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感情を重視する記憶術

  「感情」「記憶」で検索すると、まだ新しい題材だと分かる。というより、まだ未知の部分が多い新しいテーマのようだ。

 

  何故この話をするかといえば、先日林修氏の番組で取り上げた「定期テストのない学校」の話が再びネット上で記事になっていたからである。これはテストがない学校と勘違いされやすいが、中間テストや期末テストなどの定期的なものに意味がないとするだけで、テストそのものは単元の終了ごとに行い、再試験も行って生徒が理解し修めることを最優先にするのだという。ネット上では賛否あり、否定的なものの中には定期の方が生徒側の家庭が予定を組みやすいという意見もあった。

 

  生徒の修得を最優先と言っておきながら、その実は教師側の都合を優先している面もある。記憶の完成に本当に重点を置くなら、感情の話を抜きにはできないのではないか、というのが「5素サイクル」なので改めて冒頭のように「記憶」「感情」で検索してみた次第である。

 

  ロザンの宇治原さんもお薦めとの記事もあったが、諺の「食い物の恨みは忘れない」が最も分かりやすいと思う。すなわちミスして悔しい思いをすればなかなか忘れないのである。あまりマイナスな感情ばかりでも良くなく、良い教師とは、生徒の感情を揺さぶって面白がらせたり、惜しいと悔しがったり、あともう少しと発奮したり、そうだったんだと感動させたり、そうするうちに上達していくものなのである。

 

  ではなぜ記憶と感情の話が新しく、今まで無かったかといえば、コンピューターの創始者、ノーバート・ウィーナーが考案したサイバネティックスがそうだったように、人間を「制御装置」と「制御対象」、対象を提供する「環境」、それに装置へ関与する「プログラム」の4素で捉えていたからである。記憶する状況を感情抜きにコンピューター的に捉えられなくもないが、人間にはもう1つ、感情の要素が加わらなければ実際的でも有効的でもない。

 

  つまり、林修先生がその校長に教えを請う構図に違和感を感じ、逆に校長が本当に生徒の記憶を高めたいのであれば、林修流の面白い教え方を教師に身に付けさせるべきなのである。