草分け中

試論や試案のサブサイト。メインは「状態の秘法」合知篇(深く)鼎道篇(広く)等

東京五輪の無観客開催と江戸城の無血開城

 第2回東京オリンピックはもうすぐ終わるが、特に大きな事故事件もなかったことは何よりである。興行的には日本のメダルラッシュや外国人選手からの運営に対する好意的な書き込みで盛り上がり、成功したと言える。

 

 その中でも今回最も大きな特色だったのは無観客開催である。売上減になる痛手が大きくても、新型コロナのリスクを少しでも減らす上ではやむを得なかったからと言われ、開催のほぼ直前で主要関係者による会議で決定した。

 

 しかし、この無観客開催は結構早い段階で決まっていたのではないか?という疑問が自分の中にはどうしても消えない。他にそんな記事が見当たらないのでここに書くが、理由は以下の通りである。

 

 まず事実として、少子化の影響と人材派遣業の広がり等で、警備業に就労する人口が大きく減っている。いわゆる3Kの仕事の1つであり、特に近年の夏場は酷暑による熱中症のリスクが高く、いくら給料を高額に設定しても成り手の確保に四苦八苦している。

 

 そんな業界の実情をよく知る仙台大学の田中智仁氏は、自身も10年ほど警備員の経験がある研究者だが、今後日本では大規模なイベントの安全な開催は非常に困難であると断じている。それは警備業の認定を持って下請け各社に委託する電通博報堂もよく分かっている。

 

 仮に、今回の五輪を有観客で行ったらどんなことになるか? 大勢の人を安全に誘導するには大量の警備員と資機材やノウハウがいる。愛知博でも見られたように柵(ポールと鎖)を効果的に設置して人流を蛇行させ、各所に広報員がゆっくり歩くよう、柵から勝手に出ないよう絶えず呼びかける。

 

 私はこれを織田信長の有名な「長篠の戦い」になぞらえて解説できると思っており、敵の武田の騎馬隊の勢いを柵で抑えた上で鉄砲を撃ち続けて勝利したように、アタマとモノを使うことで被害を減らすのである。同じ思考法の持ち主に土木工事で包囲して勝利する秀吉やカエサル等がいる。また、城壁の下に穴を掘って攻める戦巧者にはアレクサンドロスや中東の英雄サラディン武田信玄がいて、これも面白い共通性である。

 

 ※私自身もその昔、ある都市部での史上空前の大勢の人列に対してアタマと地理を使い少人数で安全に誘導するよう指揮した動画がユーチューブにあり、翌日警察から現地で見てもどうやったのか分からなかったので問い合わせがきたことがある。一部外国人担当者との合作だが、楠木正成諸葛孔明の戦法を知っていれば理解しやすいと思う。

 

 その動画がいつまであるのか分からないが、コロナで大規模イベントが少なくなり、五輪の無観客開催が定着するようになると、上記のノウハウも次第に消えていくだろう。私も感心したある若い女性指揮官はたくさんのイベントをたった1人で担当させられて頑張っていたが、周囲の男性幹部たちはただ椅子に並んでいるお飾りで、彼女が辞めた後は結構大変そうだった。それも今はコロナでどのイベントもなくなりホッとしているかもしれない。

 

 話は戻るが、有観客開催に必要な人員の大量確保、ノウハウの理解と徹底、これらが不足したまま昨年に決行すると、予想されるのはいわゆる明石花火のような雑踏事故である。制御のきかない人流による事故、興奮したファンによる暴走、酔客も多い。建物やガラスの損壊もあり得る。ニュースはテレビで編集される前にSNSで瞬時に世界に拡散される。風評被害も広がる。

 

 以上のことを考えると、コロナの蔓延防止を表向きの理由にした早期の無観客開催の決定が密かにあり、それを悟られないための様々な演出を行った後で、感染者数が増加したタイミングで緊急事態宣言と同時に無観客開催を発表したと思う。重症者数や死者数の少なさには全く触れず、大会前半には関係者や選手村での感染も全く報じられず、後半に入ってから少し報道があったぐらいだった。

 

 最後に、道路交通のキモが安全と円滑という相反する2つの両立にあることと同じく、イベントも安全と演出という相反する2つの両立が第一義にある。それは無観客開催によって成功した。これも歴史の前例をあえて引っ張り出せば、隆盛と海舟が協議して実現したとされる江戸城無血開城に近い。官軍と幕府軍の戦争を避けた英断と言われており、もし戦争を行えば血みどろの破壊や殺戮になるはずだったが、時代はもはやビルドに向かう時であり、アタマのいい大将同士が阿吽の呼吸で無駄な戦争なしに江戸から明治への時代の切り替わりを行おうとした。