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創世記〜生命の起源を書いた理由

 主サイト「タイバネティックスの講義録」では、約1ヶ月ぶりに記事を書いた。

 全18講からなる、哲学から社会科学への流れでいったんは終わったものの、実はまだまだ書き足りないことがあり、それを副サイトであるここ「異説ショー」で書くことにしたものの、こちらも歴史の循環法則のような流れみたいなものが出来てしまっている。

 歴史の循環史観ではなく、もう1つの直線史観ももちろん重要である。その直線史観を考えた時、どうしても一番最初の天地創造から始めなければならないことになる。

 そこで、自著の最終章に述べたかつての話をもう一度公開することにした。それが3月1日に上梓した「創世記」と、今晩か明日予定の「生命の誕生」である。

 詳細は講義録を見ていただくとして、ここでは切っ掛けのようなものを書いておきたい。まず私が一般の日本人よりは西洋人なみに聖書に詳しい理由だが、幼児洗礼のカトリック教徒であることが挙げられる。毎週日曜日には教会に行き、聖書物語も小学校低学年の時には読破していた。

 多くの日本人は西洋人ほどに聖書に詳しくないため、どうしても自然科学や社会科学の背景に無理解なまま教典のように崇める傾向があるように思われる。

 ただ、青年期にいろいろなことがあって離れていく若者もまた多い。私も宗教の非科学的部分(マリアの処女懐胎やイエスの刑死後の復活)、選民思想的部分、そして羊の群れのようにおとなしさを強制する部分、信者が増えないことへの長年の愚痴、独身を強制される聖職者など納得いかないことが多いため、通わなくなっている。

 その上で創世記を書くとは新しい宗教でも立てるのか、となるが、新興宗教の宗教家はB型が多いらしく、A型の私には馬鹿らしく思う。

 ちなみに好きな哲学者の1人でもある18世紀イギリスのディビッド・ヒュームも、懐疑論からくる無神論者でありながら晩年には「聖ヒューム」と落書きされた逸話がある。彼自身はむしろそれを喜んだようだが。

 最後に従来の創造論とこちらの創造論との違いだが、講義録にある通り、混沌を物質的な混沌ではなく、精神的な混沌と捉え、精神的な混沌が破られて精神的な普遍定数が定まった後で、各物質が出来上がったとする。

 そして、その推進役だった神が物質環境までを整え終わったところで、生命が神に替わって登場する。単細胞生物は、どんなに科学者が頑張っても無機物からはつくれないのである。