草分け中

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間違った権力が在ると正義が見えてくる

 いわば暗闇と小さな灯火のような関係か。

 

 横暴な権力者が支配する国、会社、支店、学校などを暗闇とすると、そこに居る多くの人は暗闇に気分が滅入り、言動も不正がまかり通る。

 

 そんな中で正義を説く人や本、実践する人は、暗闇の中に灯る小さな火のようなもので、人々は灯火を応援し、いずれ夜明けがきて全てが明るくなることを望む。

 

 日本は陰湿なイジメや各ハラスメントなどが依然多い。幸福度指数も世界では低い水準だ。それでも日本は特別良い国と反省しない風潮もあるが、実際にはブラックという言葉を各地で見聞きするように暗闇の真っ只中にある。

 

 灯火がロウソクならいずれは消える。吹き消すこともできる。しかし火を移したり、大きくすることもできる。火事にしてはならないが。室内を明るくし、悪事をさらし、正義を実現することもできる。

 

 ただし、明るくし続けるにはそれなりに注意と行動の継続が大事だ。そうしないと暗闇に戻ってしまう。

 

 一つ暗闇の良さを挙げるなら、まさに表題の通りで、間違った権力が在るから逆に正義が分かりやすくなるものであり、明るい室内だと正義の良さや有り難さが分からない。

 

 

 

 

(母になる)スペシャル版のストーリーを予想

 最終回。門倉は奥能登の旅館を解雇された。

 

 間に合った柏崎オートからの手紙で東京へ。広が怪我した級友を助けてゴールするところを見る。そして生みの親と育ての親と2人きりで話して別れた。広は木野に幸せになることが誘拐犯への復讐と言う。冒頭のフラれたシーンはその伏線だったのだろう。

 

 こうなると何年か後に放映するであろうスペシャル版のストーリーも伺い知れる。広が結婚するにあたって門倉を招待したいものの奥能登にはすでにいなかった。そこで「母を尋ねて3千里」になり、門倉の新しい暮らしを知る話。

 

 あるいは広に男の子が生まれ、門倉が登場する話とか、もしくは門倉が子持ちのやもめと結婚する話も考えられる。そちらの方が「母になる」題材に近い。

 

 視聴者がそれを望んでも、女性脚本家に熱意があるかどうかは分からない。

 

 

 

(あなそれ)バツ3の院長は喫茶店で何をしたのか?

 たまたま視てしまった今日の「あなたのことはそれほど」。

 

 毎回視ている人には、小田原のホモ疑惑が解明したことや美都の別居などいろいろ楽しめた回だったのだろう。

 

 私は俳優としての東出と波瑠は高く評価しており、最近の東出の司馬遼太郎に関する各感想は読者からも非常に好感を持たれ、波瑠も大野主演「世界一難しい恋」は視聴者の間でかなり盛り上がっていた。

 

 こうした公的に高いレベルにある2人の主演だからこそ、落差のある題材になるのだろう。そもそもなぜこんな目に合うのかと仕事選びの過酷さに可哀想になってくる。

 

 あらすじ上、美都の不倫相手の軽薄さに今日しか視ていないからか腹が立ったが、その溜飲を下げたのは、誰あろう美都が務める小さな眼科の院長だった。有島麗華と2人きりになったところで実は「自分もバツ3」であり、「好きになるとどうしようもなくなるもの」だと話した。

 

 ここで場面は切り替わり、やがて帰宅した有島が卓上の「実家に戻ります」の紙切れを見て愕然とする。麗華が医院に行く前から決めていたことなのか、院長の話を聞いてからの行動なのか。

 

 後者だとすると、院長が美都のため麗華をそんな行動に移すよう、わざと仕掛けたと考えられる。

 

 

 

 

(人相)井上公造、蓮舫、そして・・、

 テレビに出てくる人の中で、「あの顔(顔つき)が嫌い」とコメされる人を3人あげたい。

 

 1人は芸能リポーター井上公造。最近はイニシャルでもったいぶって「大物芸能人が離婚しそうだ」と言うものの、誰もがイニシャルが誰かよりも井上そのものを顔つきの悪さから嫌い始めている。

 

 2人めは民進党代表の蓮舫。昔は美人だったかもしれないが、代表になってからますます人相が悪くなっている。では3人めは・・、

 

 同じく民進党辻元清美が挙げられる。別に政治好きではなくテレビ映りの悪さからこの3人に帰結した。

 

 あえて共通点を探れば「必死さ」かもしれない。井上公造芸能リポーターという職自体の存在が細っていくなか生き残りに必死と言われる。蓮舫も辻元もそうだ。

 

 しかし、誰のためにやっているか分かっていない。もしそれが分かっていれば、あんなイニシャルトークはやらないし、国民生活とは遠い揚げ足取りもやらないはずだ。

 

 

(直虎)愛知県新城市が二度でた

今日のタイトルは「盗賊は二度、仏を盗む」。

 

終わった後、いつもの解説に出てきた地名は愛知県新城市。しんじょうではなく、しんしろと読む。

 

その後、ニュース番組に移り1番目は東名高速で起きた乗用車がバスに突っ込んできた事故。バスの運転手が初めて取材に応じたという話で、入院先の病院があった場所は、なんと愛知県新城市と右上に映った。

 

今日のタイトル通り、まさしく2度出てきた。このタイトル、過去の有名作品からの借用でもある。

 

次回は「さよならだけが人生か」と、これまた過去の有名作品からの借用。悪く言えばパクリ、良く言えばオマージュなのだろう。

 

かように大河は時間稼ぎのような話が続くものの、最後の偶然には少し驚いた。

 

 

(直虎)架空の龍雲丸のモデル

 大河ドラマ好きは最近の直虎をどう見てるのだろうか?

 

 確かに途中までは知らない史実が出てきていた。直親の娘、高瀬姫も実在していたし、瀬戸方久という商人上がりの家臣も調べると本当にいて、ムロツヨシの演技も非常に良い。

 

 ところが、龍雲党の頭、龍雲丸ははっきりと架空とあり、それがここ最近ドラマの多くの時間を占めている。そして女性脚本家が本来書きたかったらしい女城主の恋愛を描こうとしている。視聴者はそこまで付き合わねばならないのか。架空の人物などもっと脇で良いだろう。

 

 と、思ってたらこの龍雲というネーミングも気になった。一見、龍の形をした雲のイメージや、龍の強さと雲の自由さを兼ね備えているのかと思わせるものの、戦前に実在した史上最悪の凶悪犯、大米龍雲もこの名前なのだ。しかも尼僧を主に殺している。

 

 NHKや脚本家はそれを知っててこの名前にしたのかどうか。聞いたことはあるが忘れていたのか。架空の人物にはモデルがあるものだが、どうもこの設定や名付けはいただけない。

 

 寺で成長した直虎が悪い男に幻惑されているだけの話に過ぎなく見える。

 

 

※7月11日加筆。

 静岡県内の龍雲寺から付けたという説あり。当時の住職は方久。出家前の名前は新田友作。気賀四人衆の1人だが、「直虎」では他の3人の名は出るのでこの友作こそが龍雲丸だとか。落城した城主の子とも。

 しかし、ならば架空の龍雲丸でなく史実の新田友作を実名で出すべきだが、出家後の方久という名前がまた瀬戸方久と被りややこしくさせるのか? 本名は新田友作でさぁ、と言うと架空ではなくなる。

 

 

 

堀江氏の「多動力」に通じる教育法

 堀江氏の「多動力」という本が売れているという記事があった。記事のコメントには賛否両論あり、どの書き込みも面白かったものの、ここでは次の考え方にのみ触れてみたい。曰く、

 

 「僕は80点を取れるようになるとあっさり飽きてしまうことが多い。ある程度ハマれば、大半の知識は得られる。そこから長い年月をかけて100点を取ることに執着せず、次のジャンルへ飛んだほうが、また新たな発見がある」

 

 こうして氏は多くの分野を身に着け、多くの肩書きを持つに至ったという。もし「多動力」が単に本が売れるだけでなく、実際に多くの人の生き方に影響を与えたらどうなるか? 世の各分野のインストラクターたちは生徒が増えて嬉しいことになるだろう。

 

 ただし、ホリエモンタイプの生徒たちは8割できたと思うと他のインストラクターの所へ移る。従来よりも短期間の生徒たちであり、そんな彼らに対しては10割の完成を求めなくても良いのである。

 

 もっと言ってしまえば、インストラクターが10段階に分けて教えていく場合も、各段階で10割を求めずとも、1段階目が8割できたところで2段階目へ進み、2段階目が8割できたところで3段階目へ進む。そうするうちに、1段階目のことが10割できるようになっている。

 

 いわば多動力の上記部分の応用編だが、教える立場の人の多くがこのようにはしていない。1段階目の8割から10割の間で時間を食い、2段階目に進んでもやはり時間が掛かっている。8割のできで進むことで残り2割をできるようにする手法を理解できないでいる。

 

 時間の無駄であり、やがて10段階のうちの途中で止まって終わる結果になる。