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脳波は宇宙共通

 いま放映している「ウルトラマンゼロ クロニクル」。

 

 懐かしい黒部進(ハヤタ)と森次晃嗣(モロボシダン)が出ていた。黒部は若いとき渋谷駅前で靴磨きをし、森次は新宿歌舞伎町の店で皿洗いをしていた過去がある。憑依したものがウルトラマンウルトラセブンだったかはともかく、天使でいえばミカエルとガブリエルの2枚看板に当たるだろう。3番目のラファエルから格段に知名度が落ちる。

 

 宇宙を舞台にしつつも、このシリーズはウルトラファミリーというように家族をテーマにする。ウルトラセブンの息子がウルトラマンゼロという設定。アメリカのスターウォーズも主人公ルークの父親が敵のダースベイダーだった。最近本当に生命がありそうな星を発見したとNASAが発表したが、大宇宙に普遍的に家族はテーマになるのだろうか?

 

 だとしたら、親と子の間に通じる「波」(量子的なもの)が我々地球人と宇宙人の間に共通していることになる。たとえ姿形は違っても。いや、先に存在していたのはこういった「波」ではないのか。波が先にあって、後からモノやムシやヒトができた。

 

 アルファ波やベータ波といった脳内の波もその名残りである。問題は、ヒト同士の確執やクニ同士の確執の解決法だが、従来は戦争や話し合いしかなかった。しかしその奥底の「波」に問題があるならば、新たな調整方法があるのではないだろうか。

 

 詳細はいずれメインサイトに載せる予定。話を先に戻すと、黒部や森次の位置づけや振る舞いが、聖書内のミカエルやガブリエルに似ており、波的には同じものだということである。

 

 

(直虎)信長役に海老蔵は適役か?

 大河ドラマ「おんな城主 直虎」。織田信長役は市川海老蔵との記事を今日見た。

 

 コメント欄には期待する声やがっかりする声。

 

 本人は'03年大河の宮本武蔵役以来で懐かしい場所に帰ってきたと言っている。

 

 ここである俳優とどうしても比較せざるを得なくなる。NHK織田信長宮本武蔵も演じた役所広司だ。あれは良かった。豪快に笑い飛ばす魅力的な織田信長、ストイックに鋭く剣を極める宮本武蔵

 

 一方、海老蔵の武蔵はというと・・・、

 

 例えば、黙って両手をお通(米倉涼子)の両肩に乗せジッと見つめるシーンでは、ナレーターが「武蔵は〜と思った」と語っていた。つまり、演技やセリフで視聴者に伝えられる力がないからこうなるのだ。当時は私生活も良くない遊び人だった。

 

 その後、家庭を持って落ち着き、父の看病や歌舞伎界でもそれなりに頑張っているので、今度の織田信長にも期待できない訳ではないが、やはりテレビ的には彼の存在感だけがほしいのではないだろうか。

 

 そういえば桶狭間で敗れる側の今川義元とて、セリフのほとんどない落語家の春風亭昇太で、これも存在感だけで出演している。

 

 下手にセリフを喋らせて失敗したくないからだろう。

 

 海老蔵の信長もたぶんセリフは少ないはずだ。

 

 

通り過ぎたクドカン

 面白かったしずっと目を離せなかった今回の「カルテット」。

 

 詳しい内容は他の感想サイトに譲るとして、結局幹夫は、

 

 妻に内緒で失業し、妻の知らない間に失踪し、浜松でコンビニ強盗し、長野で通報されそうになって縛ったり、落下した女性を湖に沈めようとたり、生き返って逃げられたり、

 

 ちっとも格好いいところのない男性だった。これをクドカンが好演した。しかも松たか子をしてそれでも「抱かれたいの」とすずめの耳元に囁かせる魅力もなければならない。そんなことのできる俳優はいるのか? いない。

 

 脚本全体を概観して本質をつかめる、一見して風采は上がらないが内面に魅力のある、そんな俳優が宮藤官九郎しかいないのだろう。ただ、

 

 離婚して警察に出頭して、終わった。翌日にはもうカルテットが復活していた。

 

 詩集を暖炉に投げるシーンも良かった。だからクドカンは多分もう出て来ない。強烈な印象を残して、

 

 カルテットの間を通り過ぎていった。

 

 

右翼と左翼の交錯

 右翼的な側は、一見して自国中心主義のようだが、私人としては滅私奉公が好ましい印象を与える。

 

 一方、左翼的な側は、一見して国境のないインターナショナルなようだが、私人としてはガツガツと欲しがったり権利を主張するところが好ましくない。

 

 もう少し言うと、右翼的な側の中に、なぜか左翼的な人が混じっている。

 

 上記の見方に則すなら、滅私奉公的なところがインターナショナル的なところに合ったのか、自国中心主義と個人中心主義とが相容れると思われるが、次第にボロが出て来る。

 

 逆に左翼的な側も、共産主義コミンテルンなはずなのに、憲法を守れとか国民の生活とか言って支持を集めようとする。正直に天皇制日本をなくして他国の支配下に入ると言っても当選しないからだろう。

 

 右翼的な側も、全国民が一致して国旗に拝礼が望ましいものの、この世に絶対が無い以上、全体主義のエネルギーが誤った方向にいくぐらいならバラバラな方が・・・あ、

 

 カルテットが始まった。

 

 

 

 

 

どの国も自国中心で他国間を分断する

 中国は、日本とアメリカが仲違いすればいいと考えている。

 また、日本と韓国も仲違いすればいいと考えている。

 

 これと同様に日本も、アメリカと中国が仲違いすればいいと思い、

 アメリカも、日本と中国が仲違いすればいいと思っている。

 

 さらに言えば、日本はアメリカと韓国が仲良くなってほしくないし、

 韓国も、日本とアメリカが仲良くなってほしくない。

 

 どの国も自国を中心に考えているので、敵国が他国と組まれることは非常に嫌がるものなのである。だから分断工作をする。

 

 アメリカとだけ仲良くせよとか、中国や韓国とも仲良くせよという訳ではなく、どの国も自国中心だという前提を持つことで、工作を見破ったり未然に防ぐこともできる。

 

 アメリカの日本への接近は、単純に中国が嫌いで日本が好きというところからではない。日本のアメリカ寄りを見せることで、中国と組まれて大きくならないようにしている。

 

 

(直虎)雪斎の死をなぜ描かぬ?

 次回はもう桶狭間。展開が早い。

 

 前回で結婚した元康夫妻や直親夫妻は、今回で5年も経過した。この5年の間に、実は重要なことが抜けている。義元の軍師、雪斎の死だ。

 

 貴族趣味の厚化粧の大名、今川義元がなぜ大大名たり得たのか? 右腕に黒衣の宰相、太原雪斎が全てを取り仕切り、内政から外交、そして戦争の指揮まで賢く活躍したからだ。

 

※代表的な外交は武田・北条・今川の三国同盟。これで今川は東の憂いがなくなり西の織田へ。武田は越後の上杉へ、北条も関東支配へ動いた。

三河松平家の竹千代(家康)は元々今川に人質に行く途中、使者に裏切られて織田の人質になり、そこで信長に可愛がられた。しかし雪斎が城攻めで信長の兄信広を捕まえ、人質交換で竹千代を取り戻した。

 

 もし雪斎が長生きしていれば、桶狭間での信長の勝利はなかったと言われる。

 

 雪斎の死は1555年。桶狭間の戦いは1560年。その死から5年も経過し、今川の体制は大きく変わった。端的に言えば愚かになった。それが上洛という暴走、桶狭間での油断による敗北だった。

 

 なのに今回の直虎では、「雪斎殿の評価では元康殿は賢い男とか」と南渓和尚に言わせ、まだ生きているかのような錯覚を起こさせた。この発言で冬彦さん、いやゾーン(深夜ドラマ トリックでの教祖。たぶん一番人気)、ではなく佐野史郎が演じる雪斎の顔を思い出し、当然桶狭間に一緒に向かうものと思ってしまった。

 

 本当はすでに雪斎はいなくなっている。

 

 これは、このドラマにとっても「賢い坊主(直虎も)が重要な位置にいる」ことの「必要性」を「視聴者に印象づける」またとない好機だったはずだ。

 

 いったい制作は何を考えているのか?

 

 女性脚本家は子を産めない女の悲しさを強調することばかり考えていたようだが。

 

 せっかく今川を舞台にするなら雪斎はまたとない教材である。漫画「センゴク」など冒頭で若き雪斎が応仁の乱で荒れ果てた京都に佇むシーンがあった。焼け野原は太平洋戦争直後の日本にも通ずる。そして今川氏の顧問となり竹千代に出会い、後の読書家、徳川家康を育て、江戸幕府設立につながった。

 

 雪斎が偉大過ぎて引っ込めたのかもしれない。

 

 

(カルテット)クドカンの演技に引き込まれた

 5話まで着地点がまだ見えないと言われていたドラマ「カルテット」。

 

 私も特に注意していなかったが、6話を妻が視ていたのでふと見かけると、決してイケメンではなく冴えない顔だが演技の巧そうな男が満島ひかりからコンビニ強盗の疑いをかけられていた。

 

 ググる宮藤官九郎だった。脚本だけでなく俳優もできると初めて知った。そして長い回想シーンとなり、妻役の大女優松たか子に劣らぬ演技力で俳優クドカンが出会いから結婚、そして別離までリアルに描かれていた。神回という感想ブログもある。

 

 ここで何故クドカンがキーマンとして出てきたのか?と考えたい。普通の俳優の追加では「カルテット」が崩れるとは言える。4人のカルテットは、男2人女2人の組み合わせで、これはトランプにも通ずる。

 

 トランプの4種類には含まれないジョーカー、そこに選ばれた人こそクドカンではないだろうか?

 

 劇団では舞台俳優としても積み重ねてきた、その演技力を如何なく発揮。ただ競合するカルテットの面々とて、いずれも子供時代から活躍している。松たか子松田龍平満島ひかり高橋一生も。彼らへのジョーカー的存在とすれば、脚本家としても一流な宮藤官九郎、となったのだろう。