、まだ1つだけ抜け道が残っていた。

 

 それが「公共の電波」である。

 

 テレビ局に割り当てられた電波は決して私物化してはならないため公平公正を前提としている。しかし公平公正は決して簡単ではない。ではどうするか? そこでヘーゲル哲学に助けられることになる。

 

 正ー反ー合の合が即、電波に乗って広範囲に行き渡る段階とすると、メディアの取材が正の段階、それをただ垂れ流すのではなく検証する反の段階を持ってくることで、理性的な面を見せるようにする。

 

 したがって、重要なことが正(実際)よりも反(加工)になる。

 

 公共の電波(及び大新聞)で人々が容易く洗脳されると思い込むことで、左翼ジャーナリズムは反対姿勢や反対論に大声をあげ、左翼メディアは新聞記事の構成を意図的に組み換え扇情的な見出しを大文字で目立たせる。

 

 この手法は先の大戦のヨーロッパで広がったプロパガンダ以来のものだが、金をかけ大量に作ってバラまいたビラやラジオ等の宣伝、広報で群集心理をコントロールできるとする。

 

 現在は中国が沖縄反対派や大手メディアに資金援助して分断工作を行い日本から米軍を追い出して沖縄の乗っ取りをジワジワと狙ったり、北朝鮮が韓国の慰安婦像設置団体に資金援助してアメリカでもロビー活動を行い設置を広げようとしている。

 

 彼らにとって歴史は、決して事実の集積ではなく、勝者に都合の良いものに限られているのだが、表面上は正しい歴史と言ってヘーゲル流の正と反で合をつくりだしている。

 

 日本人はどうか?

 

 ヘーゲル哲学を弁証法と訳したのは寺の僧侶と聞くが、ほとんど馴染みがない以上、日本人には本来合わないものと思う。公共の電波を前にした一部のメディア関係者以外の大多数の日本人は、同じ海洋国家の英米哲学に親近性を感じているのではないか? すなわち多面的観察による事実検証である。

 

 最後に、ヘーゲル精神現象学序文の中には植物が種から芽、蕾、花へと成長する喩えが用いられている通り、合の段階でイメージしている世界は決して突飛なものではないことを付け加えておく。

 

 

朴槿恵の末期と似てきた安倍政権

 第一次安倍政権は「美しい国」を連呼したフシギちゃんで終わった。第二次安倍政権は「アベノミクス」を連呼して経済強化を期待させて始まった。

 

 しかし経済は特に上向いてない。その一方で森友問題や加計問題のように優遇や贔屓が目立つと、「それが総理の主な仕事か」となる。この展開は韓国の朴槿恵のイ・スンシルを優遇してバレた展開とまったく同じである。

 

 今日ついに夕刊フジまでも「見えてきた安倍政権の虚言癖」という記事を掲載した。虚言など前からそうだったが、これでなお一層マスコミ横並びの政権攻撃が鮮明になった。

 

 安倍総理にやれることは1つしかない。実効性のある経済政策を打つ。これがなければ退場となる。

 

平和がフシギちゃんを増やす

 戦争を肯定して平和を否定する訳ではないが、戦争は全面的に悪くて平和が全面的に良いのか?

 

 表題の通り、平和には悪い面もある。平和ボケという言葉があるように、平和な中に長くいると、本物の悪も悪と見抜けず、敵が接近しても警戒せず、隙を突かれると大きく狼狽する。他人の痛みや迷惑が分からず、まさにフシギちゃんになっていく。

 

 世の中は善人ばかりではなく出来心による犯罪もあれば計画的な犯罪もある。大金や宝があって塀や鍵もなければ何も起こらない訳がない。自然だって美しい自然ばかりとは限らず、恐ろしい面を踏まえてこそ自然に正しく接することができる。

 

 会社はフシギちゃんには給料をあげるべきではなく、学校もフシギちゃんを育成しては国が滅ぶ。漫画にはフシギちゃんが登場するが、読者は楽しむ一方で実際にいたら迷惑だと理解する。

 

 これらから導き出せる結論はただ1つ。戦争と平和を見直すこと。平和ボケした国の滅び方と、頭脳や目つき顔つきの鋭い武将や参謀が活躍した戦争の史実をリスペクトすることである。もちろんハードランディング以外にもソフトランディングした話も参考になるが、常在戦場を心掛けてこその駆け引きだと思う。

 

 現代はまさにそんな時代である。

 

たこ焼きにワサビドレッシングは最高

 「たこわさ」と言う通りタコとワサビの相性は抜群である。

 

 昔、中のタコにワサビ醤油がついたたこ焼きを食べて感動し、先日思い出したのでたこ焼き屋にリクエストしてみたことがある。ワサビ醤油に浸したタコを使って調理。ところがワサビは加熱されるとただのミントに変わっていた。

 

 そこで今度は、出来たたこ焼きに箸で穴を開けてワサビをつけ、それを醤油で食べてみた。悪くはない。しかし分量によっては涙が出る。最近販売された「ワサビ地獄焼きそば」にハメられた記憶が蘇った。

 

 もう少し適量な方法はないものか。すると、先日買ったサラダ用のワサビドレッシングを思い出し、それをたこ焼きにかけ回してみた。

 

 ビンゴ! 非常に美味だった。あまりにおいしいので全部使い切りそうになったものの思いとどめ、ソース&マヨやポン酢と比較することにした。

 

 自分的には一番である。

 

仕事も戦争「○○戦」

 日本史でも世界史でも、戦争の結果が重要である。「関ヶ原の合戦」の後に徳川政権が本格稼働していく。「ワーテルローの戦い」の後ナポレオンは退場する。

 

 戦争には、衝突に至るまでの経緯があり、準備があり、衝突の後は戦術の優劣があるものだ。そして勝敗結果の理由についても、準備不足や諸将のミス、戦術面などそれなりに納得のいく理由が必ずある。

 

 これらを見ると、現代の我々の仕事においても同じことが言える。例えば大塚家具では「第○次父娘大戦」や、「シャープ買収戦争」、「豊田真由子追討戦」など。

 

 最近売れている新書「応仁の乱」も、現代の終わりのないぐちゃぐちゃした混乱にどこか通じるところがあるからだろう。

 

 よく「戦争はイヤだ」という言葉は聞くものの、生きるか死ぬかの兵器を使ったものに戦争を限定せず、仕事において大きな結果を与える物事に、「○○戦」という名前をつけて、軍議や準備、戦術を加えようと提唱したい。

 

 そうすると、どんな軍議が良いか、兵站に長けた中国の蕭何(しょうか)や石田三成がどう準備したか、戦術の有効性など歴史をもっと有意義に読むことができる。

 

 さて、大河ドラマの「直虎 気賀奪取工作戦」、民進党の「安倍総理イメージ悪化戦」、小池都知事の「内田一派掃討戦」はどうなったか?