「戦う集団」という言葉がある通り、全員が一致してコトに当たる集団はその人数以上の力を発揮するものである。
逆の言葉は「戦わない集団」、または「戦う人もいれば戦わない人もいる集団」。前者は敵が攻めてくれば敗北につながり、攻める気が特に強くなければ講和をしようとする。後者はよく見掛ける事例である。
源平合戦の時代の源義経率いる源氏軍もそんなもので、普段は若い義経をナメてバラバラな軍のため勝負が決着しない。そこで少数精鋭だけで鵯越の逆落としを敢行した。
現代のネット上のコメント欄も皆が自由気ままに書いている。言論の自由だから悪くはないが、有事の際は減らず口を叩いて行動が伴わない人が多数出そうである。
また、たまに玄人ウケする画期的なコメントがあったとしても、大多数の素人の意見の中に埋もれてしまう。言論の自由は希少な知恵の発掘のためでもあるのに。
ではどうすれば中途半端な集団を戦う集団にできるのか? 理論的にはまずリーダーに戦う気がある者を据える。次に補佐する者が何人か要る。そして全員が一時的には衝突し合う段階を経てやがて1つの方向に向け直す、といった過程を聞いたことがある。
もちろん戦わない者を排除し、戦う者を追加する入れ替え作業もいる。問題は、排除された戦わないリーダーを送られた部署である。戦う人たちが苦労し、戦わない人たちがのさばるようになる。
いよいよ有事となった際、賢明な判断を行って戦闘体制を整えることが重要である。