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(鎌倉殿) 政子は何にホレたのか?

 今回も面白く、特に最後の朝日をバックにした頼朝が義時に悲願を話す場面は名シーンと語り継がれるだろう。

 

 感想は明日ゆっくり書く予定だったが、取り急ぎ思ったところを述べれば、まず政子の動きがカギになる。

 

 これはドラマのカギだけでなく、日本史上のカギになる。

 

 何せ新しく武家の政権が始まることになるのも政子が頼朝にホレなければ成立し得なかったからである。

 

 そのホレ方が尋常でないことは今後ドラマで明らかになるので差し控えるが、だからこそ気になったのは政子が頼朝のどこにホレたかである。

 

 ドラマでは坂東の荒々しい武者と違って頼朝が雅(みやび)な方だからと言わせる。平和な雰囲気が似合う大泉洋に演じさせ、蹴鞠も披露する。

 

 しかし、それで坂東武者が従うだろうか? 確かに気品は必須だが、それまでの長い歴史の上に当時があると考えれば、源氏とは数々のレジェンド武士を輩出した大スターの家柄だった。

 

 東北を二度に渡り鎮めた八幡太郎こと源義家、その弟の源頼光は金太郎と大江山の鬼や土蜘蛛を退治した。記憶に新しいところでは頼朝の長兄、源義平も14歳で叔父を倒し悪源太と呼ばれ、平治の乱では平氏の御曹司である重盛を追い掛け回した。その前の保元の乱では九州から呼び戻された鎮西八郎こと源為朝の強弓が唸りを挙げ、一本の矢で何人も串刺しにしたと伝わっている。

 

 そんな一族に武士なら誰もが憧れの念を抱くのは当然だろう。

 

 ところが、世は平清盛以下、公家化した平家が治めている。貿易で得たカネで贅沢のし放題。そんな状況も坂東武者が納得できない点だったに違いない。

 

 何が言いたいかというと、今回は熱演しているので大泉洋で勘弁するけれども、実際の源頼朝はもっともっとレジェンド武家嫡流らしい部分に満ち満ちていたのではないか? その自覚や覚悟も含めて。そうでないと坂東武者たちは認めないし、政子もホレなかったに違いない。

 

 それは以後の時代でも、名門である源氏の血が自身に流れていると自覚することで歴史を変える。小柄な義経は大戦術家となり、足利尊氏と直義兄弟も先祖から子孫に残した天下を取れとの手紙を読んで奮起し、徳川家康も松平から徳川に改姓して東海一の弓取りと呼ばれた。

 

 現代はY染色体そのものにそんな力が備わっているとは誰も思っていないが、誇りという美名でオブラートされる何らかの勘違いは有効だと思う。

 

 成長して巣立ちしたはずの男の子が結局外で狩りが出来ず、巣に戻って引きこもる現象が多々見受けられるが、もう少し誇りを持ってそれを信じ抜けば困難や逆境に立ち向かえるのではないだろうか?