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「サザエさん」と卑弥呼の共通点

 人気漫画の考察 第2弾は「サザエさん」。

 

 ベストセラー「磯野家の謎」でも明らかになったように、この一家は九州からやってきた。そして首都東京の高級住宅街の一つ、世田谷区に住んでいる。

 

 サザエさんとは何者か? ここで仮説を立てると、日本という国ができた経緯と重ね合わせることができると考えたい。

 

 すなわち、九州からハツクニシラススメラミコトの一団が東遷して大和にたどり着き、初代神武天王になった。この位置に「波平」がいる。

 

 その長女「サザエ」が卑弥呼に当たる。神話でいうアマテラスオオミカミでもある。その弟の乱暴スサノオノミコトが「カツオ」である。

 

 漫画では血縁関係にあるその他のキャラクターだが、位置づけのみ考えれば次の通りになる。

 

 ・「マスオ」はヒミコに従う豪族たちの男性を象徴。

 ・「タラ」はヒミコの母性を強調。

 ・「フネ」はヒミコの女性らしさ(娘)を、

 ・「ワカメ」はヒミコの姉らしさを引き立てる。

 

 こうして、「サザエさん」は現代社会のヒミコ(アマテラス)として君臨し輝く。

 

 古代日本では男王中心のクニ同士が争い合う状況を女王である大和の卑弥呼が上に立つことで鎮め、卑弥呼が没すると再び戦乱に戻るも、同じ女の王である後継のイヨを立てることでまた鎮まったという。

 

 現代日本でも、第二次世界大戦の後に「サザエさん」が出てきて安定した。携帯電話やパソコンが普及しても、黒電話のこの漫画は不思議に人気が継続した。

 

 しかし今、東芝の失墜により「サザエさん」の放映は終了が噂されている。そうなると、

 

 神話の「天(あま)の岩戸」伝説のように、社会全体がサザエさんを失った悲しみと暗闇に覆われるだろう。

 

 

 

 

戦後日本の躍進とドラえもん

 人気漫画「ドラえもん」。各キャラクターの説明は今さら言うまでもないだろう。

 

 だから書きやすい。

 

 よく例えられるのは「ジャイアン」をアメリカに、「のび太」を日本と見る方法。

 

 確かに敗戦直後はそうだったかもしれない。

 

 「スネ夫」はヨーロッパか。

 

 しかし、ドラえもんの「四次元ポケット」から出て来る数々の“アイデア”や“技術”(=電化製品やクルマなど)のお陰で日本は高度成長を迎える。ただし調子に乗ったのび太を必ず失敗させ、(増長するなよ)と、この漫画は教える。

 

 いま話題の「日本会議」の面々は、最終的に日本国憲法改憲を目論んでおり、それは憲法第9条を改めて自衛隊を軍隊としてアメリカの傀儡から脱し、日本を真の独立国にしようとする。

 

 それを今回妨げた形になる籠池理事長には恫喝めいたメールが送られているという記事があった。

 

 ・・・日本を「ジャイアン」にしたい訳である。

 

 一方、中国や韓国などは日本をいつまでも弱弱しい「のび太」にして、「ジャイアン」を中国、「スネ夫」を韓国にしたい。しかし‥、

 

 日本は昔から技術に長け、その意味では日本が「ドラえもん」であり、このポケットに助けられている意味では「のび太」が中国韓国になる。

 

 また、日本のエリート官僚は日本を「スネ夫」にして、アメリカを「ジャイアン」、中国や北朝鮮を「のび太」にしようとする。

 

 はたして、日本は「のび太」か、「ドラえもん」か、「ジャイアン」に向かうべきか、「スネ夫」に向かうべきか。

 

 敗戦直後の日本は確かに焼野原の中、多くの人々が「のび太」だった。そこへ家電メーカーや自動車メーカーが「ドラえもん」となって、「ジャイアン」から守った。

 

 高度成長期の日本は世界第2位の経済大国になったと言われ、「スネ夫」になった気分だった。

 

 「ジャイアン」になる道もあったが、湾岸戦争ではカネだけを出してヒトを出さず、結果「スネ夫」のままに甘んじた。

 

 今はもう、スマホもパソコンも外国に負けており、東芝やシャープが傾き、「ドラえもん」ではなくなってきている。

 

 では「のび太」か?

 

 トランプ大統領が「ジャイアン」なら「スネ夫」の道もあるが。

 

 結論としては、「どれでもない」とか「出木杉」や「しずか」等も考察の範囲に入れよ、としたい。

 

 

 

 

(直虎)爆誕ではなく、こっそりと女性が男装して城主直虎になったのでは??

 まず、「スーパーサラリーマン左江内氏」最終回のアレンジについて。

 

 原作の「中年スーパーマン左江内氏」の最終回ではなんとパーマン4号(パーやん)が出て最後に主人公はサラリーマンをやめて2人で配達屋を始めるところで終わる。

 

 なぜ原作通りにしなかったか?

 

 当時はまだ、起業することに夢があった。それが夢でなくなったのは、規制緩和をしても経済が上向かず、中小起業のための新銀行東京石原銀行)をつくっても失敗し、の繰り返しから、今では正社員が贅沢と見なされるようになったからだ。

 

 こうして最後、主人公の左江内氏は企業に戻り係長職と家庭の責任を負うことを継続していく。パーやんによく似たキャプテンマンも組織の1人だった。

 

 一方、「おんな城主 直虎」もどうも史実と違う気がしてならない。史実では直親が死んで幼い虎松しかなく井伊家が危機に陥る中、次郎法師が還俗し、対外的に直虎となる。周りの国々は直虎が普通の男性と思い、だから時代が下ってもあまり知られないままだった。

 

 ところがこのドラマでは、いやドラマだからか、「我は井伊直虎である!」とオカッパ頭の女性が大々的に宣言する。ネットニュースでは「直虎爆誕」とあった。

 

 小野をはじめ、小野が連れてきた3領主ももちろん知る。そうなるとさらに、広い範囲で直虎は女性だと知るだろう。

 

 いや、実際はもっと、やむをえない事情でこっそりと直虎になったのではないか、とやはり思う。そして男の格好をしてちょんまげと付け髭をして「ワシが井伊直虎じゃ」と出て来る。・・・が、現代人にウケるためなのか、

 

 まるで女性市長が誕生したかのように映した。

 

 

(籠池)結局「右」でカネを集めたいだけの人では?

 森友学園問題の渦中にある籠池理事長について多くの記事から見えてきたのは、

 

 自分を「右」や「保守」(を実はバカにしていて、右や保守)の運動家と名乗ることで国内の多くの保守系の金持ちから寄付金を集める商売を行ってきたかっただけの人ということだ。

 

 しかし、不況の中カネはなかなか集まらない。しつこく声をかける。安倍総理も「あの人しつこい」と嫌い、竹田恒泰はついに応じなかった。

 

 本物と思わせるため、傘下の幼稚園で軍歌を歌わせ、安倍晋三小学校と名乗ったりしようとした。安倍昭恵はおだてられて名誉職に就いた。

 

 彼が偽物に見える理由は、保守の本物に似ても似つかないからだろう。三島由紀夫頭山満安岡正篤などとは違い、明らかにオーラがない。

 

 カネが思ったほど集まらないから、国有地の異常な値引きを画策した。この時も右や保守を売りにした。

 

 田母神俊雄と同じ事案。商品の「右」がまがい物だった意味では詐欺師であり、寄付した人や入園させた人は詐欺の被害者である。

 

 

 

 

 

 

(カルテット)叩かれる多くの人たちへの応援歌

 良いドラマだった。

 

 真紀は週刊誌で話題の人になっていた。しかし3人はアパートまで迎えに行った。

 

 どこの部屋か分からないので、ストリートミュージシャンになって真紀を誘い出した。すずめの楽しんだ表情がいい。首を降ってアクティブに演奏している方が似合っている。

 

 そして、話題の悪人になっていることを逆手にとってコンサートを開く。狙い通り満員だった。

 

 真紀には様々な事情があってこうなったとはいえ、世間に叩かれている。ふと思った。いま叩かれない人なんているのだろうか。

 

 三菱も東芝も叩かれている。埼玉も茨城も叩かれている。三流企業も一流企業も叩かれている。総理も皇室も叩かれている。私も大河の脚本を毎週叩いている。石原も籠池も朴も叩かれている。

 

 松たか子は叩かれながらもめげず、3人もくじけず、そして徐々に成功していくところで終わるストーリーだった。

 

 かつては叩かれる側は悪人だった。叩くマスコミは正義だった。しかし今や半分以上、いや大半が叩かれる社会になっている。

 

 このドラマの主役4人は世間の主流の生き方ではない。それでもお互いに協力しあって道を切り拓いている。この新しい価値観、

 

 見習いたい。

 

 

 

 

(直虎)ニセ元康は要らない

 昨夜の「おんな城主 直虎」。冒頭から疑問点があった。

 

 元康が妻子を今川から奪還するために行った、松平で捕まえた鵜殿の人質との交換を、いかにも元康独自のオリジナルのようにナレーションが語ったが、実は、

 

 大昔からある手法だ。

 

 古代中国で劉邦が父や妻子を奪還するために捕虜にしていた項羽の妻と交換した話は有名。

 

 また元康自身も竹千代時代に織田の人質になっていたとき、義元の軍師の雪斎が信長の兄の信広を安生城に攻めて捕虜にし人質交換を持ち掛けた。以後、竹千代は今川の人質になった。こうした雪斎の大車輪の活躍を佐野史郎に演じさせるべきだったが、どういうわけかこの女性脚本家はまったく描かなかった。

 

 元康を格好いい頼り甲斐のある人物に仕立てたかったためなのは分かるが、人質交換劇が鮮やかに映ったのはむしろ今川が没落していたからである。

 

 こうした没落から多くの領主が離反していくと氏真が母の寿圭尼に語る場面があり、直親の離反もそのうちの1つに過ぎない。ならば、

 

 直親の暴走とする必要はない。そして、

 

 今川の鮮やかな罠を描くのもおかしい。そんな罠を仕掛けられる力があるなら今川は没落しない。クレバーな政次も追い詰められやしない。このドラマでは、

 

 なおも今川を強く描き過ぎである。本来は、

 

 政次が直親をハメただけに過ぎないのではないか? 政次に勧められて駿府へ向かった直親が山中で討たれたと。離反を考えていたため。そこにほっしゃんは要らない。

 

 NHKや脚本家は制作前に、資料が少ない分、自由度が高いと楽観的だったが、事実の点と点を結ぶ線をあまりいい加減に書くと視聴者は頭の中でつながらなくなり、作品全体に違和感を抱く。

 

 特に今川の描き方は酷く、雪斎が健在だった時の隆盛と義元のみになった時の桶狭間までの暴走、そして氏真からの没落をきちんと区分けしなければならない。

 

 在ったか無かったか分からないほっしゃんの偽元康ばかり印象に残った回だった。

 

 

 

 

 

 

 

モノマネバトルからカラオケバトルへ

 いま人気の番組、カラオケバトル。

 

 過去のビッグな歌が次々と出てくる。音程が合っているのでどれも高得点なのだが、オリジナルには似ていない。安全地帯も岡村孝子椎名林檎も・・・かつてのモノマネバトルだったら、似させた上で歌の方も上手だった。

 

 しかし、今の時代、オリジナルを知っている人はかなり少なくなった。オリジナルを観客が知っているからこそモノマネはウケて盛り上がる。若年層をはじめオリジナルを知らない中では、モノマネよりもカラオケで得点を競い合い盛り上がるしかないのだ。

 

 コロッケがモノマネ芸人のために活躍する劇場を作ったことがあったが失敗したのも、そういった時代背景がある。

 

 さらに、カラオケバトルに出てくる選手はモノマネ芸人が醸し出す負の雰囲気とは一切かぶらない別物なのも効果を増している。モノマネ芸人の多くはオリジナルのポイントをデフォルメしたり笑いに変えることでウケを狙うものの、本人には存在感が劣り、コバンザメ感がどうしてもつきまとう。

 

 一方、カラオケバトルの選手もオリジナルよりオーラは劣るものの、元宝塚や元舞台、音楽教授、オペラ歌手などその道の第一人者が多く、また将来が楽しみな小中高生も出てきて好感度が高い。

 

 ただし、

 

 トーナメントの組み合わせ方や、歌の選び方にどうにも疑問が残る。

 

 もし堀優衣と鈴木杏奈が1回戦で戦ったら、もしも過去に100点をとった曲で勝負したなら、等と思うが、おそらく番組の演出を考える人が組み合わせを調整し、選曲にも口を出すのだろう。

 

 そして機械が結果を出すという審査方法。モノマネバトルでの10名の芸能人による点数よりも公正な感じはするものの、99点代の僅差に実力の差などほとんどなく、運みたいなものだと思う。