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男の子の場合、名付けが真逆の効果を与える

 これも自分の経験上の異説の1つだが、男の子の名前がどうも真逆の効果を与えているように感じる。

 

 例えば強い子に育ってほしいと「強」(つよし)と名付けても、強そうな男の子はいない。むしろ比較的弱そうだった。強さとは関係ない「学」(まなぶ)という名前の男の子の方が、比較的強い場合が多かった。

 

 同様に、「◯美」という名前の男の子が、全然女っぽくなく男らしかったりする。そんな記憶はないだろうか? ちなみに女の子は割りと名前の意味に似た感じに育つ。

 

 おそらく、男の子は成長するに従って反骨精神が芽生え、親が付けた名前に反発したり、補完したり、乗り越えようとしたりするあまり、真逆の方向に走ることもあるのだろう。

 

 今回の相模原の犯人の「聖」という名前も、まさか親はそんな凶行とは真反対の聖人のように育ってほしく名付けたはずだが、子には一種のプレッシャーを与える。聖とは何か、聖という名に自分はふさわしいのか、福祉施設に務めたが理想と現実は違う。周りは聖という名前から福祉職員の自分を期待をもって見ているのではないか、と。

 

 聖という名で悩んだり何かを起こす人は他にも見受けられる。全てではない。巨人の元投手にもいたが、確か喧嘩っ早い性格で打者スレスレのシュートを投げていた。

 

 昔の日本では、子供に太郎とか次郎とか無意味な名前をまずつけ、元服してから名前を変えるが、漢字の意味よりも源氏の義や平氏の盛、織田氏の信などの面から決めていた。

 

 キラキラネームが問題視される昨今だが、以上のような側面も重視して、男の子の名前を慎重に決めるべきだと思う