この元服につなげるために直虎と政次の物語が紡がれた大河ということか。いちおう面白いものの、南渓和尚が家康に託してそう名付けた展開よりも、万千代が望んで自ら名乗った方が良いように思われた。家康は政次をそれほど知らないはずだからだ。
あと、小牧長久手の戦いで初披露となった井伊の赤備えでは、南渓の弟子の2名の僧侶が武装して従った話もあり、直政の両脇を固めることを期待した。そして秀吉に勝利する様子を幼いおとわたち4人が見つめる光景があっても良かった。
それを言い出したら井伊直弼の桜田門外の変までキリがないかもしれないが。