最近の記事でよく使う1980年代の漫画「ハード&ルーズ」について、他のブログや掲示板を幾つか検索。
「本棚持ち歩き隊」というサイトがかなり好意的に取り上げていた。
狩撫麻礼追悼!「ハード&ルーズ」に学ぶ男の生き様!!5:本棚持ち歩き隊!:SSブログ
その近くに当時亡くなった西部邁を追悼する記事があったので開くと、1990年代の頃の「朝まで生テレビ」を小林よしのりが描いた画像があった。
このシーンはリアルタイムで見ており、覚えている。
質問者が意図する“知識人の知恵”とは、一般人には思いもつかない新しい発想を広く深い教養から閃く知恵だった。
※哲学者サルトルは、知識人こそ社会問題に知らないフリをせず、自ら積極的に参加すべきという“アンガージュマン”を説いた。
パネリストの中では最も知識人と呼ぶに相応しい自覚があるためか西部邁がすぐに対応し、上記の返答。
爆弾・・・?、バズーカ砲・・・?
薬害エイズ訴訟を支える会で活動する人たちよりも短絡で知識人的ではない発言に聞こえるのだが。
少しガッカリしたこともあり、記憶に残っている。
西部邁が自決。「電車の中で漫画を読んではいかん」発言の真意。:本棚持ち歩き隊!:SSブログ
小林よしのりは、西部邁の立場があくまで保守なこと、だから実は国や官僚に擁護的なことを指摘していた。
これは現代の他のコメンテーターも同じで、新奇な発想が出てきても旧来の秩序維持が優先される。
もし身内に被害者がいれば上記のように暴発するかもしれないが、そうでもなければ暴発しない、つまりどんな矛盾や問題があっても暴発はおろか、根本的な解決のために動くことすらしない。
根本的な解決のための知恵を見聞きしても知らないフリをする。
そんなことでは知的衰退を招くと思う。
オウムになるという小林も短絡だ。小林自身も各地で集会を開いてはいるが知的魅力は感じない。
知的興隆が目立ったもう少し前の時代だと、新しい知恵で段階的に全体が上がったりしたものだった。それだけ見て見ぬフリをしない。マトモな知識人が多かった。
・・・何が不満だったか詳しくは知らないが、ニュースによると西部邁は老いと病気で身体が不自由になった晩年、弟子2名に縄で自分を巻いて多摩川に投げるよう命じて自決した。
幇助したこの2名は当然捕まった。可哀想だがそこまで思いが及ばず命じたのだろうか?
そんな短絡な人を当時は知識人として持ち上げていた。
そんな偽物ぶりが暴露されたシーンだった。