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幸福の基準を集団の熱狂に置く間違い

   「良い時代」とは何を指すのか?

 

  そんな疑問を持ったのは、政府もマスコミもただ国民が「熱狂」していればいいと思い込んでいるのではないかと感じられたからだ。最近では新元号「令和」に変わる時のカウントダウンなど熱狂している様子の報道、東京オリンピック大阪万博の開催が決まった時の熱狂、お花見や花火、大ヒット映画など、確かに嬉しさ満開の表情を見ると幸せそうに見える。

 

  しかし、国民の幸福を図る基準がもし熱狂しかなければ、それは単なる誤魔化しではないだろうか?  ほんの一時的な熱狂した様子だけをメディアが切り取って、これで政治が成功したとか安定したとか、現象の1つに過ぎない。

 

  多額の金と時間をかけて準備して、何も盛り上がらなかったら失敗、熱狂したら成功、それだけの話だったら、我々は感情を振り回されている1人に過ぎなくなる。

 

  たとえ熱狂はない静かな時代であっても、高次元の人物、高品質の物、技術、深い話、厚い人情、偉大な何かに溢れていれば、「良い時代」と言えるわけで、熱狂する集団はその次に発生する現象の1つであって、現代はこれらが少なくなっているのに熱狂を主目的にしているから間違えている。

 

  高齢化社会を迎えるに当たって、様々な価値観の転換が求められているが、政府の予算を使う基準を熱狂や盛り上がりに置くのは一昔前の若者が多い頃の手法であって、成熟した社会を深めるためにももうやめた方が良い。