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(青天) 栄一と歳三

  渋澤栄一新撰組と会っていたことは前から知っていたが、このドラマでは土方歳三と同郷と知って打ち解け、何らかのプラスの刺激となるように組まれてあった。

 

  実際、当時の一橋家は慶喜が徳川宗家を継ぐ時でかなりゴタゴタしており、栄一も平常ではいられず、嫌いだった幕吏に進むか、郷里に帰って妻子と暮らすか悩んでいただろう。土方は武州の元百姓の先輩として1人のプロとして名を成すことを示した。

 

  このあと栄一が経済のプロとして道を極めることになるきっかけの1つにはなったと思う。

 

  今日は戦国時代の"おかしれえ男"藤堂高虎を知りたくなって小説など読んでいた。80石取りでスタートして、自分を頼りにする主君(豊臣秀長)と出会い、築城家としても有名になり、最後は徳川将軍家に頼りにされるまでに至った。どこか栄一とも似ているが、まだ最後まで読みきってないのでここまでにしておく。

 

 

 

(青天) 日本資本主義の祖父は慶喜かも?

  小学校6年の社会科は日本史だが、授業の時に担任が私に尋ねた。

 

  「徳川将軍15代の中で一番頭が良かった人は誰ですか?」

 

  少し考えると、初代将軍の家康は当然非凡だが、2代将軍秀忠から凡人が続き、8代吉宗で少し良くなる。あとは5代綱吉と15代慶喜ぐらいか?

 

  担任は「慶喜です!」と断言した。なぜ幕府を潰した最後の将軍が一番賢いのか? その理由は徐々に分かっていったが、筆者にだけは中高時もこうした変化球の質問が授業中によく飛んできた。

 

  「神道と書いてどう読みますか!?」(しんとう)

  「春は何色ですか!?」(青色)

 

  たぶん日頃から受験勉強とは関係ない様々な本を乱読しまくっていたことを知っていたからだろう。

 

  ある理科の時間に「磁力がN極からS極に流れるなら地球では南極がN極で北極がS極でないと方位磁針の赤い針が北に向きません」と言うと、教師が「その通りです」とあっさり認め、評価が5になった。電子が実はマイナスからプラスに流れている蛍光灯の話の時も同様で、なぜ最初の電池の時にプラスからマイナスと教えるのか不満で理系を嫌いになった。ジカに自身で確認することは少なく、多くは約束事を覚えている、だったら哲学の方がまだ実際的だ。観念論ではない哲学の研鑽(けんさん)に努めようと。

 

  話が脱線したが、慶喜は徳川家に生まれなければ確かにそれなりに成功した賢さがある。周囲に頑迷な愚か者が多い徳川家に生まれたからこそ苦労し、全く真逆な円四郎や栄一との出会いを大事にしたのだろう。

 

  栄一もいかに優秀でも、理解者がいなければただの下層民で終わる。円四郎に引き立てられ、慶喜が藩札を認めて勘定奉行に抜擢したからこそ、やがては日本資本主義が世界でも異例な成功を収める。そう考えると慶喜の優秀さに異議はない。

 

  次回以降は将軍となった慶喜鳥羽伏見の戦いに敗れたり、江戸に向かって船で撤退してり、大政奉還してしまったりと、一般的には残念な場面が続くが、主人公からはどう映るのか興味深い。

 

  多少の戦争はあったものの、近代化に向けて比較的ソフトランディングできたからこそ、後の日清日露戦争では野津道貫(みちつら)や大山巌など各地の優秀な元武将を総結集して勝利できたと思う。

 

  来たる対外戦争に備えて慶喜の深謀遠慮があったとしか思えない。もし泥沼の消耗戦を国内で続けたらその後の発展はなかっただろう。

 

事態を前に進められる人

  宮内庁長官を務めて評価が高かった故藤森昭一ウィキペディアからのコピペである。

 

伊勢湾台風の時は三重県庁総務部長として大災害救援活動に奔走した。

>1975年6月16日、佐藤栄作元総理の国民葬日本武道館で行われた時、待機していた三木武夫総理に右翼の男が襲いかかり、同総理をノックアウトした。この時、内閣参事官をしていた藤森は、犯人に組みついて逮捕し、この功労で警視総監賞を受けた。

>1982年(昭和57年)中曽根内閣の発足と共に事務担当の内閣官房副長官に就任する。副長官在任は中曽根内閣の5年間に及んだ。

藤森の部下であった佐々淳行内閣安全保障室長)は、著書『わが上司 後藤田正晴』(文春文庫、2002年)で、突発的な危機に官邸が対応できるよう、藤森は副長官任期中は一度も東京を離れなかったというエピソードを紹介し、その職務に対する責任の高さを賞賛している。

官房副長官退任後の1988年(昭和63年)6月14日から宮内庁長官を務める。在任中の1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇崩御という時代の節目を迎え、天皇崩御の報告会見を行う[3]。1989年(平成元年)2月24日の大喪の礼、翌1990年(平成2年)11月の第125代天皇上皇明仁即位の礼大嘗祭などを取り仕切った。1996年(平成8年)1月18日に退任。

 


Google 画像検索結果: https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20160627000957_comm.jpg

 

 どんな人物か顔だけでも分かる。泥をすすっても事態を前に進められる、良い意味で格好悪い人だ。

 

  こんな顔の上役が昔は結構いた。今はどこにもいなくなった。生きていても上には就けなくなった。

 

  スマートで小さなミスをせず、喋りがうまいだけの人を評価し、例えばコロナ担当の西村のような人だが、結局世界に比してワクチンの開発も普及も出遅れ、世界に誇る日本の飲食業を壊滅させ、給付金も世界に比して渋り続け、本職の経済再生もできず、今はあまり見なくなった。

 

  雅子妃の信頼も厚かった藤森昭一長官のような人がいないから宮内庁は長期化した小室問題を解決できないという話もあるが、別に人材不足は宮内庁に限った話ではなく、総理も官房長官も経済担当(竹中平蔵)も人材不足である。

 

  インドは小さなミスを特に咎めず前に進む国柄だからIT大国になったが、日本は中高生の間でも1つのミスや失言で終わってしまう窮屈さがある。

 

  藤森氏が退任したのも大きな成功の評価よりも泥臭い行動に伴う(雅子妃の結婚やその後の苦労への相談と対策)ミスへの周囲の圧力もあって最後は責任をとって辞任したと推測する。

 

  もしも、小室問題を破談で決着させる人がいたなら、裏に藤森昭一タイプが復活したとしか思われないし、この時代が反転して良くなると期待したい。

 

 

 

  

 

 

(青天を衝け) 学と金と人のバランス

  今回は結構面白かった。

 

  まず冒頭で、武田耕雲斎と藤田小四郎が率いる水戸天狗党が北陸で壊滅し、尊皇攘夷運動が一つの区切りを迎える。

 

  後半で栄一は天狗党の失敗を理念だけで資金が乏しかった点を指摘し、後の経済家としての顔が芽生えてきたところを見せる。

 

  現代に例えればヤフコメ民は「いいね」の数を増やそうとそれがもらえそうな屁理屈を書き込むが、実際の行動に物理的にも経済的にも結びつけないため理念の表明だけで終わっている。

 

  栄一は理念だけで終わらない一段上の"ある機能"を搭載した若者だった。江戸の裏角で武器を買い集めているところを見て平岡円四郎は声を掛け、少し話しただけでテロリストで終わらせるにはもったいないと見抜いた。そして強引に一橋家に引き込んだ。

 

  すると円四郎の慧眼通り、いやそれ以上の事を特に円四郎亡き後に立ち回るようになった。備中一橋領(岡山県南西部の井原市の辺り)での兵集めは、関東の兵集めで覚えたスキルを使い、それだけでは不十分と見るやあの手この手で頭や腕を使った。

 

  領内の塾に参加して論じ合い、笠岡の海で一緒に漁をしたり、剣術試合で自分を認めさせたり(そういえば日本の力士が黒船で一番の海兵と相撲をして投げ飛ばしたことで腹を立てたペリーが渋々認めていく話を思い出した)、酒席で胸襟を開いたりと。

 

  ハローワークやフロムエーなどの掲載を見ると相も変わらず安い金額と在り来たりの釣り文句しかなく、各企業の中高年の担当者が古い石頭で募集業務を独占していることが丸分かりだが、いざ自分にさせてもらうと、打つ地域を細かく分析して効果的に変更したり、金額アップを上司に認めさせたり、他社にはない新鮮なコピーを広告担当と腹を割って話したりして(東大祭りで「牛には酷だが串に刺す」とある屋台を参考にした)、あっという間に前年同時期より10倍以上も集めることに成功したことがある。

 

  ただ猛烈な嫉妬を受けることになる。栄一はその点、次に一橋家の懐を富ませる担当者につくことで回避した。財政が潤えば先輩上司たちの懐も潤うからで、ドラマには腐った代官への憤りしか描かれていなかったが、当然賄賂を握らせたりもあり、備中の代官もゲスだから脅しよりもカネで動いたと思う。

 

  最後に高評な草剪剛演じる一橋慶喜について。今回は実父斉昭も百姓を大事にして領内の産業を活性化させたとの発言があったが、こうした学問と武道、経済、政治をバランスよく斉昭から慶喜が引き継いで、元百姓で今は武士、後に経済家となる栄一が重用されるようになった。これもドラマには出てこないが、その更なる祖先に水戸黄門(徳川光國)がいる。大日本史を編纂した学、庶民にも愛された勧善懲悪な感覚、そして今でも水戸で食べれるが日本で最初にラーメンを食べた(黄門ラーメン)食通、経済家でもある。

 

  現代はまだどこもかしこも学はよく言えば専門家育成、悪く言えばタコ壺の専門バカ、経済は利益優先で製造業や農業を海外に頼って産業空洞化を招き、政治は二代目三代目の培養されたボンボンが占めている。

 

  ・・・と、今の私も理念だけで終わっている。

 

 

仁徳天皇 vs 小室圭&眞子、竹中平蔵

  今回もウィキペディアのコピペから始める。天皇126代の中でも随一と称えたい仁徳天皇の有名な事績である。

 

  >即位4年、天皇が高い山から国を見渡すと、どの家にも煙が昇っていなかった。これにより民衆が炊事もできないほど貧しいことを知った。そこで以後三年間、課税と労役を全てとりやめることにした。そして自らは、宮の屋根が壊れ雨漏りしても直すこともしなかった。三年が経過した即位7年、再び山の上から国を眺めると、どの家からも煙が立ち上っていた。諸国は課税再開を要請したが、結局即位10年まで課税停止は延長された。

 

  ・・・いかがだろう? 現在コロナ禍で多くの国民が青息吐息で苦しんでいるのに、30歳前の結婚を強行したい眞子内親王、しかも相手の小室圭は皇室にタカるだけの正体がバレている。もし仁徳天皇が現代にいたら絶対に起きない事案である。

 

  また、東京五輪で中抜き率95%が話題になっている派遣大手パソナとその会長、竹中平蔵。彼も国民に好かれたいなら仁徳天皇の事績に学ぶべきだが、まるで逆で私欲に走り、最近では諮問機関の尾身会長が「この状況で五輪をやることは普通はない」といった発言に「越権行為」だと激怒した件が多くの国民の批判を受けている。

 

  なぜ小室圭や眞子、竹中平蔵のような傍若無人ぶりが、炎上するだけで物理的に止められないのだろうか? それは現代の社会システムの欠陥なのだろうか? 政権が交代して仁徳天皇的なトップが立てば国民は精神的にも経済的にも暮らしやすくなるのだろうか? 

 

  法学的には自由権だけ追求して公共の福祉がゼロの点で共通している。逆に仁徳天皇は公共の福祉のために様々なことを自重している。無私無欲で公に奉仕している。結果的に人々は、仁徳の諡(おくりな)と、世界最大の規模を誇る古墳づくりに協力を惜しまない形で天皇の恩に報いた。

 

 

  

傍若無人な乱暴者は最終的には処罰される

  ウィキペディアの「天の岩戸」をコピペしたが、最も着目したいことは一番最後の部分である。

 

>誓約で身の潔白を証明した建速須佐之男命は、高天原で、勝ちに任せて田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりして乱暴を働いた。だが、天照大御神は「クソは酔って吐いたものだ、溝を埋めたのは土地が惜しいと思ったからだ」と須佐之男命をかばった[1][2]。

しかし、天照大御神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだ馬を落とし入れたため、驚いた1人の天の服織女は梭(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。ここで天照大御神は見畏みて、天岩戸に引き篭った。高天原葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した[3][4]。

そこで、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、対応を相談した。思金神の案により、さまざまな儀式をおこなった。常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。

鍛冶師の天津麻羅を探し、伊斯許理度売命に、天の安河の川上にある岩と鉱山の鉄とで、八尺鏡(やたのかがみ)を作らせた。玉祖命に八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)を作らせた。

天児屋命と布刀玉命を呼び、雄鹿の肩の骨とははかの木で占い(太占)をさせた。賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉八尺鏡と布帛をかけ、布刀玉命が御幣として奉げ持った。天児屋命祝詞(のりと)を唱え、天手力男神が岩戸の脇に隠れて立った。

天宇受賣命が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った[5][4]。

岩戸神楽ノ起顕(三代豊国)
これを聞いた天照大御神は訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、天宇受賣命は楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。

天宇受賣命が「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、天児屋命と布刀玉命が天照大御神に鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思った天照大御神が、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。

すぐに布刀玉命が注連縄を岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」といった。こうして天照大御神が岩戸の外に出てくると、高天原葦原中国も明るくなった[6][4]。

八百万の神は相談し、須佐之男命に罪を償うためのたくさんの品物を科し、髭と手足の爪を切って高天原から追放した[7][4]。

 

  ・・・スサノオをこんな形で厳しく処罰できるのなら、なぜ最初からできなかったのだろうか? 早いうちに乱暴を止めていればアマテラスが岩戸に引きこもることもなかった。

 

  ・・・いや、現実もこんなものだろう。いくらネット民が大勢批判しても、乱暴者はおかまいなしで、例えば竹中平蔵、例えば小室圭と眞子、例えば日当35万円を直さないオリンピック関係者、やりたい放題である。

 

  ・・・しかし、上記伝説では世の中が真っ暗になって初めて知恵者のオモイカネの言葉に耳を傾け、再びアマテラスに王座へ座って頂くと、神々は一致団結してスサノオを厳しく処罰した。

 

  そういう潮目が変わる出来事がもしあれば、今までの傍若無人な乱暴が何だったのかと思えるくらい、当たり前のように処罰してしまうと思う。東京裁判もそうだった。

 

ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立ち、天の岩戸で夜明けを迎える

  19世紀ドイツの哲学者ヘーゲルが主著「精神現象学」の序文で述べた一節、「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ」。

 

  ギリシャ神話に登場する知恵の女神アテナ(ローマ名ミネルヴァ)の肩にとまっている梟は、昼から夜に変わる黄昏時に飛び立つという話から、一つの時代が終わって次の時代に移る変わり目のことを指すと解説される。当時はナポレオンが活躍して民法典や政治、戦術など様々な分野で大きく変わる節目でもあった。

 

  私がこの黄昏に飛ぶ梟の諺をある政治家に送ったのも、バブル経済が崩壊して政治も宮沢から細川、羽田など小刻みに変わり、更に阪神大震災も起こった1990年代後半の頃だが、剣友とも知って大いに賛同されて動いてくれたことがある。詳細は知りたい方にだけ教えるが(@reigan_s)、循環型社会を突如言い出した青島都知事といい、トップの当事者になると新しい知恵の大切さに初めて気付くものだと思ったりした。

 

  ヘーゲルにはもう1つ、夜に関する有名な話がある。先輩哲学者のシェリングに「全ての牛が黒くなる闇夜」と激しく批判してショックを与えたというもので、哲学史の流れ的にはカントがいう「物自体は分からない」、次のフィヒテの「自我と非我」、そしてシェリングの「同一哲学」で物自体が解決したかと思いきや“味噌も糞も一緒にした”と批判して、「正ー反ー合」という経緯を繰り返しながら理性が進んでいくヘーゲル弁証法に至る。

 

  カントの前には彼にショックを与えたヒューム、ヘーゲルの後には理性の絶対者より実存する単独者を重視したキルケゴールがおり、西洋哲学史は流れで捉える方が1冊1冊本を読むより分かりやすい。

 

  真っ暗な闇夜では、どの牛がどんな模様か分からない。シェリングは精神も自然も同一哲学で分かった気になっているが黒く塗り潰されて何も見えていない。そんな夜中にミネルヴァの梟は知恵を巡らせている・・・。

 

  これと似たような状況が日本神話の「天(あま)の岩戸」伝説である。乱暴な実弟スサノオノミコトに心を痛めた姉のアマテラスオオミカミは岩戸の中に隠れてしまった。アマテラスは太陽神でもあるので高天原は真っ暗になり、神々は大いに困った。作物も育たない。そこで、知恵と思索の神オモイカネノミコト(思兼命)が発案して岩戸からアマテラスを出して再び明るい世に戻すというものである。

 

  哲学史をまとめたスライド(↓)を高く評価した教授が、小室圭について書くことは「ジャンクフードとスキャンダル」に例えて放っとけと批判したが、確かに高尚な哲学に比べたらくだらない話かもしれない。しかし、ではなぜ知恵と思索の神は皇室の始祖アマテラスの脇に仕えていたのだろうか? その知恵は自らの享楽のためだけに使うのではなく、公のため、日本人にとっては皇室も公に含まれており、特に公が闇夜になった時はなおさら、思索して知恵を出し合うものである。

 

  1993年の政変以来、またバブル崩壊以来、失われた30年と呼ばれてデフレ経済下で給料は上がらず、少子高齢化も改善せず、税制も目茶苦茶で、ずっと活気がなくなっている闇夜。

 

  その期間中長く大臣や顧問で中央に居座り続ける悪評高い(純粋悪とも呼ばれる)竹中平蔵教授兼パソナ会長は、「駄目な企業を保護するから日本は弱くなった」と弱肉強食を肯定し、外資の手先になっている。その先にあるのは日本の破壊と崩壊である。

 

  スサノオが暴れまわったことでアマテラスが引きこもった闇夜も、単細胞に(ヘーゲルはピストルに例えた)味噌も糞も一緒にして分かった気になる闇夜も、知恵を軽視している点では同じである。

 

  誰しも自分の経験や知識に基づいて生活しており、なかなか新しい大系的知識を見る気にならないものだが、闇夜を再び明るく戻すには今まで無視していた知恵と思索の神オモイカネの発案するところに耳を傾けるべきではないだろうか?

 

  するとこの神は、岩戸の脇にタヂカラオノカミを立たせ、岩戸の前に神々を集めた中でアメノウズメノミコにダンスをさせて笑いを起こさせた。「なぜ私がいないのに皆が笑っているのだろう?」と気になったアマテラスが岩戸をそっと開けて覗いた瞬間、タヂカラオが引き開けて世界は再び明るくなった。

 

  要は新しい知恵のもと皆が手を繋いで協力しあい、仲良くすれば良いのである。新型コロナも東京五輪もそうするしかない。

 

  現状ではまだお互いにいがみ合っている。戦い合い競争しあうことももちろん大事だが、それで闇夜が起きたなら、新しい知恵を探し求める。

 

  竹中平蔵のような「新しい知恵なんてない」と公言するタイプでもなければ、小室佳代と小室圭の代理人を担当している表参道のある弁護士のように皇室の権威を落としてもまだ依頼者の利益のみ拘るタイプの知恵者でもない。どちらも頭は良いとされるが、特に今の時代は絶対に必要な知恵ではない。

 

 

 

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