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公共の電波の公平公正に用いられるヘーゲル哲学

 社会科の教科書でもお馴染みのヘーゲル「正ー反ー合」。

 

 たとえ正と反との対立があっても人間の理性は合(止揚)を繰り返し、やがて世界は全体的に合理的で科学的な段階(絶対的理性の精神ガイストの実現)に到達すると。ヘーゲル哲学の前にはカント哲学の二律背反があって合の無い正と反との対立が描かれた(有限と無限、偶然と必然など)。ヘーゲル哲学の後にはマルクス主義経済学があって、世界はやがて矛盾のない共産主義に到達すると信じられた。

 

 マルクス主義経済学はやがて現実性の無さが明らかになってほぼ消えたが、左翼はまだ大勢いる。左翼は共産主義経済への移行は目指さなくなったが、正に対する反、いわば反対のための反対という形でエネルギーを増している。マスメディア、沖縄基地反対、慰安婦像、築地、原発PKO反対・・・。

 

 事実検証を詳細に行わず声を大にして反対したり、嘘の報道を行うメカニズムをヘーゲル哲学で解いていきたい。

 

 まず、ヘーゲル哲学が最終的に到達する全般的に理性が支配する合の段階、これに対して実存主義哲学は個人への着目で、レヴィ・ストロースは原住民の構造への着目で対抗し、さらにデリダ脱構築で換骨奪胎した。かようにヘーゲルの理性支配は共産主義同様マヤカシだったのだが、まだ1つだけ抜け道が残っていた。

 

 それが「公共の電波」である。

 

 テレビ局に割り当てられた電波は決して私物化してはならないため公平公正を前提としている。しかし公平公正は決して簡単ではない。ではどうするか? そこでヘーゲル哲学に助けられることになる。

 

 正ー反ー合の合が即、電波に乗って広範囲に行き渡る段階とすると、メディアの取材が正の段階、それをただ垂れ流すのではなく検証する反の段階を持ってくることで、理性的な面を見せるようにする。

 

 したがって、重要なことが正(実際)よりも反(加工)になる。

 

 公共の電波(及び大新聞)で人々が容易く洗脳されると思い込むことで、左翼ジャーナリズムは反対姿勢や反対論に大声をあげ、左翼メディアは新聞記事の構成を意図的に組み換え扇情的な見出しを大文字で目立たせる。

 

 この手法は先の大戦のヨーロッパで広がったプロパガンダ以来のものだが、金をかけ大量に作ってバラまいたビラやラジオ等の宣伝、広報で群集心理をコントロールできるとする。

 

 現在は中国が沖縄反対派や大手メディアに資金援助して分断工作を行い日本から米軍を追い出して沖縄の乗っ取りをジワジワと狙ったり、北朝鮮が韓国の慰安婦像設置団体に資金援助してアメリカでもロビー活動を行い設置を広げようとしている。

 

 彼らにとって歴史は、決して事実の集積ではなく、勝者に都合の良いものに限られているのだが、表面上は正しい歴史と言ってヘーゲル流の正と反で合をつくりだしている。

 

 日本人はどうか?

 

 ヘーゲル哲学を弁証法と訳したのは寺の僧侶と聞くが、ほとんど馴染みがない以上、日本人には本来合わないものと思う。公共の電波を前にした一部のメディア関係者以外の大多数の日本人は、同じ海洋国家の英米哲学に親近性を感じているのではないか? すなわち多面的観察による事実検証である。

 

 最後に、ヘーゲル精神現象学序文の中には植物が種から芽、蕾、花へと成長する喩えが用いられている通り、合の段階でイメージしている世界は決して突飛なものではないことを付け加えておく。