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(大阪都構想) 単なる“維新の乱”に終わった

 昨日の大阪都構想選挙は僅差で決着がついて良かったと思う。

 

 大阪に住む人々による多くの生の声の通り、府政や市政が維新の会に変わって職員の接し方や公衆トイレなど大阪が良くなったことは明らかだが、もし都構想が決まっても4区に統廃合を進める過程で様々な問題が生じたり、その隙間に良からぬ勢力(外国含む)が入り込む恐れは十分にあった。しかし、敗れたとはいえ僅差というところに市民の良心が伺えるし、今後もまた別のビジョンを掲げて若い吉村洋文氏には頑張って頂きたい。

 

 そのビジョンだが、俗に言う大風呂敷を広げるようなものと、そうではないしっかりしたものとの違いに今回触れたい。

 

 例えば昔、橋下徹市長が掲げた「道頓堀川をプールにする」構想は大風呂敷の典型である。そのイメージ画像の夢に誰もが共鳴すると本気で思ったのだろうか? 橋下氏を見出して後援した有力者に評論家の故堺屋太一氏がいるが、彼も昔から大風呂敷のビジョンを掲げることが好きだった。大阪万博の成功を自慢して愛知博を立ち上げたが半年の期間中5ヶ月は閑古鳥が鳴いていたし、東日本大震災の後にもチャンスと捉えて似たようなものを造ろうと唱えたり、経済企画庁長官になった時も2千円札を大量に刷ったものの市場に回らず、等々、けっこうスベり続けていた。

 

 今また竹中平蔵氏がお得意の特区を国のカネでつくって主にデジタル系の新技術の実験場にしようとしているが、「竹中のせいで就職氷河期が悪化した」とヤフコメに書き込む若者が多いように、そこに愛がないため(竹中の発言の中に福祉や環境保護や震災被害者への配慮などは微塵も無い)、この特区もおそらく大風呂敷に過ぎずスベると思われる。

 

 ちなみに菅総理大臣は、小泉政権時に竹中氏と郵政民営化を進めた縁でか、最近も積極的に彼の大風呂敷に耳を傾けているらしい。郵便局が民営化してサービスが向上するよりも先に、スマホ端末への切り替えができていないこともあり、クロネコヤマトに宅配荷物を取られ、佐川急便に通販荷物を取られて青息吐息の状態である。かんぽの不正事件もそうだが、民営化したからといって何でも成功する訳ではない。

 

 それでは大風呂敷ではない新ビジョンとはどういうものか? もちろん現実的に緻密で漏れがない計画は必要だが、頭上に掲げるからには新しい思想哲学が大事であり、それがカギになる。

 

 成功した代表例には、フランス革命の思想的支柱になった社会契約論のルソー、イギリス名誉革命の理論的支柱にジョン・ロックアメリカ建国時のジェファーソン、日本でも幕末に頼山陽が「日本外史」で展開した循環史観が全国の志士に広まり徳川氏を絶対ではなく相対視して倒幕につながった。

 

 これら全て、「お上が言うことやることは全て正しい」という王様の独裁に何かおかしいと疑いの目を向け、本来誰にも備わる人間理性を掘り下げ、理想的な政治のあり方を追究したものばかりである。

 

 現代でも日本のブラック企業の職場には社長や職長の独裁のもと、低賃金重労働に喘ぐ人や、それが耐えられず転勤・退職に流れる人など多数で、世界一生産性が低い国と呼ばれる所以になっている。これが一向に改まらないのは上述の思想哲学が無いからである。

 

 人間とは何か? 理性とは何か? 尊厳とは何か? 人間や環境に合った社会システムとは何か? 具体的にどう進めるか? しっかりと考え、または考えた作品を共有する習慣が根付いていれば、独裁を長く許すことはなく、自浄能力が向上する。

 

 早い話が内乱に終わってはならない。江戸時代後半に同じく大阪で大塩平八郎の乱が起きてすぐに鎮圧されたが、今回の選挙も単なる維新の乱に終わって鎮圧されてしまった。

 

 もう30年前になるが、都市博中止を掲げただけでカネも特にかけず都知事になってしまった青島幸男氏が選挙後にポカーンとしていたところへ、私は循環型経済(サーキュラー・エコノミー)の実験場を跡地につくるよう進言する手紙を送った。すると唐突に知事がこのビジョンを掲げ出したことがあったが、これこそ循環型社会の最初だと勝手に思っている。知事退任後も二科展に「循環」という名の作品を出したりしたが、ついにその契機には触れず亡くなってしまった。

 

 最近は海外でも有力な次期経済ビジョンとしてサーキュラー・エコノミーという言葉が頻繁に聞かれる。下記スライドの通り永く使えて耐久性の高い製品が主流になってきている。この入口戦略とは逆に出口戦略が目立つ日本の関連企業の多くは、循環型経済といっても分別回収のリサイクルの意味としか捉えず、下記の衣食住の全てに渡る新ビジョンには挨拶は返しても詳細には耳を傾けず無視している。