異説ショー

主サイト(ツインサイバーシステム)に載せていない異説を中心に紹介します。

(直虎3)影の主役は家康(とマッカーサー)では?

 今回の神回について更に考えてみた。

 

 実際の徳川家康は絶対に阿部サダヲのようなキャラではない。もっと凛々しく、海道一の弓取りと呼ばれる猛者。その家康が、井伊谷を直虎に治めさせるため小野政次を処刑したと考えられる。小野も家老として直虎寄りであり、今川を欺くため一時的に城主になったかもしれないが、小野を処刑することで家康は直虎復帰を周囲に納得させたと。

 

 一方、前回書いたA級戦犯たちは本当はもっとヘタレかもしれないが、マッカーサー昭和天皇に日本を任すため東條英機らを処刑した。この構図は同じである。

 

 家康やマッカーサーは小国だが重要な国の領主にはそれなりに民が納得する者を据えたいと思っている。

 

 現代の日本や韓国のような小国も同じかもしれない。

 

(直虎2)東京裁判のA級戦犯と小野但馬が重なる

 ABCD包囲網により(アメリカ、ブリテン、カナダ、オランダ)追い込まれた昭和初期の日本。石油も止まり、松の木の油で代用してバスを動かす当時。

 

 小国井伊と同様、近藤のようなソ連や中国に狙われる日本の国土を守るため、敗戦直後の軍部はあえて、昭和天皇の意図とは裏腹に日本を乗っ取っていたと主張し、本来の天皇に日本を返しますと宣言した。アメリカは東京裁判を開催して彼らをA級戦犯として処刑、天皇の名誉が回復された。

 

 今回の「嫌われ政次の一生」、どうも東條英機ら忠実過ぎた軍部首脳に重ねて見えてならない。

 

 お陰で戦後日本は、昭和天皇を中心に高度成長期を迎え躍進、アジア・アフリカ各国は西欧の植民地から脱して独立、その真実を知っている一部の政治家は今も靖国神社に参拝、まるで小野但馬を祀っている浜松市民のように。

 

 小国を守るためにはそこまで犠牲が必要なのだ。

 

 小野但馬の死に様に涙腺崩壊した人々は、A級戦犯の彼らの死に様も改めて見直してもらいたい。

 

(直虎)2人で大国同士の争いから小国を守った回

 まさに絶賛の嵐。

 

 前々回の視聴率10%や前回の視聴率12%を報じた記事が今回の絶賛コメたちで吹っ飛んでいったかと思う。

 

 冷静に考えれば、近藤がそこまで悪なのか、小野の処刑は史実とはいえ本心がドラマ通りだったのかという疑問はある。しかし大河の脚本家は書き進むうちに直虎が刑場でお経を読むのではなく槍を奪って突き刺す方に筆が運んだという。

 

 確かに納得のいく流れだった。

 

 以上は多くの視聴者とほぼ同じ感想だが、ここに加えて江戸を日本の首都に定めた徳川家康井伊直虎がどんな影響を与えたのか書いておきたい。

 

 ご存知の通り、江戸時代初期の日本は世界の中では小国で、まさに当時の井伊谷みたいなものである。その日本を預かる初代将軍家康は、直虎と同様に関東平野を産業化して経済を活性化し、対外交渉では没落する今川家を見限ったように東アジアよりもヨーロッパと結ぶようにし、キリスト教による侵食には敏感に禁止令で対抗した。

 

 江戸幕府を開設して改めて井伊直虎の苦労を思い出し、そして直虎のように強いお福を乳母に迎え春日局として大成した。

 

規律が高い軍は強いが勝負を決めるのは非常識さである

 武田信玄織田信長の強さは軍の規律の高さがあってである。

 

 それは応仁の乱の規律の低さの逆をいき、源義経の源氏軍の規律の低さへの嘆きを参考にした。信長はその規律の高さで京都をきれいにした。

 

 現代でも規律の高い企業が成功する。大企業でも規律が低いと失敗する。

 

 しかし、規律が高いだけでは勝てない。勝負を決めるのは常に、相手が予想もしない奇天烈な常識外な奇襲や夜襲、作戦、技術である。それも規律を知ってこその非常識だが。

 

 弱いのは規律が低く、かつ常識の範囲内の戦いしかできない軍である。

 

 ところで、北朝鮮に脅威を感じるのは規律の高さと従来にない戦法なのかもしれない。我々も規律が低いままで、既存の知識のままではまずい。

 

 日米は規律の高い連携のとれた軍事訓練を行い、北朝鮮の上を行く新しい戦法を繰り出して圧倒した方がよい。

 

マテオ・ファルコネと現代社会

 20年前にある財界雑誌の対談の中で、社長同士が「マテオ・ファルコネ、あれはいいね」「確かに、あれはいい」と盛り上がっている作品を知った。1人は東京電電の平岩外史会長だった。

 

 「カルメン」の作家としても知られるプロスペル・メリメの短編作品集「エトルリヤの壺」(岩波文庫)の中にそれはあった。詳細は実際に読んだ方が良いが、ネット上でも知ることはできる。

 

 作者のメリメはあるとき、地中海の一地方で起きた元マフィアの男が息子を処刑した事件を知って興味を持ち、それを作品にした。社長たちはそのどこを評価したのか。人命をあまりに軽んじた話で、読後はどうも違和感しかなかった。 

 

 20年後、仕事で敵前逃亡した部下を捕まえて目の前にした。戦争なら即銃殺刑とウィキペディアにもある。本人は敵の大軍を前に逃げることは悪くないと思っている。しかし全員が向かっていく中では、やはり公開処刑しかないように思う。

 

 ただ現代社会は、働きは悪いのに有給を申請する人が多く、敵前逃亡の予備軍はまだまだ多いと思う。公開処刑に効果はないかもしれない。マテオ・ファルコネは、それが一人息子であっても木にくくりつけた。そして「祈れ」と言って引鉄を引いた。泣きわめいて反省しても聞かなかった。

 

 そんな価値観を平岩は評価したが、日本経済の成長期は終わり、今や顧みられなくなった。しかし、大勝負を前にしては再び、この価値観を必要としなければならないような気がする。

 

(直虎)お家が火急の時こそ真価が問われる

 今回の直虎、まさに井伊家存亡の大変な時である。

 

 現代の企業にもそんな時がある。例えば莫大な利益が見込める大きな取引を前に、昼夜問わず働く社員と、盆休みは盆休みでしっかりと休んでしまう社員と。後者は前者の苦労をどこまで分かっているのか?

 

 その観点で言うと小野但馬のような家臣はもっとも貢献度が高い。汚れ役を担い、結果を出す。

 

 一方、現代のビジネスに同様の人はいるのか?

 

 どう目を凝らしてもいない。

 

 

 

強いチームは歴史的に稀有なもの

 仕事ができる人は、比較的に他人より仕事が自分だけできているだけではない。

 

 自分だけ仕事ができても駄目で、自分の他に仕事ができる人をたくさん作れなければならない。

 

 しかし、発掘や育成に鉄則があるとはあまり聞かない。できる親のドラ息子、トビが鷹など、鉄則がなく偶然の作用が大きい。ならば神頼みか。神職も大聖人が出るのは少なく、凡庸なのが多い。

 

 結論から言うと、非凡な部下の発掘と育成と定着を行い続ける。駄目な部下は淘汰される。十哲(孔門十哲や利休十哲)や四天王(徳川四天王)、三羽ガラス(モルトケの三羽ガラス)は自称ではない。

 

 他からそう呼ばれるようになり、やがて極めて稀有なケースとして何十年、何百年経っても理想とされる。