草分け中

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戦争は哲学史とともに進化した

1,ファランクスとプラトン

 

 ギリシャ時代の戦い方は、主に「ファランクス(密集方陣)」が用いられた。右手に槍と左手に盾とを持ち、縦数列✕横数列で密集する。理想的なファランクスは、最強のスパルタのように教育育成が徹底されたものだった。この理想に近づけようとするところは哲学者プラトンの「理想のイデアへの憧れ」にも通じる。

 

 

2,アレクサンドロスアリストテレス

 

 ギリシャを統一して遠くペルシャやインドまで征服した王はアレクサンドロス。彼は従来のファランクスに遊撃騎兵を加えたり、左右のファランクスを後ろへ引いて敵の中央が左右に引き裂かれたところを騎兵で突っ込んでダレイオス王を討つなど現実的な応用に長けていた。幼少時の家庭教師だったアリストテレスプラトンの弟子だが現実的に動植物を分類したり政治を考えるところがあった。ファランクスの応用自体はテーベの戦術家エパメイノンダスがスパルタを破り、弟子にアレクサンドロスの父フィリッポス2世を指導したことが大きい。

 

 アレクサンドロスの他、著名な古代の戦術家にはハンニバルカエサル韓信孔明、バトゥなどがいるが、いずれも包囲戦と奇襲に長けており、陣形の妙をつくる点と隙を突く点ではいずれも現実的でアリストテレス的といえる。歩兵、騎兵、弓矢、盾、槍などの時代が長らく続く中、近代になってようやく、戦争に数学を取り入れて常勝となる英雄が現れた。

 

 

3,ナポレオンとデカルト

 

 大砲の使用は中国の火薬玉に起源を持ち、モンゴルの遠征でヨーロッパに伝わった。誇り高い騎士たちと違いフランスの農家の娘ジャンヌ・ダルクは大砲を効果的に使用してイギリスに勝ち、彼女を尊敬する砲科出身で数学が得意なナポレオンによって更に角度の精度や撃つ場所などの技術が高められた。フランスでは17世紀にルネ・デカルトが現れ、数学座標や理性を重視し近代哲学の父と呼ばれた。

 

 

4,ウェリントンとロック、ヒューム

 

 ナポレオンをワーテルローの戦いで破ったのがイギリスのウェリントン。大雨が降った翌日で地面が泥でぬかるみナポレオン自慢の大砲を運用できず、地面が乾く昼まで開戦時間が延びたことが、イギリスの同盟軍プロイセンの到着が間に合い決め手となった。哲学ではフランスのデカルトに代表される演繹法に対して、17世紀イギリスのロックや18世紀スコットランドのヒュームは帰納法といい、数学以外の多くの要因から答を導き出す。

 

 

5,モルトケヘーゲル

 

 ドイツのモルトケもナポレオン戦術に疑いを持った1人だった。哲学では、演繹法帰納法の他にドイツのヘーゲルが唱えた弁証法があり、正ー反ー合で知られる。反に当たるところに新しい技術、電信や鉄道の普及があると、ナポレオン時代の進撃方法よりも、数本の鉄道に乗り分かれて軍隊を運ぶ分散進撃の方が良い。こうしてナポレオン3世を降伏させた。

 

 

6,ロンメルニーチェ

 

 19世紀ドイツの哲学者ニーチェは秩序だったアポロン的と陶酔のディオニュソス的という対置を通してヘーゲルの理性至上主義を批判し、能動的ニヒリズム実存主義を唱えた。ここにナチスの暴走が関連するという見方もあるが、当時ドイツの若き元帥ロンメルの戦車部隊の暴走によるパリ占領、そして北アフリカでの戦闘も本部を無視してニーチェ的ではある。最後は本国からの補給が追いつかず敗れた。

 

 

7,現代思想と戦術

 

 戦術がない戦争とは、考えずに情緒に左右される戦いであり、哲学のない動物的な攻防に過ぎないものである。

 動物と動物の争いから離れたものとしてファランクスが出てきた。要するに陣形が現れた。陣形と陣形の争いに対し、戦術家は奇襲や包囲などを編み出した。近代になりナポレオンは数学を採り入れ、ウェリントンは更に多数の要素を入れてナポレオンに勝ち、モルトケは鉄道や電信などの最新技術を採り入れてナポレオン3世に勝った。ドイツ方式が席巻する中でロンメルは突出した積極性で暴れ回った。

 こうした流れの中、哲学は実存主義で一区切りし、その後は構造主義ポスト構造主義などが出たものの戦術家との関連性は薄い。核ミサイルを互いに配備して発言力を強め、経済的優位に立つ戦いの中で新たな平和哲学が求められてはいるが、人類の知能の限界が近づいているのか有効なものは聞かない。

 かといって動物同士で争う戦いに逆戻りする訳でもなく、世界は次の段階がどうあるべきか模索している。哲学者ももっと発信するべきだし、哲学者に耳を傾けるべきとは思うが、この哲学者によって、かつてのように人々が一段と賢くなるような展開はまだない。