草分け中

試論や試案のサブサイト。メインは「状態の秘法」合知篇(深く)鼎道篇(広く)等

愛読者について

 

  Xでは学問垢と政治垢を使い分け、どちらもプロフにはメインサイト「知っ解き屋」の同じURLを記載し、固定ページにはそれぞれ合知と九業界を載せてまあまあ好評な感じである。

 

  先日、メインサイトをかなり奥深くまで読み込む非常に珍しい人が現れ、DMをいただいた。


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  少し私が警戒している返信を行ったのは、DMを送る人はたいてい、自分勝手な目的で近づく記憶が占めていたからだ。儲けたい者がほとんどだった。100%と言ってもいい。だからDMお断りとプロフに載せる垢も少なくない。海外垢だったらなおさら即ブロックする。

 

  しかし、これはそうでもなさそうな感じもする。そもそも鼎道篇まで読む人は今まで見た事がなく、あと何年生きるかしらないがお目にかかることはないだろうと思い込んでいた。

 

  それだけ人類に絶望しきっており、人類は哲学史の秘密を結局知らないままとなり、そのうち知的進化もなく滅んでいくと諦めていた。

 

  この珍しい返信はその諦観を打ち砕くかもしれなかったが、まだ信頼信用するには早い。

 

  何せ哲学を商売とする本職の人たちだって、読んでここまでの感想を見せたことはない。哲学思想辞典の編集長は「そうは思わない」とアタマから全否定したり、人気の小川仁志も最初は形式的な交流をしかけたが、やがて意識して避けるか怒るようになった。

 

 フランスに住む某学者は難解な悩み事を相談してきたが、私の回答に満足しなかったのか以後交流はなくなった。むしろ素人の方が素直に感動するが、やがて自分を抑えてやり取りすることに疲れてきて終わる。

 

  さて、ここまで読み込む相手に自分はどう接したら良いのだろう? 血肉にするとまで言うが、それでは教祖だし、教祖になる気は無い。

 

  実は良いモデルケースがあり、それが前回記事の山田方谷だ。彼は4歳頃から「治天下泰平」を志して朱子学陽明学を学び、製油商人として経済感覚を身につけ、やがて主君から武士に取り立てられて世継ぎの教育係となり、その流れで家老となって深刻な藩財政をたった7年で大黒字に変えた。


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  その鍵となるのは、童門冬二が言うには養子の主君らしい。確かにそのパターンは認められる。

 

  まあなるようにしかならない。愛読者が4人いれば産業循環を試してみたいとは思う。

 

 

山田方谷について

  悪過ぎる日本経済。

 

  過去の人物に参考になる人がいないか考えてみたところ、4人ほどの名前が浮かんだ。

 

  かつてケネディが尊敬していると名前を挙げて日本人の方が驚いて知られることになった「上杉鷹山」、鷹山の改革を参考に備中松山藩財政再建を成功させた「山田方谷」、経済通のレジェンド「高橋是清」、高度成長を成功させた「下村治」。

 

  この4人に匹敵する人物が現代に1人でもいるか?とXに呟いたが、誰も賛同する者はいない。ダジャレやドラマの感想なら何百もつくが、この種の投稿はいつも忌避される。そこも日本が良くならない真因と思う。

 

  新自由主義をはじめ、主流経済学が思想的源流と依拠するマンデビルの「蜂の寓話」(私悪は交易なり)ではカネを回せても倫理やサービスは良くならない。そもそも蜂自体、本能に従ってるだけで悪でもない。

 

  正面から批判してるのは環境倫理の側面からミシャンぐらいなのだが、蜂の寓話と対極真逆な考え方で経済を成功させたのは特に「山田方谷」だろう。その生き方は成功した哲人政治とも言える。プラトンシチリア島で大失敗した。

 

  そのシチリア島は偶然ながら初めて行った海外旅行の訪問先でもある。そしてこれも偶然ながら、私は小学生の頃から方谷の名前を知っており、方谷駅も行ったし、備中松山城にも徒歩で登った事があった。

 

  なのに何故かよく知らないでいた。NHKの番組で悪貨となった藩札を皆の前で高梁川の河原で1日かけて焼いた場面などを見たが、ずっと関心が高まらなかった。

 

  1つには今の高梁市新見市があまりに過疎となっていたこともあったろう。しかし、地元ながら知らなさ過ぎを恥じるようになり、このたび改めて本を読もうと思った。

 

  いろんな書き手がいる中で比較的信頼している童門冬二の解説本を先ほど読み終え、次に写真の多い解説本をざっと読んだ。

 

  やはり面白い。機会があれば帰省時に訪ねて回りたいし、その関係の事もやってみたい。

 

 

今回の変革期後半を迎えて

 歴史は繰り返す。

 

 長期政権は必ず腐敗し、対抗勢力が対峙する。次に長期政権を破壊する急進的な勢力が現れるが、たいてい短命で終わる。その間に低い身分出身のクリエイティブな人物が活躍し、他方で補佐的な調整役の助けを得て最終的な大決戦に勝利したトップが新たな時代の創始者となる。

 

  日本史で言えば、

 

蘇我馬子中大兄皇子高向玄理藤原不比等天武天皇

道鏡和気清麻呂秦河勝→藤原諸嗣→桓武天皇

後白河法皇平清盛源義経北条時政源頼朝

後醍醐天皇新田義貞楠木正成足利直義足利尊氏

武田信玄織田信長豊臣秀吉本多正信徳川家康

西郷隆盛高杉晋作勝海舟坂本龍馬大久保利通

東條英機マッカーサー吉田茂三木武吉鳩山一郎

 

  では今回の変革期をどう捉えたら良いのか?

 

  実はソビエト連邦最後の書記長ゴルバチョフが現れて、グラスノスチペレストロイカを始めた時に1段階目、次にエリツィン大統領が戦車の上に乗るパフォーマンスでソ連を滅ぼした時に2段階目、そして元KGBながらタクシー運転手や副市長などを経て49歳でエリツィンの後を継いだプーチン大統領が3段階目に見えていたのだが、その後が20年間気になっていた。

 

  このたび、アメリカでイーロン・マスクの補佐を得て返り咲いたトランプ大統領が4段階目と5段階目に当たる気がして考えを公開することにした。

 

  そうすると、急進的で短命な2段階目はDS勢力のソロスやシュワブらとなる。確かにエリツィンも西側資本を受け入れていたのでこれに含まれる。しかしプーチンは、思想家ドゥーギンの考え方で3段階目を進み、外資を追い出し、ウクライナ戦争でDSを追い詰めた。

 

 まだ最終的な断言はできず、トランプも賛否様々であり、一定の時間が経ってから振り返って変革期の流れはわかるものだが、概ねこんなものだと思う。

 

  したがって、今更革命というのもナンセンスであり、今や変革期の折り返し地点の後半であることを踏まえて、DSには組みせず、新たな世界のあり方を語る者に耳を傾けるべきである。

 

 

はじまりの5段階

  多くの神話は世界の始まりを「混沌」としているが、どんな混沌なのだろうか?

 

  物質の泥水でないことは確かだ。まだ物質すら出来ていないのだから。

 

  私は物質世界の後に生命ができたという話にも疑問で、科学実験でもそれは再現できていない。地球外から隕石とともに複雑な塩基配列が飛来してきた話がまだ納得がいく。

 

  ではその複雑な塩基配列は宇宙のどこでできたのか? そもそも宇宙は冷たいし真空だ。

 

  ここで宇宙の始まりが非常に熱かった話を持ってくると、熱い宇宙から冷たい宇宙へと温度が下がる途中の適温で塩基配列ができたという話が正解と思える。

 

  中国神話では下半身が蛇体の男女の神(伏羲と女媧)が最初に出て来るが、まさに二重螺旋構造そのものだ。

 

  かように考えつつも、生命の源はまだ遡れるような気もする。

 

  人間だけでなく動物にも見られる「感情」は、実は植物にもあるらしく、例えば火を近づけると怖がる波が検知できる。

 

  恐怖だけでなく、愛情や怒り、悲しみなども普遍的にあり、それも物質由来ではなく、物質より先に宇宙のどこかでできたのではないか?

 

  これら波動の区別、波動の形や違いは、「観念」ともいい、例えば1,2,3,4…などの数は物として実在するものではなく観念だとされるが、では観念はいつどうやって始まったのか?となる。

 

  ちなみに人間は万物の霊長とされ、特に大脳新皮質が豊かだがそれは観念の営みである。

 

  冒頭に話を戻すと、観念的な意味での混沌ではないか?

 

  そんな中で神話では神が登場して混沌の段階に終わりを告げる。聖書の創世記では「光あれ」と叫んで昼と夜に分ける。

 

  より詳細なのは日本神話の方で、古事記で混沌の中に最初に現れるのは「天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」で、主体を意味する。

 

  つまり、自分の立ち位置たる主体が一番先なのではないか?と提示している。これは納得しやすい。

 

  心理学では「自我」という。人間で「自我が芽生える」と言うと、物事の好悪や判断を主体的にできるようになることをいう。

 

  ところで、「する」という動詞の未然形は日本語で「しない」と言い、未然、未だしないので自我(主体)のみがあるだけだ。ここに母音の「あ」が出てくる事を覚えていてほしい。

 

  古事記では次に「高御産巣日神(タカミムスビノカミ)」が現れ、その次に「神皇産霊神(カミムスビノカミ)」が現れ、造化三神とされる。

 

  知恵と思索の神である思兼命(オモイカネノミコト)の父が高御産巣日神とされることから、大脳新皮質の話を思い出すと2番目に現れたのは「観念」ではないか? 高次の波である。

 

  一方、神皇産霊神は高という字が抜けていることから低次の波である「意識」や感情である。

 

  五音に戻すと、「もし~れば」と仮定形の「え」に当たるのが観念で、「~し、~し、」と連用形で意識する方が「い」に当たる。

 

  口の形では、まるく開けるのが「あ」、四角く開けるのが「え」、横長に開けるのが「い」である。

 

  残る小さなまる「う」(終止形)と縦長の「お」(命令形)も古事記に登場する。

 

  造化三神の次の「宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)」は、葦がもえ出るように生じた神とされるように各終止形がここでできる。

 

  物質はまだなので、持つや歩くなどでないにしても、物質の元となる各物理定数が決まる。それら微妙な値が少しでも違うと、世界は今とは全く異なるらしいけれども、物理定数の中には量子以外にも生物学関係も含まれる。

 

  先に物理定数のバランスが決まって、後から物質宇宙ができる。ここで5番目の「天之常立神(アメノトコタチノカミ)」が現れる。つまり、物理定数の各値から命令形として原子や分子ができる。

 

  以上「天津五神」という。

 

  この五という数字から、中国神話では大昔に女媧が天地が荒れた時にあちこちの裂け目を「5色の石」で埋めて修復した話を思い出す。

 

  それは木火土金水のことだという話もあるが、5種類の裂け目だとすると、まるい裂け目、四角い裂け目、横長の裂け目、小さな裂け目、縦長の裂け目で、AEIUOの五音ということがわかる。

 

  5色の石とは天津五神のことなのだ。

 

 そして、天之常立神の次に国之常立神が現れるが、いったん終わりとする。

 

  日の丸が単に太陽のマルではなく、天之御中主神をさすという話はここでよく分かるようになる。

 

  混沌の中に始原にできたマルなのである。

 

 

  

財務省解体デモは偽物

  いま財務省解体デモが話題である。

 

  動画やXで拡散して参加者も増えている。テレビ東京も報道した。

 

  返信コメの中には「解体して次どうする?」という素朴な疑問も散見され、私もいいねをつけるが具体的回答は今もわからない。

 

  ただ解体せよとだけ繰り返す。

 

  財務省が悪いなら処罰案件であり、廃部や廃業と同じく廃省にしたり、USAIDのように閉鎖するのがスジではないか?

 

  しかし、ただ解体せよとだけ繰り返す。

 

  デモの主催者は誰なのか調べたら、1つの団体ではないらしく、右翼系や左翼系ほか小規模な政治団体が様々あるとする。それにしてはよくまとまっており、日程を決めて場所取りもスムーズな印象を受ける。

 

  背後に隠れている何者かが財務省解体を目論んでいるようだ。廃省や閉鎖ではなく解体して日本を牛耳りたい某国かもしれない。

 

  で、財務省側もそんなに困っているふうではないから、一枚噛んでいると見ている。

 

  彼らが一番困るのは、悪さしてきた役人が裁かれたり、今まで貪ってきた利権を失うことだから、デモという茶番をつくって最終的には解体して大蔵省に戻すことだろう。

 

  「財務省ができて30年、一度も日本経済は良くなってない」という言い方も引っかかる。大蔵省に戻して昔の権勢を甦らせる腹黒さは確かだ。

 

  もし、これらの話の真偽を確かめたいなら、自分が一番実現してほしい切実な政治的理想を1つでいいから関係者に直接ぶつけて反応を確認したらいい。

 

  彼らは絶対に理解も共感もしない。それで気づく。残念ながら偽物である。

 

世界線をめぐる戦い

  2010年代から広まってきた「世界線」という言葉。

 

  今まで当たり前だったことが今後は無かったことにされる。

 

  逆に今まで無かったことが、ある時を境に今まであったことにされる。

 

  まさしく歴史は勝者が塗り替え、それまでは正義だったのに敗者となると極悪とされる。

 

  具体的な例では先ず中居正広。紅白の司会までしたのに、SMAPでヒットした「夜空ノムコウ」は音楽の教科書にも載ったのに、今後は語ることをはばかられて無かった事にすらなるだろう。

 

 次にフジテレビ。かつて、TBSの「8時だよ!全員集合!」と同じ時間帯に「俺たちひょうきん族」をぶつけて勝ち、「笑っていいとも」が長寿化して視聴率三冠王を取った時はこの巫山戯たスタイルがスタンダードに目された。

 

  しかし、世のデフレ化とともに徐々にそのふざけ方は少数派となり、奇異な目で見られるようになった。そんな視線に気付かずフジなりに縁故採用や傲慢な姿勢を崩さないできた結果、75もの企業がスポンサーを撤退し、350本ものCMがACに差し替えられる事態となった。

 

  倒産には至らないという見方が多いものの、フジ特有の巫山戯たスタイルに需要がないので、経営陣を刷新して根本的に在り方を変えるしかないはずだ。

 

  その代わりに台頭するものをめぐり、SNSメディアだったり、フリーの記者だったり、カルトだったり、いろいろな勢力や個人があの手この手で競い合っている。

 

  はっきり言って証拠もないデマや良からぬ目的も非常に多い。それは反自民や反竹中、反財務省、れいわ支持や共産支持の中にもいる。

 

  そして各々が違う世界線を出し合って人々を引き寄せようと競い合い、騙されて何万ものいいねがつくのも目にする。それをデマだと批判してもいいねは付かず、私が1つ付けて証拠を添付しても無駄に終わる。

 

 信じ難い世界線や、難解な世界線は避けて、信じ易い世界線やシンプルな世界線が受け入れられる傾向にある。

 

  公開中の映画「GQuuuuuuX」も世界線をテーマに、庵野氏なりの見方や考え方が伝統的なガンダム世界を侵食している。それが良いかどうかは商業的な成功で答えとするのだろう。

 

  ただ政治や学問の分野ではきちんとしたものを基準に立てないと砂上の楼閣を繰り返すだけであり、本来的に高い教養(学歴ではない)を備えた発信者によるものでなければならない。

 

 

  

元旦にあたり

  31年前の今頃、京都大学に転任したばかりの佐伯啓思教授に著書を送ったことがある。

 

  当時、「隠された思考」でサントリー学芸賞を受賞して勢いがあった。読むと分野の枠を越えて多種多彩な学者の名前が登場した。

 

  そんな本は西山千明氏の「第4の選択」以来だ。いやもう1人いた。他ならぬ自分だが、2人との違いは多彩な学者を全て位置関係を明確に繋げていたこと。

 

  それでも学際的な点では同類なので、送ったら何か反応してくれるのではないかと淡い期待があった。

 

  何もない。若気の至りで、直接京都大学に乗り込むことにした。今じゃありえない話だが、勝海舟に面会した坂本龍馬の気分で、逆に言いくるめられても良いと思っていた。

 

  講義終了後に挨拶するともちろん驚いたが、少しは読んだようで「科学的ではない」と言ってきた。

 

  西ドイツの本を訳した平凡社の「カラー生物百科」は科学にも2種類あること、実験科学とは別に目的科学があり、専門化とは逆に総合化する、サイバネティクスのモデルもそれに該当し、だから自著では可変式サイバネティクス(現プロサイバネティクス)を駆使した。

 

  そんな説明をする気はなく、また佐伯啓思だって科学者じゃないだろうと思っていた。彼は目の前に現れた野生動物を他に興味が向くように何人か学者の名前を挙げた。

 

  話す内容よりも直観的に感じる下卑さに気付いて退室した。その後は交流はない。文系の思想家たちを理数系が打ちのめしたソーカル事件が95年に起きたが、確かに思想家たちにはそんな弱点が蔓延していた。

 

  それでもプロサイバネティクスの方が優れていると思うため、佐伯とは合わずとも他があるだろうと考えていた。

 

  佐伯は今も存命だが、次第に忘れ去られている。師匠筋の西部邁は世の中に絶望して無謀な入水自殺をして、2人の弟子を巻き込んで迷惑をかけている。

 

  西部グループの出世頭では中野剛志が挙げられるが、MMTシュンペーターなど外国のものを輸入するだけで終わりそうだ。現場から直(じか)に新しいロジックを見つけるタイプではない。

 

  そもそもサントリーが今や悪名高い企業で不買運動まで起こされている。多彩な学者の名前で表面を飾っても中身にしっかりとしたものがない。地天泰ではなく天地否の典型である。

 

  帰りに鞍馬寺にまた立ち寄った。前回は源義経が育った現地を見たくて行ったが、そこでサナート・クマラなる金星人の話が寺内の文献にあって驚いたものだった。

 

  今回は牛若丸が修行した裏山に行ってみた。雪が積もっていた。その後、夏にも裏山に行って貴船に出て、更に地下があると聞いてまた行ったので計4回行った。

 

 2回目のその後は太秦広隆寺で半跏思惟像を見て、知人のフランス料理店で食べて、映画村に行った。江戸時代のテーマパークでいろいろ見て歩いてると、自分を呼び止める声がした。

 

  振り向くと占い師だった。こんな形で自分を占ってもらう話は、劉邦曹操にもある。若い頃は全くツイてなくとも、顔相でピタリと当てる話は強く印象に残っていた。

 

  で、その中年女性の占い師は勢いのある関西弁で名前と生年月日を聞き、本をペラペラとめくっていた。その時はまだ姓名判断について特に知識はなかったが、おそらく四柱推命と旧字の高島易断からであろう、今は弱運だと言ってきた。

 

 弱運、思い当たるフシは多々ある。いや、あり過ぎるほどだ。佐伯啓思との件もそれだろう。交通事故もそうだろう。他にもたくさん。就職先も決まってない。大学院ももちろん駄目。

 

  女性は23歳から33歳の10年間、33歳から43歳の10年間、と分けて説明したが今ではほとんど覚えてない。ただ確かに良くはなっている。

 

  これだけは覚えている。独立するなら53歳からや。だから45歳で支店長まで出世したのに辞める羽目になった時、その流れがよく分からず個人事業主で独立してみたが、長続きせずまたサラリーマンに戻った。

 

 で、今は54歳。全然独立する気配は無い。ただ知友にはわりと恵まれている気がする。また世の中もだいぶ変わってきている。それを風の時代だの水瓶座の時代(アクエリアス・エイジ)だの言われたりしているが、ピンとくる話ではある。