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(麒麟がくる) 戦線拡大成功の鍵は賢者の有無

 昨夜の「逃げよ信長」。

 

  帝に拝謁して“天下静謐のための戦”という大義名分を掲げ、諸国の大名を動員して越前の朝倉義景を討とうと入国しかけたものの、義弟の浅井長政が裏切ったため急遽Uターンした話だった。

 

 力をつけた後に拡大をはかって遠方へ軍を進めても、戦線が延びきったところを突かれると弱い話はよくある。同時代の上杉謙信関東管領になったからと越後から鎌倉へ入ったが、小田原城だけでなく補給線の寸断など北条のゲリラ的抵抗もしぶとく結局Uターンした。戦力温存して戻れたらまだ良い方で、かつての大日本帝国も南太平洋に戦線拡大したが最後は大敗北を喫した。敵将マッカーサーはフィリピンで敗れていったんオーストラリアまで引いたが、日本の隙を突いて太平洋の小島に飛行場のある基地をつくりながら点々と北上する“飛び石作戦”でついに厚木飛行場まで辿り着いて勝利した。

 

 現代の企業でも、ちょっと儲かって気を良くした社長が2号店、3号店と戦線拡大をはかったものの失敗する例はよくある。朝倉攻め直前の信長のように未来もずっと勝ち続けるという根拠のない自信というか過信がそうさせる。ではどうすれば良いか? 

 

 多数の支持を得るための方法はいろいろあるが、特に各地の有能な才能を持つ者が織田の味方になるかどうかが鍵になる。美濃の竹中半兵衛、播磨の黒田官兵衛、安芸の小早川隆景信濃真田昌幸、越後の直江兼続など、あの時代に知恵者と呼ばれる人たちが織田支持に回ったことは本当に大きい。無駄に戦をせずとも説得で降伏させたり、難敵を奇抜な戦術で破ったり等、実際に多かった。

 

 逆に、賢者が味方をしない場合は自滅する例も多く、例えば信玄亡き後の武田家は佞臣たちが勝頼を操って旧来の二十四将の面々が遠ざけられ、長篠の大敗北につながった。室町幕府も奉行衆だった明智光秀が義昭や晴門を見限り、今回の金ケ崎撤退戦のように信長のため殿(しんがり)を引き受ける時にはもう終わりかけていた。

 

 賢者がなびくには当然、上に立つ者がその才能を認めて使い、報いることが重要である。明智光秀の名前が歴史に出てくるのはこの金ケ崎の時からと言ってよく、殿という援軍の期待できない役を小勢で引き受け、本軍3万を無事に帰還させたからこそ、信長も周囲も光秀の発言に耳を傾け、やがて着実に戦線を拡大させていった。