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とても分かりやすい? 知の歴史

はじめに
 
 哲学は諸学の根本と言われるが、哲学を学ぶには哲学史を学ばないとバランスが偏ってしまう。
 
 哲学史は市販の入門書でだいたいのところは分かる。その上で各哲学者を見ていくと、彼の師匠や弟子との位置関係から内容も的確に理解できる。
 
 
 
 さて、古代ギリシャからフランス現代思想までの長い哲学史の中でターニングポイントと言えるのは、「近代哲学の父」ルネ・デカルトである。彼のラテン語ではないフランス語の本(方法序説)が一部の教職者ではなく一般国民にも広く読まれ、さらに「我思う、ゆえに我あり」が人々に理性を使うことの大切さを自覚させた。
 
 社会科の教科書にはこのデカルト演繹法に対して、もう1つイギリスの帰納法が紹介してある。この哲学者には、観察→印象→単純観念→複合観念という流れを重視したロックやヒュームが有名である。そして、ヒュームの本を読んだドイツのカントが影響を受け、感性→悟性→理性という流れにまとめた。カントはさらに、理性の最終段階でも解決できない「必然か偶然か、無限か有限か、神はいる、いない」等の二律背反を挙げ、後のヘーゲルは「正ー反ー合」の弁証法を、理性が実現する歴史と説いた。
 

f:id:reigan3941:20160615221806p:plainヒューム

 
2.スミスからハイエクまで
 
 ヘーゲル哲学からマルクス唯物史観の「正ー反ー合」へと考え、資本主義社会の矛盾から最後は共産主義社会の勝利へと説いたが、実際はソ連や東欧をはじめ負けてしまった。何に負けたのか?
 
 実は英米両国の哲学史では、ヒュームからカントへの流れは全然重視してなく、むしろヒュームからアダム・スミス(経済学の父)への影響を見る。事実ヒュームの葬儀委員長はスミスが務めた。そして、スミスのミクロ経済学ケインズマクロ経済学という流れに対し、ハイエクケインズマルクスも傲慢だと批判した。一部の人間の計画で何でもうまくいく訳がなく、もっと自生的秩序を重視しろと。
 
3.裏ヒュームから循環まで
 
 その背景にあるのはヒュームの観念連合で、政府を小さくして規制を撤廃して競争を煽れば、観念連合が促進されてより良くなると。これが、1980年代に米英日の政権が採用した新自由主義経済学の骨子である。
 
 そして彼らは世界を席巻した・・・はずが、実はあまりうまくいってない。小泉竹中政権からアベノミクスまで、日本はまだ新自由主義だが、世界の各地ではとっくに見放されている。ただし共産主義に戻れという訳でもない。
 
 いろいろな学説が出てはいるみたいだが、どうもこれはという大きな学説は見当たらない。そもそも新自由主義がヒューム哲学から始まっているならば、そこまで遡って見直すべきというのが私のスタンスである。
 
 ヒュームが「類似、近接、因果の観念連合」を説いているから、真逆の「相違、遠隔、意外の観念分断」を唱えたものの、今ひとつ響かない。「市場競争が観念連合を促進する」けれども「意外なイノベーション」は観念分断も促進する。連合と分断の両方からどんな社会が考えられるか? 
 
 やがて行き着いた結論が「衣食住✕衣食住の循環型システム」である。詳しくは副題のメインサイトを。