賢者のつもり

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(騎士団長殺し) 低迷期に悩む人への応援歌

  幡大介の剣豪モノに少々飽いてきたのは、誰かも言っていたがとにかく人が斬られ過ぎる、相手が柳生道場や伊賀流忍者、黒脛巾組などとはいえ、斬られる人が多すぎて気分が悪くなるほどだった。

 

  そこで大勢ではなく最も重要な1人を斬り殺す小説になったのか解らないが次は村上春樹著「騎士団長殺し」を読んだ。

 

  先日とあるインタビューで読書家で知られる芦田愛菜が読んで面白かったとも言っていた。果たして前編の「顕(あらわ)れるイデア」を読んだ限りでは、相変わらずアンチたちが呆れている無駄な性描写が多く、この本を何故面白いと言うのか全く理解出来なかった。たぶん同じ阪神地域出身のよしみもあったのだろう。

 

  しかし、後編「遷(うつ)ろうメタファー」では前編の様々な伏線がうまく回収されており、特に最後はあれほど著者が嫌っていた家族的幸福観で締め括られていたので、ようやく老年になって野良猫ではなくなってきたのかなと思われた。

 

  主人公の「私」を転向させる存在としては全くリアリティのカケラもない騎士団長は、この本ではイデアが短時間だけ生身の人間の形態となって顕現する身長60センチほどの白い服を着て剣を腰に指す老人だが、どうもどこかで見たような気がした。

 

  すぐ思い出したのは20年前の自著「哲学者16人の謎と真実」の最初に出てきた知恵と思索の神、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)で、舞台が神奈川県の思金神社という点でも「騎士団長殺し」が小田原の海辺の山なのでいろいろ似ているところがある。

 

  ただ更に遡ると、大昔に諸星大二郎が描いた漫画「太公望伝」も若い太公望の前に突如白い服の老人が出てくる。この老人が何者なのかは直接読むことをお薦めする。諸星作品は他にもエヴァンゲリオンジブリなどに多大な影響を与えているので気になる人はネットで検索してほしい。

 

  それはさておき、イデアが実体化するとは本当に小説の中だけに限られる虚構なのか? アイデアを現実化する場合は絵や文章、品物などがあるし、音楽の場合は楽器を通して顕現する。これらは人為的作業だが、転校しても転職しても自分の前にある一定のキャラクターたちが現れて関わってくる場合もイデアの実体化したものといえ、騎士団長と同様に本人にしか見えないし解らない。

 

  仏教で否定的にとられる因果にも似ている。この因果の呪縛を強制的に断ち切ってしまうことこそ、騎士団長を剣で殺すというメタファーではないかと読んだ。もちろん若き画家の雨田具彦は実際には刺せず、恋人他の人たちの前で刺す絵に残して梱包した。

 

  主人公の私は伊豆でいよいよ死期迫った雨田の前で騎士団長を刺すことで本懐を遂げたかのように思われたが、ここで物語は新たな虚構、すなわち蓋から顔を出したメタファーが登場して暗い穴の長い道を抜けていく。この辺りは「不思議の国のアリス」や、諸星大二郎の「暗黒神話」にも登場した地底の世界を思い出す。

 

  一般的には長いスランプに陥った人や鬱状態から抜け出せない人、受験浪人や就職浪人、結婚したくてもできない独身者、病気や怪我の治療中の人などもトンネルや洞窟の中を歩いているとは言える。

 

  そして長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった、ではなく、この小説では再び自宅の裏山にある穴に戻り、友人に発見してもらうオチになっている。この穴は絵画で描くときに女性の陰部にも似ているとあったが、だとしたら仏教の金剛界と対置する胎蔵界のように、お腹の中で栄養分をもらいつつ徐々に人間化して新たに生まれ変わり、産婆の助けを借りながら出てきた訳なのだろう。

 

  主人公の「私」はとにかく、まりえを助けたいがために洞窟の中を様々な罠や誘惑に引っ掛からず適切に歩き続け、ゴールに辿り着いた。まりえの無事も知る。誰もがトンネルを抜けられる訳ではないが、特に格好いいところも何もない人でも抜け出ることができた一例を示すことで応援歌としているのだろう。