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(直虎)副次的な井伊直政が社会に影響するか?

 大河では徐々に井伊直政が台頭している。昨夜は家康の直政への本心を直虎が聞いて喜んでいた。

 

 そもそもこの大河は井伊直虎が主人公で、戦国時代に生きた女城主を女性脚本家が描き、女性視聴者へのウケを狙っているものだった。

 

 しかし、徳川四天王とはいえただの戦馬鹿としか見なされていなかった井伊直政に二次産物としてこのたび珍しくスポットライトが当てられた。

 

 実は直政は武力一辺倒ではなく、交渉能力も高く面倒見も良く見習うべきところの多い将である。ある意味、現代人とは真逆の素質が豊富だ。時代と女性などの当初の狙いではなく副次的にたまたま出てきたこの直政が大河の舞台に登場することに、社会への化学作用が起こるのではと興味がわく。

 

 もちろん多少のアレンジはあるだろう。本来の直政とは違うところもあるかもしれないが、三河者以外の所から徳川家中枢に入っていった事実は否めない。それは武田信玄が他国から山本勘助を、織田信長が美濃から明智光秀を、豊臣秀吉が近江から石田三成を入れたことと同様の話で、活気がない地方都市やタコツボ化した専門諸学も見習うべきことである。

 

 知らず知らず地方が他国の血を受け入れたり、新しい候補者に投票したり、途中参戦者の増加に寄与すれば徳川家と同様に良くなっていくだろう。

 

 

 

多くの国民の自我が求める他我とは?

 前回あげた自我の強弱を今度は他我で見てみたい。

 

 アクセルを踏むべき時にブレーキを踏んで躊躇する弱い自我(弱我)に、強い他我(強他)はアクセルを踏ませ、良い結果(高得点や利益、安定など)をもたらす。また、ブレーキを踏むべき時に暴走を止めるようブレーキを踏ませる(豊洲移転中止や過去には青島の都市博中止も)。

 

 そんな強い他我(強他)を、多数の国民の弱我は求めており、強他の有力候補として今回の選挙を見ると、まず安倍vs小池であり、前原や枝野、石破らは弱他(弱い他我)に近い。

 

 弱他とは、アクセルを踏むべき時にブレーキを踏ませて結果が悪い(低得点や赤字、不安定)、またブレーキを踏むべき時にアクセルを踏ませて失敗に突っ込む上司、政府、悪友などである。

 

 強他の発掘と抜擢が一番だが、弱他しかいなければ、まずその現実を直視しなければならない。

 

 

 

弱我と強我という新概念の提案

 「自我が弱い」「自我が強い」という言い方がある。ならば、前者を弱我、後者を強我と名付けても良いのではないか?

 

 弱我な人とは、言わばアクセルとブレーキを間違える人である。アクセルを踏むべき時にブレーキを踏んで進まない、登校しない、出社しない。逆にブレーキを踏むべき時にアクセルを踏んだため立ち止まってよく見ない、よく考えない、踏ん張らない。

 

 一方、強我な人はアクセルとブレーキが適切であり、安心安全である。信用信頼できる。弱我を強我にするには、自動車教習所と同じく訓練したり慣れていくしかない。

 

 幼少の頃から強我な人が、競争に敗れたり何かをきっかけに弱我に変わる例もあるが、たいていは未成年の多くが弱我で、中高年になると心臓に毛が生えているとか母は強しというように強我に変わる。

 

 しかし、昨今では一生弱我なままの人も多く、それを個人の自由とか人生は人それぞれという言葉で片付けて良いのかとも思う。アメリカの史上最悪の銃乱射事件も、弱我な中年が銃を持ったがための事例である。

 

 弱我度、強我度といった基準を決めて定期的に確認する機関を設け、一定数値を割り込むようなことあれば、現実的な対策が必要なように思われる。

 

 現状では、弱我は解雇されたり自ら退職したりし、短期間の就労を繰り返しているだけのようだが、それは現象であって救済策になっていない。

 

 

 

(直虎)かすむ主人公

 今回から井伊直政が中心になった大河。

 

 タイトルが直虎だから、もう少し直政を脇へずらしても良いと思う。15歳であそこまでは画策できないはずだ。童門冬二の作品では、直政を目立たせるよう、直虎の知恵で四神旗を鷹狩場にはためかせ目立たせたという。家康も井伊直虎への興味から直政を小姓に取り立てたとか。

 

 そのいずれも脚本家は採用しなかった。直政の出世譚にするだけで直虎を脇へ置いて小姑役にしてしまった。

 

 まあ面白ければ良いが。

 

 

急な解散から急な「自民vs希望」

 昨夜のニュースを視ると、小池党首の記者会見で話す様子や歩く姿が多く流れ、安倍自民よりも希望の党が話題の数的には主導権を握った感じだった。

 

 ところで前原代表の顔は左右非対象で、特に目の大きさが違い、人相学では心の中とオモテの言動との差が大きいとある。急な方針転換ではなく、ずっと前からこれを目論んでいたのではないかと思う。小池もタヌキ、前原もタヌキ、そして安倍は幼稚で純心だから、2人から依頼を受けた占い師が安倍に解散を持ち込み、唐突な解散を宣言した??

 

 では希望の党に政権を託してよいか? 前回の民主党政権は本当に酷かったが、それは菅や野田をはじめとする素人たちが官僚に操られてああなった。異常な期間だった。今回は小池が明確に彼らを排除すると明言した。それは評価していい。

 

 自民は安倍しかいない。次を託せる人材の育成ができていない。

 

 逆に希望の党が全国に候補者を擁立して「自民vs希望」の構図を短期間でつくった功績は、まだまだ隠れた人材がいそうにも見える。

 

(この声をきみに)深夜に豪華俳優がズラリ!?

  0時を過ぎて帰宅してテレビをつけると、深夜なのに一流俳優女優ばかり?

 

 麻生久美子が眩しい。竹野内豊がシブい、柴田恭兵はもっと渋い。堀内敬子片桐はいり杉本哲太大原櫻子・・・、何だこれは?

 

 ともかく一流ばかり揃うと脚本やテーマが何だろうと魅力は増す。主役は妻に別居させられて離婚寸前の子供思いの数学者という位置づけ。そこに町中の朗読会が絡む。

 

 どんな展開になるのかまだ分からないが、これだけの豪華メンバーを朗読会のエキストラにする訳がない。今後なにか重要なパートを担うことになるのだろう。

 

(直虎)信玄の死だけで状況が変わり過ぎるのはなぜか?

 信玄の死には鉄砲による暗殺、病気など諸説あるが、今回脚本家は寿桂尼をあえて再登場させて敗者の霊による復讐を際立たせていた。

 

 実際は違うと思うが、信玄が死んだ途端、あの強かった武田軍が総崩れしてしまったことは事実で、これにより井伊直虎の運命も確かに変わった。それだけ信玄個人の存在は大きい。

 

 そんな組織が良くないことを明らかにするには、真逆の組織をまず書きたい。

 

 現在、世界最強のアメリカ陸軍の戦闘チームの場合、個々の戦車に最新デジタル機器で指示命令を下す前に、その指示命令をできるだけ正確にするため、旅団長と幕僚の間で具体的に検討精査して最良のものに絞るという。

 

 一方、精査しない指示命令を下す組織とは、北朝鮮がまさにそうだが1人のトップの思いつきを反論もなく聞き従う。それによって重臣を銃殺刑に処する。信玄も義信を処刑した。

 

 いちおう武田24将というものが有名だが、それは弟の典厩信繁が健在だった時は信玄との作戦精査ができていて屈強な軍団だったが、典厩の死後はただのトップダウン式となり、信玄の死によって瓦解した。

 

 現代の場合も、旅団長のようなトップは幕僚との作戦精査を詰めた上で最終案を決定すべきである。具体的に最良で簡潔明瞭な各指示命令を下してこそ、強くなる。

 

 精査のない非現実的な指示命令を行えば、旧来のルールとの軋轢が生まれ現場が混乱する。