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(麒麟) 身勝手な主に仕える家臣の器?

  分かりやすい回だった。

 

  信玄がUターンしたため信長包囲網が形成できず、陰謀の核だった宇治の足利義昭は降伏した。更に信玄死去の情報から織田軍は朝倉浅井攻めに全軍を投入してついに滅ぼした。

 

  もはや京の周囲に敵はなくなり、信長は朝廷に言上して天正改元し、次に奈良東大寺蘭奢待を所望した。今井宗久は"山の頂点に立ったから見たい景色もある"と述べ、正親町天皇は"変わり者よのう"と半ば呆れた。

 

  光秀は真面目なので、まだどんな世の中を作るのか定まっていない今は"山の頂点ではなく中腹のようなもの"と言った。今回の最後は幕府の重鎮だった三淵藤秀の更迭に困惑する話になったが、藤秀は「主(あるじ)とはそういうもの」と述べ、どう仕えるかが家臣の器(うつわ)と話した。前の主の義昭とは全く違うタイプの信長だからこの更迭は仕方ないとは確かに思う。

 

  全体的に「麒麟がくる」の信長は特に国家観を持たず、ハイレベルな英雄とは描かれていない。その意味では現首相の菅義偉氏も著書で国家観がないと吐露し、先日は王貞治杉良太郎などのレジェンドたちと高級ステーキを食したりして近く見える。

 

  そんな信長を見て戸惑う光秀がこの先どう裏切るのか? 菅総理も今のままではたぶん裏切られる。真面目な国民ほど見離す。いや見離すしかなくなる。

 

  少し前までの世の中だったら、身勝手な社長(会長)に仕える幹部社員が格好よく映っているものだった。朝遅く出社し、社員たちがずらりと揃ってお辞儀し、愛人がおり、朝令暮改に社内が振り回された。

 

  しかし、国力が劣り、議員が劣り、他国から馬鹿にされ始めた現在、愚かな主に仕えることこそ家臣の器なんて言える状況ではなくなってきたように思う。まだ大きな動きは見えないものの、そのうち本能寺の変のようなことは各地で起きることだろう。

 

  例えば、いまNHKの番組で日本の科学が政策の誤りで深刻な人材不足と資金不足に陥っている話を放映しているが、これも小泉竹中から安倍菅に至る愚かな考え方が原因である。

 

  短期間で成果を求める新自由主義的な競争重視が本当に良かったのか? 結果は明らかである。ならば竹中を放逐し、新しい人材に入れ替え、新しい考え方を公式に採用し、部分的には大きな政府にしなければならない。