異説ショー

主サイト(ツインサイバーシステム)に載せていない異説を中心に紹介します。

小池&若狭は最近のある失速パターンに則っている

 希望の党が失速。原因は若狭勝だと言われるが、確かにいかにも今風な失速なのである。

 

 先日も書いたが、この9月に3つの失速があった。民進党の将来の党首とも言われた山尾志桜里とイケメン弁護士との不倫疑惑による離党。来年の大河出演も予定され最近再び売れてきていた斎藤由貴と医者とのダブル不倫による大河出演辞退、そして元人気歌手グループの一員で自民党議員だった今井絵理子とイケメン市議会議員とのダブル不倫が新幹線で撮られたこと。

 

 3人の女性はいずれも容姿と地位と財力を持ちながら、弁護士や医者や政治家という社会的地位の高い男性と不倫を行いそれらを失った。

 

 このパターンに、小池百合子都知事も当てはまりかねないと思うのは、右腕でもあり希望の党の党首でもある若狭勝氏が、元弁護士で当選2回の、髭や眼鏡で宮崎駿風の見た目をつくりつつもオーラがなく、小池都知事の古くからの腰巾着だったところからである。

 

 どうも2018年は、この9月、10月あたりからこういったパターンがしばらく続くのではないかと思われる。

 

 つまり、容姿は若い頃より衰えつつも地位や財力のある女性が、夫や今の家庭に物足りなさを感じたのか、それとも自分より若くて医者や弁護士、政治家といった社会的地位のある男性との交流を通じて次第にのめり込み、それが公になる。そこに一般大衆は嫌悪を抱く。もし希望の党の党首が小池か、もしくは若狭以外の政治家だったらその後は少しは違っていただろう。

 

 

 

 

(直虎)阿部サダヲの今後に期待

 徳川家康を演じている阿部サダヲは、「マルモのおきて」で演じた気弱で優しい役を他のドラマやCMでもよく見る。有能な刑事役も恐ろしい犯人の役も似合わないし、医者の役も美人女優との恋愛ものも想像がつかない。

 

 この大河の徳川家康阿部サダヲが演じていても、当初は菜々緒演じる正妻の尻に敷かれており、このままのキャラでまさか時が経つのかと懸念していた。

 

 すると今回頃から、明らかに家康の顔つきが変化した。髭を蓄えて家臣に睨みを効かせる時もあれば、小姓に皮肉を言って震え上がらせる怖さも、そして依然続く優しさ、今川から織田に変わっても続く圧力に耐える我慢強さ、いろいろなキャラが重層的に備わる複雑な家康を演じられている。

 

 舞台出身だから本来そういう役もできる俳優だったのだろうが、テレビではどうも気弱で優しいポジションに今まで収められ過ぎていた。もし民放だったら六左の役になっていたかもしれない。ところが今回、阿部サダヲはついに将来の天下人の役を演じた。もし映画監督やテレビマンがこれを見れば、次の作品への新しい一面を加えた起用を絶対に考えるだろう。

 

 もちろん優秀な脇役がいればこその話である。石川数正酒井忠次本多忠勝榊原康政、そして何より柴崎コウの直虎と菅田将暉演じる直政がひざまずき畏怖するからこそ家康との構図がキマる。その家康を普通のベテラン俳優が演じるだけではただの上司や社長に過ぎない。阿部サダヲが演じるからこそ複雑さが出てくる。

 

 実際の家康も複雑だったと思う。三河領主の家に生まれながら織田の人質、今川の人質と渡り歩き、当代一流の人物たる雪斎禅師に師事し、当時最強の武田信玄と敵対し、当時最狂の織田信長と兄弟になる。並大抵の神経では持たない。怖さ、優しさ、我慢強さを併せ持つようになる。

 

 

 

 

(ドクターX)医療版 影の立役者

 話題の難手術を行った医者は、実はバイトだった(請求額は○千万だが)という設定でお馴染みのドクターX。

 

 フリーランスの医者というものが実話なのか架空なのか視聴者には分からないために毎回冒頭に説明が入る。今回は、2017年、崩壊した白い巨塔に建て直す動きが出てきた、と述べたので「あれ?」と視ていると、大地真央演じる新しい院長が登場。今シリーズは米倉vs大地か?まさかと思った。

 

 途中まで良かった女院長。患者ファーストを掲げクリーンなイメージ、賄賂を拒絶。しかし、小池百合子を思わせる新女ボスも長くは続かなかった。最後はいつもの悪役、蛭間重勝に院長の座を奪われ、1回のみの登場に終わる。来週からは米倉vs西田の見慣れたパターンがさらに進むのか。

 

 このドラマが人気の秘密は多いものの、難手術に影の立役者がいる設定に実はどの分野にも通じるリアリティがあるからだろう。

 

 

DQNは弱我の一種

 東名高速の石橋容疑者について、ネット上では「DQN」と言われている。

 

>運転手に「お前遅い!」などと暴言を吐いたこともあったとか。またこの知人は、石橋容疑者が「当たり屋とかもしていたんですよね」と明かす。走行する車にわざとぶつかり、相手に金銭を請求していたというのだ。

 その後、フィールドキャスターの広瀬修一が、さらに詳細をまとめたボードを使い解説した。それによると、石橋容疑者は「車の運転が荒く、年に2回ほど事故を起こしていた」「別居する父親から5000円~1万円をガソリン代として借金していた」という。

 石橋容疑者が1年に2回の事故を起こしていたという事実に、高橋克実が「あまり考えられない」と指摘すると、安藤優子も「多すぎですよ」と漏らしていた。

 

 ・・・「DQN」の特徴として、「眉毛が細く薄い」「髪を金髪や茶髪にして伸ばす」というものがあり、まさに高橋克実氏とは真逆である。眉毛は人相学的に意志の強弱を表すが、漫画「北斗の拳」では主人公の真面目なケンシロウの太眉とは対称的に、敵のザコキャラは眉毛が薄いDQNに描かれている。

 このブログで最近触れている「弱我」の典型とも言える。昨今は地方に行くとこの手の顔が本当に多い。別に日本政府が狙ってそうした訳ではないと思うのだが。

 

 「北斗の拳」は核戦争後の荒廃した世界だったが、バブル崩壊後の荒廃した地方という点では近い。そして「当たり屋」稼業はもう古いという意見もあるが、スッキリと解決する仕組みはまだない。ケンシロウのような解決法は不要だが、このような弱我の問題にはもっと取り組むべきである。

 

 

 

(直虎)副次的な井伊直政が社会に影響するか?

 大河では徐々に井伊直政が台頭している。昨夜は家康の直政への本心を直虎が聞いて喜んでいた。

 

 そもそもこの大河は井伊直虎が主人公で、戦国時代に生きた女城主を女性脚本家が描き、女性視聴者へのウケを狙っているものだった。

 

 しかし、徳川四天王とはいえただの戦馬鹿としか見なされていなかった井伊直政に二次産物としてこのたび珍しくスポットライトが当てられた。

 

 実は直政は武力一辺倒ではなく、交渉能力も高く面倒見も良く見習うべきところの多い将である。ある意味、現代人とは真逆の素質が豊富だ。時代と女性などの当初の狙いではなく副次的にたまたま出てきたこの直政が大河の舞台に登場することに、社会への化学作用が起こるのではと興味がわく。

 

 もちろん多少のアレンジはあるだろう。本来の直政とは違うところもあるかもしれないが、三河者以外の所から徳川家中枢に入っていった事実は否めない。それは武田信玄が他国から山本勘助を、織田信長が美濃から明智光秀を、豊臣秀吉が近江から石田三成を入れたことと同様の話で、活気がない地方都市やタコツボ化した専門諸学も見習うべきことである。

 

 知らず知らず地方が他国の血を受け入れたり、新しい候補者に投票したり、途中参戦者の増加に寄与すれば徳川家と同様に良くなっていくだろう。

 

 

 

多くの国民の自我が求める他我とは?

 前回あげた自我の強弱を今度は他我で見てみたい。

 

 アクセルを踏むべき時にブレーキを踏んで躊躇する弱い自我(弱我)に、強い他我(強他)はアクセルを踏ませ、良い結果(高得点や利益、安定など)をもたらす。また、ブレーキを踏むべき時に暴走を止めるようブレーキを踏ませる(豊洲移転中止や過去には青島の都市博中止も)。

 

 そんな強い他我(強他)を、多数の国民の弱我は求めており、強他の有力候補として今回の選挙を見ると、まず安倍vs小池であり、前原や枝野、石破らは弱他(弱い他我)に近い。

 

 弱他とは、アクセルを踏むべき時にブレーキを踏ませて結果が悪い(低得点や赤字、不安定)、またブレーキを踏むべき時にアクセルを踏ませて失敗に突っ込む上司、政府、悪友などである。

 

 強他の発掘と抜擢が一番だが、弱他しかいなければ、まずその現実を直視しなければならない。

 

 

 

弱我と強我という新概念の提案

 「自我が弱い」「自我が強い」という言い方がある。ならば、前者を弱我、後者を強我と名付けても良いのではないか?

 

 弱我な人とは、言わばアクセルとブレーキを間違える人である。アクセルを踏むべき時にブレーキを踏んで進まない、登校しない、出社しない。逆にブレーキを踏むべき時にアクセルを踏んだため立ち止まってよく見ない、よく考えない、踏ん張らない。

 

 一方、強我な人はアクセルとブレーキが適切であり、安心安全である。信用信頼できる。弱我を強我にするには、自動車教習所と同じく訓練したり慣れていくしかない。

 

 幼少の頃から強我な人が、競争に敗れたり何かをきっかけに弱我に変わる例もあるが、たいていは未成年の多くが弱我で、中高年になると心臓に毛が生えているとか母は強しというように強我に変わる。

 

 しかし、昨今では一生弱我なままの人も多く、それを個人の自由とか人生は人それぞれという言葉で片付けて良いのかとも思う。アメリカの史上最悪の銃乱射事件も、弱我な中年が銃を持ったがための事例である。

 

 弱我度、強我度といった基準を決めて定期的に確認する機関を設け、一定数値を割り込むようなことあれば、現実的な対策が必要なように思われる。

 

 現状では、弱我は解雇されたり自ら退職したりし、短期間の就労を繰り返しているだけのようだが、それは現象であって救済策になっていない。