本日昼に書いた記事、義経と景時がぶつかった逆櫓論争はドラマ冒頭に描かれた。
後に“逆櫓の松”と呼ばれる大きな松の木の下ではなく、大雨が降っているので建物の中だった。付近の寺かもしれない。
そこで開かれた軍議の場で景時が提案した逆櫓を義経が一蹴した。ここまでは予想通り。
しかし、軍議が終わった後に景時が義経に謝ってきた。「九郎殿のおっしゃる通りにござる」 自分が間違っていたと。快く許す義経・・・???
そんな話はどこにもなく、三谷カラーだとは思うが、これはこれで面白く、確かに反目しあって離れることなく、両者がともに協力したからこそ次々に合戦に勝利した。
景時曰く、「天に認められた男」と。だからついていった。
その義経を、鎌倉に先に戻った景時は頼朝に讒言する。天運の持ち主に挑むのか? いや、頼朝も天運の持ち主、両雄並び立たず、平家が滅びた今、これからは戦の天才ではなく政治の天才の時代、だから頼朝につく。
という思考経緯のようである。
時代の変わり目に彗星のごとく現れてきちんと結果を出した義経を筆者は悪く思えない。できれば現代にも再来して苦しんでいる人々のために大きな仕事をしてほしい。
しかし、大河では最初、義経をかなり悪く描き(猟師射殺や富士登山、政子膝枕、亀の前の家襲撃等の根拠はない)、世の人々も実像はそうだよねえという流れを作ろうとしている。何故だろう?
変わらなくてもいい、苦しくてもいい、まだ我慢できるからいい。天才的若者に華々しい活躍されて本当に良くなっても面白くない。むしろ失敗した方がいい。
そんな多くの心の声を汲み取って令和版義経が生まれ、人気を博しているのではないか?
義経をかばう声が(「判官びいき」と呼んだ昔に比べて)あまりに少なく、まるで思考停止の如く三谷脚本を礼賛する世論。
ちなみにWikipediaで「壇ノ浦の合戦」を調べても、義経が漕ぎ手を狙ったという根拠は不明で、潮の流れが反転する時刻を知っていた義経の作戦勝ちというのが本当だと思う。
本日、別ブログ記事を更新。