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(維新) 破壊に留まらず、次のビジョンを

  大阪の吉村知事を落とす記事が増えてきたが、今日ヤフーが掲載したポストセブンを読んで少し思うところがあった。

 

>メッキが剥がれた大阪・吉村知事 実像は「典型的ポピュリスト」(NEWSポストセブン)


メッキが剥がれた大阪・吉村知事 実像は「典型的ポピュリスト」(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース

 

  書き込まれたコメントの中に、知事のメッキが剥がれたというより、維新の正体が元々大阪をぶっ壊したいだけというものがあった。都構想もビルドより破壊の側面が目立っていたから府民に受け入れられなかった。

 

  大阪維新が誕生した時に故堺屋太一が見出した橋下徹が生まれ、大阪自民党を敵に回して勝つことで知名度が上がった。その後、松井一郎や吉村洋文が首長になり、今は竹中平蔵もくっついていると言われる。

 

 1990年代前半にバブルが崩壊して日本が深刻な時代に突入していくと予想される中、テレビで識者たちが集まって議論する番組が増えていた。朝まで生テレビもその1つだが、もう少し地位の高い人たちが集まっており、その中央に偉そうに座っていたのが堺屋太一だった。白髪に小さな眉、細い目が特徴的である。

 

  私はある本で、そんな新保守主義の老人がただ憂えたり吠えたりするのではなく、実際に政治に入閣するとしたら自分とは違う方向に政治が動いた時ではないかとする小説を書いたことがあった。

 

  その後、橋本龍太郎が6大改革を唱え、4本柱の省庁再編を行って大蔵省が財務相に変わり、名前こそ変だが文部科学省厚生労働省など大きく政治が変わる話になった時、行政改革会議のメンバーに堺屋太一は入ってなかった。

 

  次の小渕総理の時に堺屋太一経済企画庁長官として入閣したのは(省庁再編の実施は21世紀になってから)、橋龍時代の屈辱と焦燥があったからだと思う。そして堺屋長官はアイデアマンとして2000円札を発行、たとえ外国では流通しても日本では見事にスベッた。肝心の経済も一向に上向かず、毎月毎月「庶民の財布の紐はまだ堅い」など趣向を凝らした発表をするので「月例経済文学」と揶揄された。

 

  次に小泉内閣時に竹中平蔵が入閣すると、私は堺屋太一と同じくまた政治家でもない文化人の新自由主義者が入ってきたと思った。それだけ省庁再編のインパクトは大きかったのかもしれない。日本を経済一辺倒ではなく、もっと広域の価値観を重んじる路線変更を唱えた橋本は闇に葬られ、民活を過剰に行い、アメリカでも国営の郵政まで民営化しようとした小泉竹中政治。

 

  当時の選挙は圧勝したものの、結局小泉もあまり評価されず、竹中は売国奴として今も悪名高い。新自由主義自体が世界的に評判が悪い。ただ代替の思想はない。皮肉にも国営と民営を併用した中国の社会主義市場経済が勝者となっているが、詳細な中身は結構適当で数字上の成果も嘘が多いようだ。

 

  話を戻すが維新の会に堺屋太一竹中平蔵の色が濃いままなら、破壊の次の創造的な段階に移ることが求められるこれからの時代に相応しくはないだろう。大阪をぶっ壊したい破壊屋で終わる。

 

  先日から今の転換期が収まるなら日本初の大統領が生まれる時ではないかと書いており、吉村知事にも期待するところはあったがどうだろう。ついでに言うなら、大統領誕生とともに、今のイビツな省庁名ももっとまともなものに変わると思う。文部科学省ではなく文部省に戻し、厚生労働省ではなく厚生省でよい。財務省防衛省はそのまま、あとまだ提案はあるが、要は国民生活を向上させるための社会編成に取り組み(例えば本格的な循環型社会も1つ)、その推進に省庁再編が役立てば良いだけである。