草分け中

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弱肉強食とスカッとジャパン

 一口に肉食動物と草食動物と言っても、栄養のバランスはいちおうとっていて、草食動物は植物に付いている虫などの肉でタンパク質を摂取し、肉食動物は草食動物の内蔵を食べることで草も食べていることになっている。

 

 人間社会でも食物連鎖のピラミッドの上層に、目が鋭く牙が生えてそうな肉食動物と言ってもよい管理職がいて、下層におとなしく群れる草食動物のようなヒラ社員がいる。ヒラ社員たちは食べられるだけの(怒られるだけの)存在ではなく、いちおう草木を食むように消費する。一方、肉食動物の管理職が消費するものは・・・である。

 

 更にこの傾向が強まると、爬虫類、ワニ、ヘビ、ウツボ、サメのような獰猛な本能のままの生き物になる。当然、脳は小さい。社内はこの危険な動物を警戒する。

 

 人気番組「スカッとジャパン」は、このサメのような上司に食われそうな小魚を助けようとする番組で、上司が痛い目にあって皆がスカッとする結末は、サメが撃退される時と同じ爽快感がある。

 

 

 

(直虎) なぜ役人は隠し里を知っていたのか?

 今回は「検地」。

 

 今川の役人に対し、井伊家は隠し里の存在を知られまいと焦る。「半沢直樹」で地下室に秘密の書類を隠したシーンを思い出した。隠す所など自宅でも車でもトランクルームでもいろいろあるように思うが。

 

 そもそもなぜ、役人は川名の隠し里へ走ったのか? その謎が分からなかった。前も書いたが、おとわの馬に飼葉を入れた龍宮小僧も不明なままで、どうも随所に脚本の粗雑さが目立つ。

 

 女性脚本家への偏見という訳ではないが、どうも言いたいことの焦点が増え過ぎて男女の話へも散ってしまうためまとまりを欠いている。そこをNHKは補うべきだが出来ていない。

 

 あとNHKが気にするべきは今後の展開で小野政次が放った刺客が幼馴染の井伊直親を殺し、井伊直虎小野政次を処刑するシーンの描き方である。最近、北朝鮮金正恩が放った刺客が兄の正男を殺した。井伊も北朝鮮も共通点は小国。

 

 小国内の派閥争いに過ぎない話に終わらせず、深く考えて徳川家康を絡めた普遍的価値を出した方がよい。

 

 

(進化)哺乳類の両生類からの進化と生命の起源

 Eテレ「哺乳類はどこから来たのか?」は予想通り面白かった。

 

 その昔、「哺乳類は爬虫類から進化した」「恐竜が滅んでから発展した」が定説だったが、2004年に中国で発見された化石から、哺乳類は恐竜全盛時代にすでに堂々と活躍していたことが明らかになった。群れを成して恐竜の子を捕食していた哺乳類もいたという。

 

 視聴後に調べたところ、平成24年の教科書では、魚類、両生類と進化した後、爬虫類や鳥類に進化したコースと、それとは別に哺乳類に進化したコースに分かれたと明確に書かれているらしい。

 

 我々の祖先とは、ネズミのようなジュラマイア、そして両生類や魚類となる。更に遡ると真核生物、原核生物、ウィルス?になるかもしれない。しかし、

 

 無生物から生物をつくることは実験科学ではいまだ出来ていない。想像では、有機質のプールへ雷等のショックが起きたとか言われているが、今ひとつ説得力に乏しい。ここで整理すると、

 

 ・生物から生物はある。

 ・無生物から生物はない。

 ・生物から無生物はある。例えば爪や糞や汗など。神話の女神にも物や大地を産む話がある。

 

 では、生物を遡ると・・・、どこまでいっても生物だと思う。隕石説もあるが、生物がいないとされた時代の地球にも、化石こそなくても何かいた。

 

 何か? 生物に普遍的な食欲や性欲や恐怖、慈愛などの感情の「波」が量子の形ですでにあった、と考える。この意識の「波」が先行して、後行たる物質や生物進化に影響したと。

 

 中でもバイオリンやピアノ等の楽器を通じて明らかになる美しい音楽という存在も、先行して実際にある神々しいものだと思う。

 

 

 

 

(千眼美子??)まるで取り憑かれているかのようだ

 清水富美加が告白本を出版する。あす??

 

 あまりの早さに世間はこの出家なるものが教団との用意周到な計画的行動と見て一斉に批判側に回った。

 

 本は売れるかというと売れるのだろう。残念だが。その売上で違約金を払うのか。しかし映画鑑賞者もコスモ石油の新車購入者もみな清水の一連の行動を思い出し、

 

 チラつく。

 

 大変迷惑だ。監督にとっても共演者にとっても。そう考えると結論は1つ。

 

 清水には悪霊が取り憑いた、とするのが妥当だろう。取り憑いたからこんな自己チューで大迷惑なことが平気でできるのだ。

 

 この教祖も最初の妻との永遠の愛をうたいながら離婚し若い女と再婚するなどの行動が元信者から批判されている記事もあった。顔にも高潔さや深み、鋭さがなく、真逆の下品さと浅さ、甘さが目立つ。大物との霊界インタビューが売りだが、大物たちは世俗が決めてきたものだ。便乗してカネを儲けようとするだけだ。

 

 そう考えると、悪霊というより低級霊なのだろう。無名の本当に凄い能力者に除霊してもらった方がよい。いや、礼儀や挨拶ができるきれい好きな庶民の多くは霊能力的にも上位だと思う。

 

 

(波瑠) ありそうでなかった母娘の怪談ドラマ

 NHK「お母さん、娘をやめていいですか?」が話題らしい。

 

 全8回中の第6回を妻が視ていたので途中から視た。斉藤由紀の鬼気迫る母親役がとりわけ話題らしいが、単に怖そうに見せる斉藤の役に比べれば、怖くて逃げまくる娘役を演じる波瑠の方が際どいところをうまく演じているように思う。

 

 波瑠は以前の「世界一難しい恋」での役が評判だった。次の「ON」のようなカゲのある役よりは「いたって善人」を演じる方が似合う稀有な人ではないだろうか?

 

 ちなみに我が家も母と娘たちの関係は良い。いつかは巣離れすることは覚悟の上だが、今のところ考えたくない気持ちも分かる。保育園にも行かない次女の遊び相手は母と姉に限られており、私も帰るとビールを飲みながら相手をする。肴は遊びだ。

 

 もし波瑠が父親と盛り上がっていれば、斉藤由貴はどうなるだろうか? 怒りの視線を向け、引き離す。このドラマでは波瑠が柳楽演じる彼氏の家に脱出すると、斉藤がついに本性を現した。極端過ぎるとは思うものの、公式サイトに多数の書き込みが寄せられるあたり、真実でリアルなのだろう。

 

 

 

 

(出家)たぶん選民思想が原因だろう

 宗教にハマる人はどんな人か?

 

 毎日が苦しい人が宗教にスガッてラクになる例もあるが、比較的多くの人は宗教でラクにはならない。話を聞いても非科学的で疑問符が湧くばかりだ。

 

 しかし、それでも継続できる人は教義とは別の理由がある。「自分は神に選ばれている」という思い込みだ。選民思想という。ユダヤ人もそうだったし、切支丹もそうだった。清水富美加も芸能界が苦しいと言いつつも比較的優位な立ち位置にいることから、選民思想が芽生えたように思う。

 

 ただ、選民思想は心を救うではなく巣食う類いでもあり、自己中心的で周りの迷惑を考えなくなる。宗教家は「あなたは選ばれた人だ」と信者に思い込ませることに長けており、こうしておカネを巻き上げていく。私腹を肥やしていく。カオや体型を見れば分かる。

 

 大事なことは、宗教にオカネを貢げば神に選ばれるのではないし、そもそも選民思想を持つことは危険だと認識すること。そして、信者とて油断すれば泥棒に入られるように、幸運を得るためには現実的に戸締まりや施錠を抜からないことと考える。

 

 何を言っても何をやっても許されるほど選ばれる人なんて絶対にいない。

 

 

 

 

(直虎)清水富美加の出家の違和感

 今朝飛び込んできた女優の出家のニュース。1時間後にはもう「おんな城主直虎」と比較する記事もあった。

 

 女性が出家して尼になったりシスターになることは昔からある。ただ井伊氏本家の1人娘が出家することはそれがお家の安泰につながるからだった。今日の直虎はそこまでよく考えて直親が求める還俗と求婚を断った。

 

 南渓和尚が言うところの古代中国の例え話の謎が解けた訳である。「国を想う者は目先の欲に負けて饅頭を全部食べてはならず残すべき」だと。

 

 さて、このように和尚の話には普遍性が高いものが多い。誰が聞いても納得する。しかるに清水富美加が出家する先の「幸福の科学」は、信者以外の人たちにどれだけ認められているのだろうか? 結局、新興宗教の域に留まったままでいる。

 

 そんな新興宗教に、公開前の映画やテレビや放映中のCMなどたくさんの関係者に多大な迷惑をかけて出家するという。その宗教はむしろ待たせるべきではないのか? 自分のところのことしか考えていないだけと批判されて当然だろう。

 

 まあ、以前から変わった子に見えていた人が変わっているところに行くだけだが。

 

※筆者註:先ほどこの時間のニュース記事を改めて見ると、清水の主張に賛同する書き込みが増えており、確かに納得する部分もあった。能年もかつて同じ事務所で、仕事選びでこの事務所と揉めていたことを思い出した。