大阪市福島区内に、源義経と梶原景時がこの松の木の下で論争したという「逆櫓の松跡」という史跡がある。
残念ながら松の木はもう枯れてなくなっているものの、当時は立派な大きな海辺の松だったらしい。
地下鉄新福島駅のシンボルマークもこの松をモチーフにしている。
四国屋島に逃げた平家を追って源義経が大阪のこの地から船出する際、梶原景時が「平家と違い源氏は海戦が得意ではないから、櫓を後ろだけでなく前にも付けたらどうか?」と献策した。
すると義経は、「戦の前から逃げ支度なんかしてどうする!」と退け、激しい論戦になったという。
結局、義経は悪天候の中ですぐに船出し、屋島の平家は突然の奇襲に驚いてまたも敗れた。今晩の「鎌倉殿の13人」でそれを描くかどうか分からないが、義経vs景時のバトルを象徴する場面の1つであることは間違いない。
今回の大河では、逆櫓論争も単純に義経が正答、景時は誤答、とはいかない何かを感じる。
度々でてくる合戦前の軍議の場面で、景時も様々な提案をする。それが現実的なものばかりではなく、意外と自由な発想もあり、この逆櫓も普通は思いつかないし提案もしない。
時代の変わり目に各地で立ち上がる新しい波の中で、義経や景時、北条義時、大江広元などが次々と現れた。それを「逆櫓の松」から感じて時々引き寄せられるかのようにこの地を訪ねる。
ちなみにコトバンクで調べると、「逆櫓」なる技法が実際有効なのか後世の人は誰も、現代の史学関係者さえも試していない。
実際やるべきとは思うが、検証しておそらく分かることは、製作に時間がかかること、扱いをめぐり訓練する時間もかかること、もちろん多額の費用もかかる。
平家打倒の唯一の道でもなく、悪天候の中でまさか義経が船出して屋島まで来ないだろうという平家の思い込みを突く方が早いことは確かだった。
最後に、この春から筆者も主戦場を(ブログやヤフコメから)ツィッターや動画コメントに移していることに少し触れておく。
哲学系ツィッターのうち、「bot」がつくものが哲学的に本当に見込みがあるのかはまだ分からない。
日に何本も挙げていて感心ではあるが、例えばニーチェはその最期からか病み気味になるのであまり読まなくなる一方、デカルトはいくら読んでも客観性に努めており有益な気がする。
たまに返信するがロボットなので反応はなく、他のハートをつける人からも反応はない。
botではない哲学系ツィッターの方は反応はあるが小者っぽく、できれば大物哲学者を絡めて知的交流がしたいものだ。
7.西洋哲学史の総合
これも分かるかもしれない⤴
動画については、新興宗教の教祖のように持ち上げる気持ち悪いコメントが多いものもあり、それらは次第に自由に書きにくくなる。
逆に「ゆっくり解説」なんかは、比較的自由に書き込められ、しかも動画に触発されてか賢い書き込みも多い。
そんなネット上の隠れ賢者たちが新しいうねりとなって、時代を良い方向に変えていけばと思う。