賢者のつもり

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(麒麟がくる) 襲撃の失敗例を敢えて持ってきた今回

  昨夜の大河は管領細川晴元が実力者の部下三好長慶とその右腕松永久秀を京都の茶会に誘(おび)きだして家来たちに襲撃させる事件を描いた。どこまで実話か(あるいは全部架空か)分からないが、視聴者には当時の幕府内の対立関係のゴタゴタがいちおう分かるようになっている。そして結果的には失敗して長慶と久秀は脱出、付近の長屋の窓から晴元はしくじりおって~っと悔しがる。

 

  いったい何故このような話にしたのか半日考えてみたところ、やはり光秀には残されている資料が余りに少なく、特に前半生は全く不明で、最後の本能寺の変を成功させたことが一番目立っていることから、同じ京都の襲撃事件、しかも成功した光秀とは違い失敗例を描いて対比させたと考えられた。

 

  主な失敗の原因は、先ず晴元が襲撃作戦を家来たちに教えたために遊女屋で話が漏れ、壁越しに聞いた伊平次が幼馴染みの光秀に伝え、それが早期の救出に繋がったこと。後の本能寺の変では光秀は徹底して秘密を貫いて自分の中だけに隠し、京都西の愛宕山でようやく数人の腹心のみに伝えた。したがって桂川を越えて「敵は本能寺にあり」となっても、軍勢のほとんどは家康か誰かを討つのかと思っていた記録が残っている。

 

  次に今回の襲撃は昼間行われたが、本能寺の変は深夜に行軍して早朝に行われた。そして大軍で包囲して逃げ道を塞いだ。これらの判断は光秀の長年の軍事経験から得た結果で、だからこそ包囲された信長は森蘭丸から桔梗の旗と聞いて「是非に及ばず」(じたばた言ってもしようがない)と観念した。

 

  このように今回の大河は、最後のクライマックスに向けて早い時期から京都や襲撃、本能寺(当時の種子島との深い繋がりを紹介)などのキーワードを散りばめて、知らず知らず視聴者は変への1本道に誘導されている。

 

  襲撃や暗殺自体はたくさんあり、室町時代でも6代将軍足利義教は赤松満佑からカルガモの親子を見に来てと誘われて殺されたり、太田道灌は風呂を勧められて裸になったところを襲われた。失敗例では信長の2度の狙撃事件が有名だが、成功例よりも数的にはたくさんあるだろう。

 

  そして、合戦や襲撃の成功と失敗を決めた分かれ目は何か、他国で起きた事例の情報もたくさん集めて自分の作戦に活かす再発防止対策も当時は当たり前のように行われ、それが戦国時代が後期になるに従って洗練されていくようになった。分かりやすい事例としては27歳の若い織田信長桶狭間今川義元の大軍を破った話が各地に広がり、以後は敵地の危険地帯で安易に休息をとらなくなり、同じタイプの合戦は遠く九州南部で島津が大友を破った事例以外は見られなくなったことが挙げられる。また、平地で鶴翼の陣形に広がっても、三方原の合戦や分倍河原の合戦のように敗れやすい事例と、毛利のなるべく丘の上に砦を築く戦い方から、平地での包囲は次第に見られなくなった。後の羽柴秀吉柴田勝家が対陣した賤ヶ岳の合戦では、両軍とも各丘の上に陣を構えて睨み合い、その次に秀吉と家康が対陣した小牧長久手の合戦でも同様の展開から長期の睨み合いとなった。

 

  ひるがえって現代の再発防止対策はどうか?  事故や事件が起きる度に原因を分析しても、誤った分析と誤った対策は行われていないだろうか? 社員たちが毎朝事故防止カードを唱和するとか、出発前に本日の事故防止目標を書かされるとか、心理的にも時間的にも余計な負担がかかるほど馬鹿馬鹿しい繰り返しから、また事故がどこかで別の誰かが起こし、その度に社員全体に新しい作業が増えていってはいないだろうか?

 

  事故やミスはいわば順番に誰かに起こり、決してゼロにすることはできないからと、社員に余計な負担を負わさない社長もいるし、それでは保険会社から等級を上げられるから放置はできないという社長もいる。しかし、戦国時代の再発防止が合戦という命が掛かった所から来ているから余計な作業にはなっていないのに対し、現代の場合は幹部が事故報告を受けた時に生じる不快の解消が優先されるために駒である社員に負担を負わせて良しとしている。こうして無意味な社風や慣習が固定されて賢明な若者は起業や投資の方向に流れ、日本の生産性が落ち、国際的な競争力も落ちていく。良かれと思って各社が唯一の宗教のようにやっている再発防止対策の誤りが全てとは言わないが元凶である。

 

  話がだいぶ逸れてしまったが、大河は今のところ過去の失敗を反省してうまくやっているし、光秀も正しく考えていったから誰も倒せなかった織田信長を倒す襲撃を成功させられた。