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(直虎)ニセ元康は要らない

 昨夜の「おんな城主 直虎」。冒頭から疑問点があった。

 

 元康が妻子を今川から奪還するために行った、松平で捕まえた鵜殿の人質との交換を、いかにも元康独自のオリジナルのようにナレーションが語ったが、実は、

 

 大昔からある手法だ。

 

 古代中国で劉邦が父や妻子を奪還するために捕虜にしていた項羽の妻と交換した話は有名。

 

 また元康自身も竹千代時代に織田の人質になっていたとき、義元の軍師の雪斎が信長の兄の信広を安生城に攻めて捕虜にし人質交換を持ち掛けた。以後、竹千代は今川の人質になった。こうした雪斎の大車輪の活躍を佐野史郎に演じさせるべきだったが、どういうわけかこの女性脚本家はまったく描かなかった。

 

 元康を格好いい頼り甲斐のある人物に仕立てたかったためなのは分かるが、人質交換劇が鮮やかに映ったのはむしろ今川が没落していたからである。

 

 こうした没落から多くの領主が離反していくと氏真が母の寿圭尼に語る場面があり、直親の離反もそのうちの1つに過ぎない。ならば、

 

 直親の暴走とする必要はない。そして、

 

 今川の鮮やかな罠を描くのもおかしい。そんな罠を仕掛けられる力があるなら今川は没落しない。クレバーな政次も追い詰められやしない。このドラマでは、

 

 なおも今川を強く描き過ぎである。本来は、

 

 政次が直親をハメただけに過ぎないのではないか? 政次に勧められて駿府へ向かった直親が山中で討たれたと。離反を考えていたため。そこにほっしゃんは要らない。

 

 NHKや脚本家は制作前に、資料が少ない分、自由度が高いと楽観的だったが、事実の点と点を結ぶ線をあまりいい加減に書くと視聴者は頭の中でつながらなくなり、作品全体に違和感を抱く。

 

 特に今川の描き方は酷く、雪斎が健在だった時の隆盛と義元のみになった時の桶狭間までの暴走、そして氏真からの没落をきちんと区分けしなければならない。

 

 在ったか無かったか分からないほっしゃんの偽元康ばかり印象に残った回だった。

 

 

 

 

 

 

 

モノマネバトルからカラオケバトルへ

 いま人気の番組、カラオケバトル。

 

 過去のビッグな歌が次々と出てくる。音程が合っているのでどれも高得点なのだが、オリジナルには似ていない。安全地帯も岡村孝子椎名林檎も・・・かつてのモノマネバトルだったら、似させた上で歌の方も上手だった。

 

 しかし、今の時代、オリジナルを知っている人はかなり少なくなった。オリジナルを観客が知っているからこそモノマネはウケて盛り上がる。若年層をはじめオリジナルを知らない中では、モノマネよりもカラオケで得点を競い合い盛り上がるしかないのだ。

 

 コロッケがモノマネ芸人のために活躍する劇場を作ったことがあったが失敗したのも、そういった時代背景がある。

 

 さらに、カラオケバトルに出てくる選手はモノマネ芸人が醸し出す負の雰囲気とは一切かぶらない別物なのも効果を増している。モノマネ芸人の多くはオリジナルのポイントをデフォルメしたり笑いに変えることでウケを狙うものの、本人には存在感が劣り、コバンザメ感がどうしてもつきまとう。

 

 一方、カラオケバトルの選手もオリジナルよりオーラは劣るものの、元宝塚や元舞台、音楽教授、オペラ歌手などその道の第一人者が多く、また将来が楽しみな小中高生も出てきて好感度が高い。

 

 ただし、

 

 トーナメントの組み合わせ方や、歌の選び方にどうにも疑問が残る。

 

 もし堀優衣と鈴木杏奈が1回戦で戦ったら、もしも過去に100点をとった曲で勝負したなら、等と思うが、おそらく番組の演出を考える人が組み合わせを調整し、選曲にも口を出すのだろう。

 

 そして機械が結果を出すという審査方法。モノマネバトルでの10名の芸能人による点数よりも公正な感じはするものの、99点代の僅差に実力の差などほとんどなく、運みたいなものだと思う。

 

 

 

(カルテット)「最高の離婚」から最終回を予想

 人気ドラマ「カルテット」の最終回を予想する記事が多い。

 

 はたして、ハッピーエンドになるのか、バッドエンドになるのか・・。

 

 そこで、同じ坂元脚本で3年前に話題になった「最高の離婚」から本作を見直してこれを考えてみたい。まず共通点は、

 

 ・男性2人、女性2人の計4人。男女2組、いや2組の夫婦。

 ・4人とも演技派。(瑛太尾野真千子真木よう子綾野剛

 ・「まき」がいる。

 ・理屈っぽく喋る人がいる。瑛太高橋一生

 ・長野県が出て来る。

 ・最後は1年後の様子で終わる。

 

 次に「2つのドラマは何が言いたいか?」だが、これも多くの人が分からないと言う。「最高の離婚」は、インパクトのあるタイトルで確かに目立ち、瑛太と尾野の離婚への経緯も丁寧に描かれているが、それでも最高という言葉は似合わない(平凡でもないが)。

 

 視聴者としては瑛太と尾野にヨリを戻してほしかったろう。本人たちにもそんな気持ちは少しはあった。しかし瑛太の長い手紙が長野へ送られ、長野では尾野が親戚の男の子とキャッチボールをするシーンで終わる。

 

 「カルテット」も、軽井沢の景色で終わり、日常シーンで終わる気がする。そこに前回話題に出たリスも登場する。

 

 東京のカップルから、家森の長い手紙が軽井沢のカップルに送られる。

 

 家森の本当の過去から始まり、包帯で顔を巻いて幹生を見舞った話や、カラオケボックスの出会いの裏側、年老いたらまた4人で演奏したい内容など。

 

 

 ・・・と、自由に書けるのも今のうちだが。

 

 前回が大人になりきれない夫婦をモチーフにしたなら、今回は夫婦にすらなれない30代の男女4人か。前回と違い今回は全員に子役時代がある点も気になる。

 

 

聖職者の条件

 たまに宗教のサイトも見る。

 

 例えば、カトリックの神父の独身についてはまだ続くのか? 3年前にイタリアで神父の独身制度緩和を求める嘆願書がバチカンに出された記事があったが、今も何も変わってないので却下されたのだろう。

 

 司祭や修道職の成り手が少なくなったからといって緩和するつもりはないとの記事もあった。

 

 独身制の理由は純潔や清貧を貫くためだという。ただ最近お寺に行くことがあり、そこの住職は妻帯者だったが、袈裟を着てイベントを行う際は厳かな雰囲気を十分に漂わせていた。

 

 むしろ独身の方が、これは実感なのだが、教会の中で何組かの信者の夫婦たちが神父を囲んでいるのを見た時、どうにも信者の方に優越感と、神父の方に劣等感を感じた。そして別の機会に彼と話をすると確かにそれはあるみたいで、その劣等感の克服のためにあるまじき方向への誘惑に駆られることもあるという。

 

 人間にとって誕生や結婚、死別はつきものであり、そこに明確な区別、記号をつけるべきならば宗教は確かに必要である。それを司る人は尊敬に値する。ただ内心劣等感に苛まれるのは可哀想なので、ここは緩和しても良いのではと私も思う。

 

 

(カルテット他多数)嘘に寛容?

 昨夜の「カルテット」。冒頭で真紀の正体は山本彰子とあっさり出てきた。

 

 正体の謎解きを行うドラマではないらしい。嘘をついていた真紀を、皆は責めず、むしろ最後の夜をビデオ鑑賞やゲームで楽しんだ。元夫の幹生も再登場し、ずっと騙されていた側なのに、真紀がそうせざるを得なかったのではないかと発言した。

 

 それでも警察だけは淡々と捜査を進め、次回は最終回。

 

 一方、その前に放送された「嘘の戦争」最終回。草彅剛は次から次へと嘘を繰り出し、とうとう市川正親を追い詰めることに成功した。印象的なセリフは、

 

 「ばーか、詐欺師が人殺してどうすんだよ」「あなたは妻や娘に30年前に起きたことを正直に話せますか?」

 

 本来よくないはずの嘘を、ここでは「嘘も方便」以上に肯定的にとらえ不正を追い詰める有効な手段としている。それでも最後に主人公は日本を離れた。

 

 今朝のニュースで中居正広が女性振付師と6年間同棲していた事実が発覚した。これもずっと嘘をつき続けていたと言える。ただしコメント欄にはそうならざるを得ない事情があったのだろうと同情するものが多かった。

 

 前回、「普段嘘つきな人が他人に嘘をつくなと命じる発言の消音効果」について書いたが、松たか子や草彅剛や中居正広の「普段の嘘をつかない姿」を前提に発覚した嘘は、同じように逆位相の波が発せられて「実は嘘つきな姿」が消音されるものかもしれない。

 

 では最後に稲田大臣に発覚した嘘。

 

 朴槿恵も普段から側近たちに何でもメモをとりなさいと喧しく叱っていたことが裏目になって証拠となり、罷免された。稲田大臣も普段の活動の一部が証拠となり追い詰められ謝罪した。

 

 誰でも通じるものではなく、通じないところには通じないだろう。

 

 

 

 

 

 

嘘つきが「嘘をつくな」と言う時の“消音効果”

 我々はいまだに「近代哲学の父」デカルトの「精神と物質」の二分法から抜け出ていない。

 

 ・・・と、

 

 若い頃に誰かから教わったことがある。しかし、その頃にはすでにマックス・プランクなどの量子力学者が意識の秘密に気付いていた。

 

 意識の波が、量子の波でもある。

 

 最近ではさらに、死んだ後に遺体から出た量子が次の生命にはりついて、それが子供が喋る前世の記憶の正体だと真面目に語る量子力学者もいる。

 

 これらを知ると、もはや精神と物質の二分法など馬鹿馬鹿しいというか、デカルトの時代はまだ量子力学がなかったからそう考えたのだと思う。

 

 ところで、意識を起こさせるそもそもの知覚情報も波の形で目に飛び込んでくる。その波は紙面の記号の形や色が元である。ということは、いわゆる「記号論」でパースが語ることの全ても波に言い換えられる。

 

 そして、嬉しい時の♪や恋愛の❤などの記号も、嬉しい時や恋愛の時の波と同じものと言える。

 

 そう、発話行為や発信行為は、波を送って受け手の脳の中にその波動を生じさせる目的があるのだ。

 

 しかし、発話や発信が狙い通りの波を相手に生じさせない場合も多い。それはなぜか?

 

 分かりやすい例として、「嘘つき」と普段見なされている人が「嘘をつくな」と発話する場合を考えてみよう。これは、「嘘をつくな」と話す波とは逆位相の波も起きていて、効果を打ち消していると考えられる。

 

 いわゆる「アクティブ消音」という効果であり、騒音を消すために逆位相の音を出すことと同じなのだ。

 


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http://www.okumuragumi.co.jp/news/2014/index2.html

 

 最後に、スマホのアプリで「アルファ波」を使ってリラックスや快眠を起こさせるものがあり、こういう話題を続けている手前ダウンロードしてみたが、どの音もウーンやピーなど、それらしくしているが鬱陶しい音しかなかった。そもそも無料アプリだ。

 

 思うに脳波に影響を与える波は、機械の人工音に限らないし、自然界や人間界にも多く様々な記号としてある。最近流行っている正範語録も効果的な波である。

 

 

森友事件を波の強弱で考える

 前回に引き続き拮抗作用を考える。

 

 「低レベルなインストラクター」に、例えば拮抗作用を起こされてなりたい状態を妨げられるとして、なぜそういうインストラクターが存在できて、なぜそういうインストラクターに会ってしまうのだろうか?

 

 ここからは易占の話に入ってゆく。例えば厄年による拮抗作用、厄年終了に伴う良い意味での相互作用、同様に画数も言えると思う。

 

 最近目立つ例が「アッキード事件」で、総理の夫人・安倍昭恵の外格が18画。これは「明るく健康的」な反面、外格にあると「多数の、玉も瓦も含む人々が寄り集まってくる」を意味する。そして主格が19画なので「孤独」「高い芸術性」、総格37画は「独立独歩」「個性的」で、まさに今の夫人の生き方に合致している。

 

 「恵」という字を旧字体の12画で数えた方が当たっており、これについては従来から妥当な説明が無かったが、私は現状、量子(波)と意識(の波)の関係から「恵」を書けば12画の波が体の内外に影響すると考えている。

 

 外格18画の波が日常生活での脳波(β波)の速さで現れ、表情や言葉、しぐさに加え、時の首相夫人という地位や集客効果が期待されることから、籠池氏も近づいて校長就任を頼んできたり、健康大麻の名目で宣伝を依頼したりと、保守系勢力以外からもチューニング(波長の調整)が増えた。

 

 当然、大多数の人々にとっては奇異に映り、安倍夫人の「波」そのものが拮抗作用になる。夫の安倍総理にとっても拮抗作用だ。

 

 そんな中、先日ついに籠池氏が小学校建設を中止すると発表した。ネットのコメントの中には「これで終わらずまだまだ追及すべき」という声もあったが、「波」が弱まってしまったせいか騒ぎは急速に静まっていった。