古くは「長い中世の暗黒時代」というように使ったりする。そこで中世と現代の黒の共通点を挙げてみたい。
まず、中世キリスト教のスコラ哲学には原因と結果の関係が全然科学的ではない。「これをしたら不幸になる」「あれを見たら悪霊に憑かれる」「彼女は魔女だ」等のように。一方、現代のブラック企業はサービス残業が多く各種ハラスメントが多いけれども、これらを行うと解決するという変な因果律に基づいている。
それがなぜ、現代になって再び黒色、ブラックが出てきたのだろうか?
中世を再度振り返ると、そこにローマ帝国があった。ローマ帝国の前身はアレクサンダー帝国で、アレクサンダーの家庭教師はアリストテレスだった。アリストテレスは師のプラトンを反面教師にして哲人政治という理想の失敗を踏まないようにした。
現代の企業も、当初は理想に燃えて拡大していった。しかし良いカタチは永遠には続かない。現実に合わせていこうとする。そして現実的に拡大する。かつての帝国のように。で、大きくなったところで、ローマ帝国後半のアリストテレス的なスコラ哲学のように、教条主義となる。
中世キリスト教哲学に決定的な大打撃を与えた哲学は、デカルトの後に出てきたイギリスのヒュームだった。ヒュームは「観念連合」という考え方で、教条主義の観念連合に必然性はないと述べた。そこから実験科学が重視され、より良い観念連合のために市場競争経済や議会制民主主義政治へと向かった。
現代にブラックが再び出てきたのは、近代がまだまだ弱いからである。この先の話は過去記事の観念分断などを参考に。伝統が何もかもダメという訳ではないが、このブラック化が中世の歴史と同じ流れで出てきていると思われたから整理してみた。