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(小室) もつれた結婚話を明快に解決した逸話

  その昔、江戸時代3代将軍家光の頃の江戸に、15歳になる娘を大切に育てている母親がいた。元は牢人の後家で母子の2人暮らしをしていたのだが、同じく牢人者との縁談があったので先方のことを詳しく聞いてみると、人徳のある人物で年齢は17,8歳だという。

 

  母親がこの縁談を承諾したところ、その相手は実は30歳だという話になった。

 

  にわかに母娘は気乗り薄になったが、媒酌人は15歳の娘に30歳の聟(むこ)は決して年寄りとはいえないと主張する。

 

  ところがそのうちに、聟は本当は35歳だとわかったものだから母親は怒った。

「せめて倍の歳ならよいものを、35歳とは私を後家と見て馬鹿にしているに違いない。絶対に、娘はやらない!」

 

  そこから悶着が起こり、双方が評定所へやってきたときの担当は老中の土井利勝だった。双方の言い分をどう裁定するかすぐには結論が出せず、土井利勝もその他の面々(奉行や大目付、目付など)も白州を前にしばらく沈黙してしまった。

 

  ・・・この話は中村彰彦著「知恵伊豆と呼ばれた男」85頁に書かれており、現在また話題沸騰中の皇族の娘と一般人男性(無職)との結婚話で誰も結論が出せないままになっているので思い出してここに載せることにした。

  話がもつれた時こそ、東大卒の頭が切れる人の出番だと思うが、世論は分かれ、東大生はクイズ番組には出ても時事問題には発言せず、政府も宮内庁も誰も答を出せない。現代に実は賢い人はいないのかもしれないが、この江戸時代には1人いた。松平伊豆守(いずのかみ)信綱、通称"知恵伊豆"である。頓知の一休よりも数多い逸話の中でも自分の中では上位にランキングしている話である。

 

  将軍家光は信綱の人物を見込み、その方も公事(くじ、訴訟のこと)に加われ、と命じてあった。その信綱が自分の脇でにこにこしているのに気付いた土井利勝は、何かいい考えがあるのだろうと思い、裁きを信綱に委ねることにした。

 

  すすみ出た信綱は、まず言った。

「母の申し立ては、まことに道理である」

  すると、聟が反論した。

「私は年齢を偽る気はまったくありませんでした。媒酌人が誤ったのは私の咎(とが)ではなく、縁組が決まってからこのようにとやかくあっては面目を失ってしまいます」

 

  これには後家が口をはさんだ。

「すでに申しましたように、娘のちょうど倍の年なら娘を嫁がせますが、35歳とあっては話が違います」

 

  それを聞いた信綱は、申しようまことに道理と繰り返し、娘の倍の年なら嫁がせる、とまず後家に証文を書かせた。それからおもむろに裁断をくだした。

 

  「聟は、祝言を挙げるまで5年待つべし。5年たてば15歳の娘は二十歳(はたち)、35歳の聟は40歳、ちょうど娘の倍の年になるではないか」

 

  この実に明快な判定に土井利勝以下はすっかり感心し、媒酌人は大いに喜んだ。ちなみにこの男女は本当に5年待って夫婦になったというのだが、著者曰くいささか出来過ぎた話のような気がしないでもないと。

 

  先日28枚にも渡る長い文書を発表して更にもつれている上の話も、先がどうなるのか、まだ放置するのか、いろいろ気になるところだが、早く結論を出すべきであり、そのための評定所のような機関を先ずは設置する。

 

  そして、通常選ばれそうな政治家や役人だけでなく、特に賢い人を中央に据えて信綱のような簡潔明瞭な判定を下させると良いと思う。