東洋オンラインに中島義道氏が、舛添要一の例を使って世間はいかに哲学を嫌っているかを書いていた。そんなこと改めて言われるまでもないが、逆に哲学史上わずかに垣間見える成功例の方を見るべきである。
中島氏に限らず失敗した哲学者はゴマンといる。しかし、成功した哲学者も少しはいる。それが誰かは後で書こう。
で、その前に何をもって成功と見るかだが、しばらく考えて次の項目をあげた。
1,哲学が社会を幸福にした。
2,哲学が誰かを目覚めさせた。
3,哲学者同士の深い交流があった。
1については、例えばデカルトがそうだ。ヨーロッパを長い中世から近代に変えた。2についてはヒュームがカントを目覚めさせた例が挙げられる。そして3については、ヒュームとスミス、サルトルとメルロ・ポンティなどが当たる。これら3つがあるからこそ哲学は格好よく見える。
逆にこの3つではない場合、哲学が社会を不幸にした例は最近の新自由主義やマルクス主義、ゆとり教育など。哲学が誰も目覚めさせない例は、長い長い閉塞状態のデフレ不況。哲学者同士の深い交流も特に見当たらない。あるかもしれないがまだ知らない。
3つを実現する条件だが、まず哲学の内容が良くなければならない。次に表現方法も重要だ。そして読み手に恵まれなければならない。デカルトは考える自我を発見し、口語で本を書き、当時のフランス国民にウケ、他国の姫に招かれて晩年を過ごした。