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(晴天) 武士でなくなると奇襲を受けやすくなる

  今回メインの話は「桜田門外の変」。

 

  当日は3月なのに雪がしんしんと降っていた。竿の先に文を付けた男が1人走ってきた。井伊の供廻りが対応しようとした途端にバッと笠と簑を脱ぎ捨てて抜刀し斬りつける。そしてピストル音と共に浪士集団が出現する。この辺りのシーンはよく再現できている。

 

  しかし、なぜ井伊の供廻りは容易く斬られ、主人を守ることができなかったのか? この最も大事なところが描かれていない。

 

  実は登城のために井伊屋敷を発つ際、供廻りを指揮する立場の男が「雪で大切な刀を錆びさせてはならない」と案じて、皆に柄袋で刀をくるむよう命じていたという話がある。だからこの非常時すぐに刀を抜くことができず、柄袋の紐を解く間に次々と斬られたというのだ。

 

  本来最も守るべきものは刀ではなく主人である。この男はその立場にあるにも関わらず大きな勘違いをしてこんな結果を招いた。

 

  では何故そんな男が警備上の要職に就いたのか? それは井伊直弼が認めて選んだからである。判断基準を誤っていたのは他ならぬ井伊本人。その伏線はドラマの中にすでにあり、武士の家なのに14男で跡継ぎと無縁だったからか、幼い時より文芸の中に暮らし、大老になってもまだ狂言の脚本にこだわったりする。

 

  日本史によくあるパターンの1つだが、武士なのにお歯黒を塗っていた今川義元は雨の桶狭間で信長の奇襲を受け、武士なのに貴族化していた平家は一ノ谷で源義経に裏側から奇襲を受け、というように武士の心を忘れて貴族的になると思わぬ襲撃を受けてしまう。

 

  山口に小京都をつくった大内義隆もそうだし、戦国時代は特に北城早雲vs大森藤頼や斎藤道三vs土岐頼芸など例が多い。その1つに幕末のターニングポイント、桜田門外の変も連なる。

 

  もし直弼が始祖の直政のように「井伊の赤備え」を心掛けていたら、もっと現実的な対外政策を行い、才能ある者を怖がって処罰したり謹慎を命じたりはしなかっただろう。武士の心を忘れた貴族的な男が間違って武家の頂点に立った(その原因は暗愚な将軍に遡るが)ために齟齬(そご)が生じ、日本中がおかしくなった。

 

  現代にも「安政の大獄」はあると前に書いた。小泉内閣から安倍、菅内閣まで内部にいる竹中平蔵による派遣地獄、保護するから駄目、外資様々、いわば「平成の大獄」である。告発本やデモはあとを絶たないが本人は至って平気でいつもヘラヘラしている。

 

  次回以降、徐々にビルドが見えてくると思うが、日本も根本的な路線変更を検討するべき段階がきている。