ついに信長から初の打擲(ちょうちゃく)を受けた光秀。
予告にチラと映ったが次回でも受ける。もし対武田戦が終わった後の場合だと、「我らも骨を折った甲斐がありました」と言っただけで「お前がいつどう骨を折った!」「骨を折ったのはワシじゃ!」と、皆の前で欄干に額を押し付けるほどの侮辱を受けた。こうなるともう本当にサイコパスである。
以前書いた通り、やはり正親町天皇との繋がりが信長の嫉妬を受けた今回。天皇と光秀とは互いに高い教養を持った話ができる仲で、他に誰も同じことができない。
満月が美しい夜、御所の庭で、
「お主、月にのぼった者の話を知っておるか?」
「桂男のことでございますな」
あの場面は実に良かった。おそらく今大河最高のシーンだろう。
現代も、コロナをはじめ経済や少子化、環境、国際関係など様々な難題に囲まれている状況にあり、全然出口が見えていない。そんな中で唯一の正解は高い教養を持った者同士の新しい繋がりしかないはずで、歴史の逆転劇も大抵そうだった。
後醍醐天皇と楠木正成、後白河法皇と源義経、大化の改新も幕末も身分の垣根を越えた何かがあった。奈良時代末の和気清麻呂や戦後の白州次郎も同様である。
残念ながら現代には未だない。だから何も解決しない。専門家と言われる人たちも教養的には低く嫉妬深く、身分の垣根にこだわり、本物と偽物の区別がつかず、旧来良いとされる当たり障りのないものを良いとするだけで、自分の見方を持とうとしない。
織田信長も革新的で合理的ともてはやされる一方、今回の通り女子供も容赦するなというセリフが出てくるのは人物的に劣っているからである。名刀“圧切り長谷部”(へしきりはせべ)の逸話の場合、怒られた茶坊主が卓の下に逃げ込んだところ追い掛けた信長がその刀を抜き、卓の上から圧し切ったから名付けられたというが、染谷将太なら演じられると思うし、終わった後のどうしようもなさまで漂わせると思う。
父信秀以来の津島港での楽市楽座で得た経済力で信長が鉄砲を揃え、乱世を終わらせたことは確かだが、次の世の中を用意するビジョンに欠けていた、破壊者に過ぎなかったことも確かである。
それでも大衆の多くは、現代人も含めて信長のような人にマウントを取らせたがり、自分もあやかりたいと思う。
違和感を覚える光秀が何かと格好よく見える。ブラック企業なら出て転職してしまえばいいだけだが、そうもいかない状況。考えに考え抜いた末、6月2日まで周囲を徹底して欺き、ついに事を成功させたのが本能寺の変ではないかと思う。