各場面の連動

知的雑感集。全体を知りたい方は「状態の秘法」をどうぞ。

イケメン好きは中身も何も問わない?

  皇室の長い沈黙の意味が全く分からないので、昔の「天の岩戸」に例えた記事を書いてみたが、岩戸は一向に開く気配がない。


(小室圭) 皇室のダンマリは伝統芸 - ループ・パワー

 

  このまま開かないうちに、横暴なスサノオに例えた小室圭&眞子は結婚しそうである。各記事によると、夏に行われるアメリカの法律試験合格後に国連職員となって秋に結婚、そして海外移住は規定路線らしい。

 

  当然、「国民の血税でなんということを!」という声は連日たくさん上がっているが、所詮は力のない無名の人たち。何もできまいとタカをくくって強行突破していくそうである。

 

  当の眞子内親王は皇室イメージをガタ落ちさせたことをどう思っているのだろうか?  昨年の「結婚は生きていくために大事なこと」との発言から強い覚悟は感じられるが、国民は結婚自体を認めていないわけではなく相手を選べと言っているだけである。

 

  なぜ小室圭でないといけないのか? 彼のどこがいいのか? 顔がいいぐらいしかない。中身は母子揃っての悪質なタカり体質と数多の女性遍歴、長い伝統を重んじない軽さと傲岸不遜さ、そして断りもなしに録音する非常識さ、他にもあるがこれぐらいにしておこう。

 

  ただ、世の女性は顔だけの男でも割りと夢中になりやすい。普段からモテる人は除く。例えばジャニーズや韓国のイケメン歌手などに夢中になって、全国に追っかけたりグッズ購入に多額のカネをかけたりする人。

 

  顔さえよければ、あとは何も問わない。

 

  逆に、イケメン男性の中には相手の女性にカネさえあれば、あとは何も問わないという場合もあったりする。

 

  普通は顔が好みのタイプかどうかだけでなく、中身はマトモか、価値観は合うか、他に親族や同居の是非、もちろん年収や安定性、将来性などいろいろ問うものがあり、だからいろいろ迷って結婚できない人が多くなる。

 

  しかし、小室圭&眞子に限ってはこうした普通が通用していない。つまり眞子の方は相手にイケメン顔だけを求め、小室の方は相手にカネだけを求めている。

 

  2人が30歳になってしまう今秋までの結婚に強くこだわる理由をそこから推測すると、20代の若いイケメン王子をゲットするイメージを前々から持っているからではないだろうか?

 

  もしそうだとすると、まさに阿修羅だ。コロナ禍で全国民が苦しんでいる時になんというワガママだ。とても公人とは言えない。

 

  逆に秋の結婚が予算も準備も整わずに実現せず30歳を迎えてしまったら、願望が崩壊してオジンは無理となるような気がする。冷静さを取り戻して改めて相応しい相手を待つことにするか。

 

  「この男性のことを調べて」と指示を下す。

 

  それはICUの時にもあったはず。お付きの職員に「この男性のことを調べて」と。交際相手の有無、・・・多い。家族関係、・・・貧しい母子家庭、等々も早いうちから分かっていた。自分に引っ掛かるかどうか? ・・・カネやコネでどうにかなる可能性が極めて高い、と。

 

  もし次があるなら今度は国民の声や伝統、常識なども加味してほしいが。

 

 

  

 

  

 

  

 

(晴天) 気さくな平岡とギョロ目の西郷

堤真一は上司役がよく似合う。

 

  昔の深夜ドラマ「SP」では要人警護を行う主人公、岡田準一の上司役を演じて人気を博したが、確固たる理想の上司像を自分の中にきちんと持っているからこそ、時代を超えて再び主人公の上司役のオファーが巡ってきたのだろう。

 

  そのドラマが後に映画化されて、SP部門の上司から時の政府を転覆するテロリストグループのボスに転じた時は余りにも似合わず、非常に残念に感じたものだった。たぶん本人も本意ではなかったろう。

 

  今晩の「晴天を衝け」では禁裏守護職となった一橋慶喜の家老に昇進し、元テロリストだった渋澤栄一を拾ってその上司となる。何かとSPを思い出す場面が多く、今度は主君を裏切ることなく忠実な中間管理職を全うしそうである。

 

  さて、栄一が一橋家で隠密を命じられて他藩に出入りしたことはどうも事実らしいが、そこで西郷と2人だけで鍋をつついたことはさすがにフィクションと思う。西郷の顔は「せごどん」の時の超細目よりもギョロ目で、この華丸の人選には満足している。ただ下戸だったはずで酒のお代わりを求めるシーンには違和感を覚えた。

 

  今のところ「晴天を衝け」は面白く、評判もよい。問題は次回以降だ。円四郎が非業の最期を遂げてから、栄一の上司や周囲に特に魅力的な人はまだ見当たらない。大河が後半失速しなければいいが。

 

  

 

  

「たまにしたくなる」と「二度としたくない」

  誰しも「たまに~したくなる」ものがある。ヤフー知恵袋の質問には、"ちょっと高価な買い物"や"釣り"、"大掃除"、"一人ドライブ"など、人によって様々な回答が寄せられている。

 

  "ちょっと高価な"という補足がミソで、凄く高価だと「たまに~したくなるもの」には入らない。逆に安価な買い物の方がたくさん入る。

 

  例えば"ジャンクフード"は「たまに食べたくなるもの」だし、"カップラーメン"や"カップ焼きそば"もたまに食べたくなる人をよく聞く。朝昼晩、毎日食べると体に良くないので「たまに」だろう。

 

  また、病院のロビーの待合室に週刊ポスト週刊女性自身などの雑誌があると、たまに読みたくなって手に取ることがある。コンビニに並んでいるのも売れるからだろう。他人のスキャンダルを四六時中聞きたい訳ではないが、たまに知りたくなるし、これら週刊誌も安価で手にいれやすい。ジャンクフードと同様に微量の毒性があるとしても。

 

  ところで、「たまに~たくなる」の頻度はどんなものだろうか? たまに通販で買い物したくなる人がいるが、頻度が高くて短い期間で何度も送信する人もいれば、逆に長期間に一度という頻度の人もいる。

 

  分布図的には地域によってその割合がだいたいあり、だからだろうか? 配達する車の中の荷物量は日々あまり変わらなかったりする。個々人の自由意志で通販を利用しているはずだが、「たまに~たくなる」ライフサイクルの長短の割合が作用していると思われる。

 

  これは「たまに電車を利用したくなる」場合にも相当し、通勤通学の固定客に加えて自由意志のはずの買い物する乗客の数量も年間を通したデータで見ると毎年そう大きな変化はなく、地域間の違いも同じで、上位や下位が極端に入れ代わったりはない。

 

  更に、道路の車両の数、それに伴う事故の数、死傷者数も同じことが言え、ゼロになる年はなく、必ず起こり得る数人の中に自分が入るか入らないかは安全への気配りの違いでその出くわす確率は幾らか減る。

 

  以上のようなことを過去に誰かが言ったかいちおう検索して調べたが分からない。統計学は発達してもその背景や原因となると不思議でオカルトの領域に入ると思われるからだろうか?

 

  「たまに~したくなる」のは、その時その場のシチュエーションに特に関係なく自分の中で発生する。

 

  「たまに~したくなる」頻度が多いものは経済を活性化し得る。ただその多くは安価だが。

 

  多くの人がお金持ちで、「たまに高級車を買い替えたくなる」国がドバイやモナコとかどこかにあるかもしれないが、資源問題的には非常に環境に悪い。

 

  経済学の「限界効用逓減の法則」を真実と思っているから、各企業は新商品を企画し、売り、窮し、また苦肉の新商品を出そうとする、ボブ・マーリィ曰く"バビロンシステム"の奴隷となるのだが、「たまにカップ焼きそば(という分野、商品ではなく)を食べたくなる」原因や、その長短差の話はこの逓減法則とは違う。

 

  例えば、最近は「どん兵衛」と「UFO」を互いに入れ換えて「うどんだしのUFO」や「ソース味のどん兵衛」が出たりしたが、これも限界効用逓減の法則に従えばいずれ緩やかに売れなくなってゆく。しかし、カップ焼きそばという「分野」に目を移せば、繰り返しまた食べたくなるのだ。

 

  本ブログの題名「ループ」とようやく結び付いてきた。

 

  若い頃にジャンクフードを食べて、コカ・コーラを飲んで美味しく思った、脳内の快楽ホルモンが分泌された、そういった体験を再び味わいたい、再体験したくて「たまに~したくなる」は起きる。

 

  逆に言えば、高価なのに激マズで、「お店に騙された!」「金返せチクショー!」と体験したことは、たまに~したくなるどころか、「二度と~したくない」、快楽ホルモンとは逆の怒りと悲しみの脳内物質が多量に分泌されて体全体の調子を悪くしてしまい、その飲食店を話題にすることすらも嫌になる。

 

  「二度と~したくない」ものは個々で学習して防止に努め、「たまに~したくなる」ものをたまにできるよう働いて金を貯め、余暇をつくる。国や企業はその環境をつくる。自由をある程度認め、一方で行き過ぎがないよう規律を高める。

 

  一部の独裁国家では、それができないため我々は違和感を覚える。また国内でも違和感を覚える場所は多々あるが、それらの改善にこの「たまに~したくなる」サイクルの研究がもし役立つならもっと進めてみたい。

 

  

 

 

 

 

(晴天) 遡ると確かな人物眼がつながっていた

 一橋慶喜が馬に乗って走っている途中、突然栄一と喜作が姿を現して「渋澤栄一でございます!」と大声で名乗りをあげる。

 

  これと似たような話が過去にもあった。

 

  確か「太閤記」と思うが、馬に乗って若き織田信長が走っている途中、木の上から突然、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が飛び降りてきて、「上は天文、下は地理!」と大見栄を切った場面である。

 

  仲介した平岡円四郎の役回りは、後の加賀百万石の祖となった前田利家で、この後に同じボロ長屋で秀吉夫婦と利家夫婦は仲良く暮らすことになる。

 

  オススメの史跡、安土城の巨石による大階段の途中にも、秀吉と利家の屋敷は隣同士という案内看板があり、友情が長く続いていたことが分かる。

 

  栄一が一橋家に入れたのも、まず平岡円四郎が見込んだから慶喜が許可したと思われる。その円四郎も最初はご飯の盛り方も知らないほどだったが、水戸斉昭が見込んだ男だから慶喜は受け入れた。

 

  そう遡って考えてゆくと、斉昭の人物眼から始まった訳である。斉昭は早くから国難を理解し、それに備えて西洋的な備えに努め、広く人物を集めた。最善を尽くすなら身分は問わず、だから長屋住まいの円四郎を抜擢した。

 

  円四郎は斉昭の期待以上の働きをして慶喜の信任が篤くなり、人選にかけては更に上をいって一介の百姓だった栄一と喜作を家来にした。この英断がなかったら後の日本に資本主義経済が根付いたかどうかすら怪しい。

 

  信長も戦国乱世を乗り切るために身分関係なく家来を集め、派手な歌舞伎ぶりで前田家の厄介者だった犬千代(利家)を近臣にし、その友達の藤吉郎も草履取りにした。

 

  決して栄一の建白や藤吉郎の大見栄に感心した訳ではない。ただ、こうして身分を問わない採用をしていくと、主君自身も何が正解かどうするべきか分かっていき、旧来のやり方から離れていく。それが今回後半の久光との決別の展開につながってゆく。西郷も久光に対してははじめから人物ではないと見限っていた。慶喜も薩摩と決別したと言うより、兄斉彬と比べて余りにも凡人に過ぎない久光個人と決別したのである。

 

  現代はどうなんだろう? 似たような抜擢がどこかにあるのかもしれないが、あまり聞かない。

 

  筆者も若いときに関東や関西で試みたことはあったが、じかに会うと人間性に失望してしまったりした。浪人龍馬が海舟に心服して塾頭になったり、西郷が斉彬の御庭番になったようにはならなかった。

 

  東京のとある会社で秘書のような業務に携わったことはあるが、離れて海辺に住んで10年以上になる。

 

  今も政財界や学界にこれはという人はいない。失政によるコロナワクチンの遅れや経済の衰退はまだまだ進んでいる。人物不在という点では現代は本当に不幸であり、栄一が羨ましいと思う。

 

 

 

 

  

  

 

  

日本にもいる知恵の神

  今朝、ヤフーに皇室関連記事があったので昨日のアイデアをコメントに書き込んだところ、すぐに好意的な返信があった。


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   それでは筆者は知恵者オモイカネになったつもりか? と問われるかもしれないが、在野の思索家の1人として、日本神話の中で一番好きな神様ではある。

 

  八百万(ヤオヨロズ)の神々といえば、全て山川や草木の中にいる自然神で、ギリシャ神話のアテネ(知恵の神)や普賢菩薩のような精神的な神はいないと思われがちだが、実はちゃんといて、全国に神社もある。

 

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  私が初めてその存在を知ったのは、諸星大二郎の名作「孔子暗黒伝」の日本編で未開の村に迷い込んだ顔回を助けたシーンの時だった。



  たぶん半永久的に絶版にならない作品であり、こんな知的にワクワクさせる漫画家もいない(宮崎駿庵野秀明も尊敬している)ので読んでみることをオススメする。

 

  諸星には知的にカッコよく見えているようで、オモイカネをこんなイメージで描いている。


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   その数年後、たまたま神奈川県横浜市の郊外を車で走っていたところ、小山にたくさんの「思金神社」と書かれた幟(のぼり)を見かけた。まるで挙兵(軍勢が立ち上がること)したかのように感じたが、実は何かの祭りに伴って立てたもので、普段はなく、ただそのたくさんの幟がなかったら気付かず通り過ぎていたことは確かだ。

 

※奉納幟

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  ハンドルを切って立ち寄ると、長い階段の上に小さな神社があり、その時の体験をもとに、階段の両脇にアリストテレスデカルト、カント、ヘーゲルニーチェなど16人の大哲学者を並ばせる話を後に書いた。

 

  短編小説「哲学者16人の謎と真実」である。

 

  ググるといちおうまだ販売しているようだが、プラトンの註釈に誤りがあることを高校の哲学教師になった後輩に指摘された。

 

  大筋はメインサイト「状態と機能の話」内のこのスライドと同じである。

 

  この知恵と思索の神、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)を日本の哲学界ももっと誇りにしてシンボルとすべきであり、さらにコロナ対策や五輪など多くの問題に対して今まで以上に知恵を最重要視して解決に当たるべきというところで結びにしたい。

 

 

 

 

 

 

  

  

(小室圭) 皇室のダンマリは伝統芸

  ここ数日、天皇陛下秋篠宮殿下も何故ダンマリを続けているのか?・・考えていた。

 

  すると昨晩、ある意味すごく明快な解答が脳裏に浮かび上がってきた。・・結構、妥当な線をいってる感じがする。

 

  いちおうキーワードで検索してみたが、まだ誰も気付いていないようなのでこのブログにまとめておき、後で何らかの形で広く公開したい。

 

  先ず最初に、皇室が長期間も引きこもること自体は、実は決して珍しいことではなく、遠い遠い祖先も今と全く同じことをしていたところから始めたい。

 

  その祖先とは、初代神武天皇よりも更に遡(さかのぼ)って、神々が住む高天原(たかあまのはら)の女王、天照大神(アマテラスオオミカミ)のことである。

 

  弟のスサノオノミコト高天原の中で物を壊したり人に迷惑をかけたりと散々暴れまわっていたので、姉のアマテラスが悲しんでついに大きな岩戸の中に引っ込んでしまったという「天岩戸(アマノイワト)伝説」。

 

  現代でも、天皇陛下の姪にあたる眞子内親王の(元)婚約者とはいえ、小室圭も若い頃からイジメで相手を登校拒否にさせたり、いろいろな女性に手を出したり(ツーショット写真あり)、母親の弟が暴力団の幹部で親族間のトラブルに使ったり、そのせいか元夫とその親など周囲に自殺者が5人もいて他殺の線も濃いと噂されたり、皇室の金を留学や旅行に使いまくっていたり、昔援助してくれた母親の元婚約者の400万もの金を返さなかったりと、まるでスサノオのように暴れまわっている。

 

  篠原常一郎動画やガールズちゃんねるをはじめ多くのサイトがこれらの話を取り扱って皆の知るところとなっているが、小室母子も皇室、宮内庁も特に否定してないので殆ど本当と思われている。

 

  反社会的勢力とのつながりだけでも即破談になるはずだが、今のところ皇室は何も発していない。

 

  だから人々はイラつき、宮内庁への抗議電話は日々鳴り響き、ネットの書き込みもダンマリを続けることへの疑問や反論、更には血税を小室のために使いたくないと皇室廃止論まで上がってきた。

 

  まさに構図的にはスサノオの乱暴とアマテラスの岩戸隠れそのものである。

 

  神話ではアマテラスは太陽神でもあるので、完全に隠れてしまうと世界が暗くなり、皆の活力も削がれてしまう。このままではいけないと八百万(ヤオヨロズ)の神々は対策を話し合った。

 

  このとき、知恵と思索の神であるヤゴコロオモイカネノミコト(八意思兼命)の策が実行され、まず岩戸の外側でアメノウズメノミコが拍子に合わせて躍り舞い、ホゾが見える程ほぼ半裸な姿になったため神々が大いに沸き立ち、笑い楽しんだところ、岩戸の内側のアマテラスが何故わたしがいないのにあんなに楽しんでいるんだろう?と疑問に思い、少し岩戸をあけかけたところへ、待ち構えていた武神タケミカズチノカミが自慢の怪力で完全に開けきり、世界は明るさを取り戻したという。

 

  ・・ならば、この話に則って何か対策をとることで、皇室のダンマリが終わるかもしれないのだろうか?

 

  そもそもアマテラスも皇室も、自分が隠れてダンマリを続けること自体は悪いと思っていない。

 

  皆が早く岩戸から出てきてほしいと思っても決して簡単には出てこない。世界が暗くなって皆が困ればいいとすら思っているフシがある。皇室も同様の理由で好きでダンマリを続けているのだろう。

 

  この事態を打開するキーマンであるオモイカネにならうなら、アメノウズメのダンスとなり、ダンスが大好きな妹の佳子内親王がヘソを出して楽しそうに踊っている写真を見かけたことがあったが、画像や関連記事は多くても動画は特に公開されてないようである。

 

  また、宮内庁に抗議電話をした人の話によると、秋篠宮眞子内親王スマホやパソコンで結構ネットを見ているようだと職員は答え(篠原動画より)、岩戸の中だから何も知らない訳でもなく、アマテラス同様に皇室も意外に岩戸の外を気にしている。

 

  そこで、記者が自分のストックしている佳子ダンス動画を公開すれば(妹が姉のためにと新作ダンス動画を自ら公開するのもアリ)、当然アクセスが跳ね上がって盛り上がり、話題と関心がそちらに向いてゆくと、皇室も黙ってはいられず、コメントを求める席で何か言いたくなる。

 

  その時に姉の件も最終的にどうするか決着をつけるのだ。世論は破談一択しかないというが。

 

  神話でスサノオ高天原を追放されたように、眞子内親王も問題の多い小室圭と一緒に東京から追放するという案を述べたい。皇族の女性が伊勢神宮の担当者になることが多いことにならい、眞子内親王と小室圭はスサノオの追放先である出雲大社の担当者とする。

 

  島根県なら世論もおさまるのではないか?という気がする。 華やかな東京とは対照的に地味で質素なイメージが強い。スサノオはこの地で改心し、ヤマタノオロチと戦ったりオオクニヌシを見込んだりという話があったりする。何か慈善事業に取り組めば税金の無駄遣いを怒る声が鎮まるかもしれない。

 

 

 

 

 

  

 

  

 

  

  

(晴天) 時々キツネがバカす件

  どこまで史実か詳細は分からないが、北関東で藍作りに携わっていた若者2人が、激動の京にて次期将軍有力候補の一橋慶喜の家来になったことは事実である。

 

  この俄(にわか)には信じ難い出来事を視聴者に出来るだけ自然に受け入れてもらうために、ドラマでは先ず江戸で平岡円四郎と出会わせ、次に奥方やすに会わせて京に向かわせ、なかなか平岡に会ってもらえないという少しリアルっぽい苦難を味わせた後に不思議な縁で再会するように組み立てた。

 

  キーワードは前回から登場した「キツネ」である。

 

  横浜の外国人居留館焼き討ち計画の中心人物である尾高惇忠の実弟、長七郞はその計画を中止すべく京から駆けつけ、泣き顔で叫びながら何日もかけて必死で皆を説得して何とか中止させた。そんな自分を長七郞はキツネが憑依したと振り返った。訳の分からない強いエネルギーが自身に沸き上がったのだろう。

 

  そして今回、長七郞は栄一からの手紙で故郷を後にし、京に向かっている途中でまたもキツネの幻影を見、気が狂い誤って刀を抜いて旅人を斬り殺す事件を起こしてしまう。捕縛されて懐の手紙も幕吏の手に渡り、江戸の奉行から京の平岡のもとに追及の使いが来たため、政務で多忙の身ながらついに栄一たちを屋敷に招き入れ、改めて家来になれと命じた。後先なく切羽詰まっていた2人は受け入れるしかない。

 

  時代の転換期には、よく身分差を超えた主従関係が生まれて奇跡的な化学反応を起こすものだ。後醍醐天皇と河内の悪党楠木正成の場合も理解し難いからこそ太平記の作者は天皇の夢に植物の楠木が出てきたせいにしたが、それが10万の幕府軍に1500の手勢で挑ませ、ついに全国の武士を立ち上がらせ鎌倉幕府を倒した奇跡となった。戦国時代も百姓出身の秀吉が信長に見出されてついに天下人となった。

 

  将来「日本資本主義の父」と呼ばれることになる渋澤栄一が一介の藍商人から一橋家臣となるまでの経緯にも人知では計り知れない何かが介在し、それをドラマではキツネという霊的な呼称を使った。決して完璧な善玉の霊ではなく、諸星大二郎の作品(暗黒神話孔子暗黒伝など)に出てくるような生死的に残酷な面すらあるもっと超越した大きな霊と思う。

 

  お陰で栄一は出世の糸口を掴めたが、長七郞はその犠牲となった。可哀想だと思うが、現実というものもそんな善悪と無関係な残酷さがリアルなのかもしれない。

 

  誰しも時々こんなふうにキツネにバカされて道を踏み外したり逸れたりしそうになるが、弱い心や信心深さを封じ込めて理性や哲学で正道や中庸の道とは何か落ち着いて考えると、不可思議な方は何とか避けられたりはするものの、逆に奇跡を起こすことができず平凡なままに終わったりする。

 

  幕末も長男より次男や三男の単純な若者の方が志士や奇兵隊となって暴発したものだった。

 

  現代の転換期が少し長期化しかけているのも、人々がキツネにバカされにくくなっている面もある。それはそれで良いことであり、酔わない人々による自浄作用でビルドを起こすべきだと思う。

 

  ただ栄一本人は、平岡円四郎が一を聞いて十を知るような賢い人だったからこそ自分を見だし、かつ水戸の攘夷派の志士の手にかかったと後に振り返っている。