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逃走論から始まった現代社会の退却

 17世紀のデカルトから始まった近代哲学の隆盛は、科学や産業の発達とともにヒューム→カント→ヘーゲルニーチェサルトル→レヴィストロース→デリダへと進展し、20世紀末にパタリと止まった。

 

 1980年代まではまだ哲学思想の世界は活発で、デリダほどではないにしても大小様々な哲学者や思想家が登場した。古代ギリシャや古代中国のようにまだまだ知的進展はあり得ると思われた。(私の体系も1989年頃にできたものだ)

 

 しかし、1990年代にウィンドウズパソコン、インターネット、21世紀に入ってクラウドスマートフォンが出て来ても、哲学思想の大物は一向に出て来ず、この事実は、知的に平凡なまま内外の政治や経済、科学を実行しているということになる。

 

 平凡で並なままと言っても具体性がないが、日本の場合は最後に現れた思想家が80年代に「逃走論」で一世を風靡した浅田彰だった。彼はまだ存命で、90年代以降は谷沢永一に批判されたり、ソーカル問題に巻き込まれたりとたいして目立ってはいないが、それでも80年代を代表する存在だったことは否定できない。

 

 そして、彼の提唱した逃走が当時の東西冷戦の厳しい情勢下で受け入れられ、今も根強く残り続け、根治しないまま現代の不透明感を増大させている。逃走論では向かう先が新時代のネットワークとされ、それが後のゲーム世代やオタク文化を生んだ。

 

 一方、逃走は軍事的には決してあってはならない行動だ。逃走すれば敵は弱まらない、追いかける、背面を襲われる、命や財産が危険になる。逃げ切っても敵は生き残る、自領が占領される。軍事上、敵前逃亡が銃殺刑になる国が多いのは味方全体の士気を崩すことにもなるからだ。

 

 まさしく浅田彰の逃走論は1980年代の全軍撤退を引き起こしたともいえ、そのまま90年代以降、逆襲に転じることもないまま現代に至っている。まずバブル経済で貴族的栄華に耽溺して武人の心を忘れ、バブル崩壊後の経済は人件費の安い海外に生産拠点を移したため産業が空洞化し、雇用が減り、失業者が増え、商店街もシャッター化し、中国経済に敗れ、若手技術者が海外に流れ、技術力も劣り、政治家も劣化し、教育も低下し、事件が凶悪化した。

 

 したがって、まずは逃走論とその現象の本質を見直した上で新しい何かを、ポストモダンの反省も含めて打ち出すことが急務である。