草分け中

試論や試案のサブサイト。メインは「状態の秘法」合知篇(深く)鼎道篇(広く)等

(晴天) 栄一と坂下門外の変

  後にたくさんの産業を起こして日本経済の父となる渋澤栄一だが、若い頃は横浜焼き討ち計画に関わるなどテロリストのような時期を過ごしていたことに違和感を感じていた。

 

  しかし、大河ドラマは年間を通して一話一話丁寧にその人物の生涯を掘り下げていくため、栄一の周囲に尾高父子のような高い志の人たちがいて、その娘を妻にしたこと。尾高長七郎が師事した政治塾が時の老中を暗殺しようとして(坂下門外の変)失敗したこと等を見ていくうちに、栄一の行動も決して誇大妄想や不純なものからではなく、普通の考えの持ち主が特異な時代や周囲の影響を受けながら進んでいったことが分かった。

 

  現代も1993年の政変以来ずっと転換期と言える。その間の20数年間、小沢式の二大政党制がうまくいかないことは明白になり、竹中式の弱肉強食もビルドが皆無で希望はなく、少子高齢化やデフレを促進するだけだった。

 

  今回栄一が言った通り、誰かを斬ればいいだけの話ではなく、小沢や竹中は確かにキーマンだが結局彼らも時代の波に乗ってたまたま目立ったに過ぎない。世の中の仕組みを変えることが重要で、ではどう変えるのかだ。

 

  栄一は後にパリ万博をジカに見て覚醒し、帰国してたくさんの産業を起こした。それは当時としては正解に違いない。しかし現代はそれだけでは足りず、環境や財政など様々なことに配慮して新しい何かを起こし、ビルドを行わなければならない。それは感覚的には普通で十分であり、特に変な考えは必要ない。普通の神経で少子高齢化を憂い、環境問題を憂い、財政や税制の矛盾に憤慨すれば、全体として正しい方向に進むと思う。

 

(維新) 破壊に留まらず、次のビジョンを

  大阪の吉村知事を落とす記事が増えてきたが、今日ヤフーが掲載したポストセブンを読んで少し思うところがあった。

 

>メッキが剥がれた大阪・吉村知事 実像は「典型的ポピュリスト」(NEWSポストセブン)


メッキが剥がれた大阪・吉村知事 実像は「典型的ポピュリスト」(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース

 

  書き込まれたコメントの中に、知事のメッキが剥がれたというより、維新の正体が元々大阪をぶっ壊したいだけというものがあった。都構想もビルドより破壊の側面が目立っていたから府民に受け入れられなかった。

 

  大阪維新が誕生した時に故堺屋太一が見出した橋下徹が生まれ、大阪自民党を敵に回して勝つことで知名度が上がった。その後、松井一郎や吉村洋文が首長になり、今は竹中平蔵もくっついていると言われる。

 

 1990年代前半にバブルが崩壊して日本が深刻な時代に突入していくと予想される中、テレビで識者たちが集まって議論する番組が増えていた。朝まで生テレビもその1つだが、もう少し地位の高い人たちが集まっており、その中央に偉そうに座っていたのが堺屋太一だった。白髪に小さな眉、細い目が特徴的である。

 

  私はある本で、そんな新保守主義の老人がただ憂えたり吠えたりするのではなく、実際に政治に入閣するとしたら自分とは違う方向に政治が動いた時ではないかとする小説を書いたことがあった。

 

  その後、橋本龍太郎が6大改革を唱え、4本柱の省庁再編を行って大蔵省が財務相に変わり、名前こそ変だが文部科学省厚生労働省など大きく政治が変わる話になった時、行政改革会議のメンバーに堺屋太一は入ってなかった。

 

  次の小渕総理の時に堺屋太一経済企画庁長官として入閣したのは(省庁再編の実施は21世紀になってから)、橋龍時代の屈辱と焦燥があったからだと思う。そして堺屋長官はアイデアマンとして2000円札を発行、たとえ外国では流通しても日本では見事にスベッた。肝心の経済も一向に上向かず、毎月毎月「庶民の財布の紐はまだ堅い」など趣向を凝らした発表をするので「月例経済文学」と揶揄された。

 

  次に小泉内閣時に竹中平蔵が入閣すると、私は堺屋太一と同じくまた政治家でもない文化人の新自由主義者が入ってきたと思った。それだけ省庁再編のインパクトは大きかったのかもしれない。日本を経済一辺倒ではなく、もっと広域の価値観を重んじる路線変更を唱えた橋本は闇に葬られ、民活を過剰に行い、アメリカでも国営の郵政まで民営化しようとした小泉竹中政治。

 

  当時の選挙は圧勝したものの、結局小泉もあまり評価されず、竹中は売国奴として今も悪名高い。新自由主義自体が世界的に評判が悪い。ただ代替の思想はない。皮肉にも国営と民営を併用した中国の社会主義市場経済が勝者となっているが、詳細な中身は結構適当で数字上の成果も嘘が多いようだ。

 

  話を戻すが維新の会に堺屋太一竹中平蔵の色が濃いままなら、破壊の次の創造的な段階に移ることが求められるこれからの時代に相応しくはないだろう。大阪をぶっ壊したい破壊屋で終わる。

 

  先日から今の転換期が収まるなら日本初の大統領が生まれる時ではないかと書いており、吉村知事にも期待するところはあったがどうだろう。ついでに言うなら、大統領誕生とともに、今のイビツな省庁名ももっとまともなものに変わると思う。文部科学省ではなく文部省に戻し、厚生労働省ではなく厚生省でよい。財務省防衛省はそのまま、あとまだ提案はあるが、要は国民生活を向上させるための社会編成に取り組み(例えば本格的な循環型社会も1つ)、その推進に省庁再編が役立てば良いだけである。

 

 

 

MMTに循環をミックスする仮説

  中野剛志氏がMMT(現代貨幣理論)を解説したサイトの中に、銀行が金を貸した時に初めて貨幣が発生するという話があった。

 

  だから公共工事をバンバンやれという主張が続くのだが、グレートリセットを説く人たちによると依存症のように公共工事が増えることを懸念していた。

 

  必要な分の富が適切に増えていくには?

 

  そこで筆者の循環型社会の一部を当てはめてみたい。例えばこんな循環がある。

 

  「インストラクターが教え、教わった人が競技会に出て、その様子をメディアが報道し、報道を見た研究機関が分析し、分析結果をインストラクターが参考にすると循環する」

 

  ここで銀行が貸した資金でインストラクターが分析資料を買い、教育指導に活かすことで生徒の支持を得て富が増えると銀行に利子を付けて返す。

 

  一方、選手は銀行から借りた金でインストラクターから教わり、成功・勝利することで賞金や褒賞を得て銀行に利子を付けて返す。

 

  メディアも同様に、銀行からお金を借りて取材を行い、テープやディスク、冊子等の資料にまとめて売ることで儲け、上記と同様に銀行に返す。

 

  最後に研究機関も銀行から借りた資金で資料を購入し、価値のある分析を行ってインストラクターに売り、銀行に返す。

 

  というようにうまく組み合わせれば、富が増えるのではないだろうか? 売れずに返せないケースも当然あり得るが、本当に上手になる指導が活かされないまま埋もれるよりはマシである。

 

  サイクルは全部で9つあり(衣食住×衣食住)、今回は衣の衣だけに留める。ちなみに食の衣がグルメなら住の衣はインテリア、食の食が糧、食の住が栄養(医療)になる。食の縦軸は耐久財、消耗財(糧)、土地財。住の縦軸は軍事、医療、交通である。

 

  ギリシャ神話のオリュンポス12神も当てはまり、気になる方はこちらをどうぞ。

https://www.slideshare.net/reigan_s/h2837

 

 

(晴天) 武士でなくなると奇襲を受けやすくなる

  今回メインの話は「桜田門外の変」。

 

  当日は3月なのに雪がしんしんと降っていた。竿の先に文を付けた男が1人走ってきた。井伊の供廻りが対応しようとした途端にバッと笠と簑を脱ぎ捨てて抜刀し斬りつける。そしてピストル音と共に浪士集団が出現する。この辺りのシーンはよく再現できている。

 

  しかし、なぜ井伊の供廻りは容易く斬られ、主人を守ることができなかったのか? この最も大事なところが描かれていない。

 

  実は登城のために井伊屋敷を発つ際、供廻りを指揮する立場の男が「雪で大切な刀を錆びさせてはならない」と案じて、皆に柄袋で刀をくるむよう命じていたという話がある。だからこの非常時すぐに刀を抜くことができず、柄袋の紐を解く間に次々と斬られたというのだ。

 

  本来最も守るべきものは刀ではなく主人である。この男はその立場にあるにも関わらず大きな勘違いをしてこんな結果を招いた。

 

  では何故そんな男が警備上の要職に就いたのか? それは井伊直弼が認めて選んだからである。判断基準を誤っていたのは他ならぬ井伊本人。その伏線はドラマの中にすでにあり、武士の家なのに14男で跡継ぎと無縁だったからか、幼い時より文芸の中に暮らし、大老になってもまだ狂言の脚本にこだわったりする。

 

  日本史によくあるパターンの1つだが、武士なのにお歯黒を塗っていた今川義元は雨の桶狭間で信長の奇襲を受け、武士なのに貴族化していた平家は一ノ谷で源義経に裏側から奇襲を受け、というように武士の心を忘れて貴族的になると思わぬ襲撃を受けてしまう。

 

  山口に小京都をつくった大内義隆もそうだし、戦国時代は特に北城早雲vs大森藤頼や斎藤道三vs土岐頼芸など例が多い。その1つに幕末のターニングポイント、桜田門外の変も連なる。

 

  もし直弼が始祖の直政のように「井伊の赤備え」を心掛けていたら、もっと現実的な対外政策を行い、才能ある者を怖がって処罰したり謹慎を命じたりはしなかっただろう。武士の心を忘れた貴族的な男が間違って武家の頂点に立った(その原因は暗愚な将軍に遡るが)ために齟齬(そご)が生じ、日本中がおかしくなった。

 

  現代にも「安政の大獄」はあると前に書いた。小泉内閣から安倍、菅内閣まで内部にいる竹中平蔵による派遣地獄、保護するから駄目、外資様々、いわば「平成の大獄」である。告発本やデモはあとを絶たないが本人は至って平気でいつもヘラヘラしている。

 

  次回以降、徐々にビルドが見えてくると思うが、日本も根本的な路線変更を検討するべき段階がきている。

 

転換期はおよそ30年はかかる

 歴史の転換期(岸田秀氏の説をもとにした対立→逆転→移行→統合に→完成を加えた5段階)とは、年数にしてだいたい何年ぐらいだろうか? 

 

  前回の転換期の場合、軍部が満州事変を起こした1931年から始まって鳩山一郎初代自民党首相が退任した1956年まで約25年間だった。

 

  前々回は英明な君主の島津斉彬島津藩主に就任して海外の技術導入や軍事改革を行い江戸幕府とは別の新興勢力をつくろうとした1851年から始まり、西南戦争が終わった1877年まで約26年。

 

  その前は長く、北条早雲を初の戦国大名とすれば徳川家康の幕府設立まで約50年だが典型的戦国大名武田信玄で数えると約39年、更に前は後醍醐天皇から観応の擾乱が収まるまで約34年、もう1つ前は後白川院政から鎌倉幕府設立まで約30年である。

 

  では今回の転換期だが、対立型(二大政党制を唱えた)小沢一郎自民党を倒した細川政権の1993年から数えるともう28年になる。

 

  転換期というと常に軍事的な戦争がつきものと思われがちだが、保元平治の乱は京都の一部で行われた小規模のものだし、多くの土地では平常通り農耕や商売の日常が続いており、数名の大物政治関係者同士を基軸としていたと考えている。だから選挙戦も含まれる。

 

  むしろ転換期は科学技術的な革新が目立ち、戦争はそれに付随してくる。火縄銃、ガトリングガン、単葉機のゼロ戦の両翼からも弾が出て、と飛躍的にランクアップして広がる。

 

  今回の転換期も1995年のウィンドウズ95登場で従来のMS-DOSから絵的なアイコンに変わり、スマホの普及、ドローン、AIなどガラリと生活を一変させている。

 

  28年になる今回の転換期がいったいあと何年で収束するかだが、対立牽制を唱える小沢、保護するから駄目と破壊だけの竹中に加えて、創造や調整の段階を経て完成まで果たして約数年の30年ぐらいで終わるのか?

 

  5段階目が家康や尊氏、頼朝などカリスマ性が必須条件なら、日本国初の大統領になるのではないかというのが先日からの推測だが、このアイデア自体は別に目新しいものではなく、過去に何作品かあることが分かった。

 

  マーケッターの上田拓治が著した「日本国初代大統領(神戸明日人)」、漫画作品の「日本国初代大統領桜木健一郎」「日本国大統領桜坂満太郎」などである。

 

f:id:reigan3941:20210411115511p:plain


  読んでから解説すべきだが、ネットで少し調べたところではどの主人公も若く格好いい設定で、危機にある日本を劇的に救うようである。

  しかし、実際の歴史上の完成者はそこまでアクティブではなく、周囲の有能な者をうまく使いながら最終的な勝利者となるカリスマ性と勘の良さがある。

  むしろ実務面で魅力的なのは4段階目の人たちで、北条時政にせよ足利直義本多正信坂本龍馬三木武吉など、調整を進めて5段階目を支えている。

  現代にそんな人物がいるのか? いれば一緒に仕事をしたいと思う自称3段階目である。

 

(小室) もつれた結婚話を明快に解決した逸話

  その昔、江戸時代3代将軍家光の頃の江戸に、15歳になる娘を大切に育てている母親がいた。元は牢人の後家で母子の2人暮らしをしていたのだが、同じく牢人者との縁談があったので先方のことを詳しく聞いてみると、人徳のある人物で年齢は17,8歳だという。

 

  母親がこの縁談を承諾したところ、その相手は実は30歳だという話になった。

 

  にわかに母娘は気乗り薄になったが、媒酌人は15歳の娘に30歳の聟(むこ)は決して年寄りとはいえないと主張する。

 

  ところがそのうちに、聟は本当は35歳だとわかったものだから母親は怒った。

「せめて倍の歳ならよいものを、35歳とは私を後家と見て馬鹿にしているに違いない。絶対に、娘はやらない!」

 

  そこから悶着が起こり、双方が評定所へやってきたときの担当は老中の土井利勝だった。双方の言い分をどう裁定するかすぐには結論が出せず、土井利勝もその他の面々(奉行や大目付、目付など)も白州を前にしばらく沈黙してしまった。

 

  ・・・この話は中村彰彦著「知恵伊豆と呼ばれた男」85頁に書かれており、現在また話題沸騰中の皇族の娘と一般人男性(無職)との結婚話で誰も結論が出せないままになっているので思い出してここに載せることにした。

  話がもつれた時こそ、東大卒の頭が切れる人の出番だと思うが、世論は分かれ、東大生はクイズ番組には出ても時事問題には発言せず、政府も宮内庁も誰も答を出せない。現代に実は賢い人はいないのかもしれないが、この江戸時代には1人いた。松平伊豆守(いずのかみ)信綱、通称"知恵伊豆"である。頓知の一休よりも数多い逸話の中でも自分の中では上位にランキングしている話である。

 

  将軍家光は信綱の人物を見込み、その方も公事(くじ、訴訟のこと)に加われ、と命じてあった。その信綱が自分の脇でにこにこしているのに気付いた土井利勝は、何かいい考えがあるのだろうと思い、裁きを信綱に委ねることにした。

 

  すすみ出た信綱は、まず言った。

「母の申し立ては、まことに道理である」

  すると、聟が反論した。

「私は年齢を偽る気はまったくありませんでした。媒酌人が誤ったのは私の咎(とが)ではなく、縁組が決まってからこのようにとやかくあっては面目を失ってしまいます」

 

  これには後家が口をはさんだ。

「すでに申しましたように、娘のちょうど倍の年なら娘を嫁がせますが、35歳とあっては話が違います」

 

  それを聞いた信綱は、申しようまことに道理と繰り返し、娘の倍の年なら嫁がせる、とまず後家に証文を書かせた。それからおもむろに裁断をくだした。

 

  「聟は、祝言を挙げるまで5年待つべし。5年たてば15歳の娘は二十歳(はたち)、35歳の聟は40歳、ちょうど娘の倍の年になるではないか」

 

  この実に明快な判定に土井利勝以下はすっかり感心し、媒酌人は大いに喜んだ。ちなみにこの男女は本当に5年待って夫婦になったというのだが、著者曰くいささか出来過ぎた話のような気がしないでもないと。

 

  先日28枚にも渡る長い文書を発表して更にもつれている上の話も、先がどうなるのか、まだ放置するのか、いろいろ気になるところだが、早く結論を出すべきであり、そのための評定所のような機関を先ずは設置する。

 

  そして、通常選ばれそうな政治家や役人だけでなく、特に賢い人を中央に据えて信綱のような簡潔明瞭な判定を下させると良いと思う。

 

 

 

 

季節ごとに咲く花と歴史の転換期

  3月末から7月にかけて多くの町で見かける景色だが、まずは桜が咲き誇り、次に道々の左右に躑躅(つつじ)が咲き誇り、6月には雨が降りしきる中で紫陽花(あじさい)ばかりになり、その後は照りつける陽射しのもと向日葵(ひまわり)の花が増えてゆく。

 

  歴史の転換期を「ものぐさ精神分析」シリーズ著者の岸田秀氏が「対立→移行→逆転→統合」の決まったパターンを踏むと当たり前のように書いたが、例えるなら上記の花のようなものかと思う。

 

  直線史観のヘーゲルは理性の歴史を芽から茎が伸びて葉が増え、蕾になって花が咲き、実になる例を主著「精神現象学」の中で述べたが、円環史観の場合も例えば干支の最初の「子(ね)」が種子のことで、次の丑がヒモ状に伸びる茎、というように植物の成長をなぞり、亥が核の意味で再び「子」に戻る。この漢字には始原の「一」と最後の「了」を合わせたものでもあり、円環の要(かなめ)でもある。

 

  以前、パターンを踏まなければ歴史は円環を成さず留まるか滅ぶようなことを書いたが、たいていは意図的かどうかはともかくパターンを踏むようになると思う。

 

  どの幕末もそうであったように長期政権の腐敗が目立つようになると、憤慨して後醍醐天皇戦国大名薩長雄藩のように対抗勢力が台頭する。前回の転換期の場合はそれが軍部だった。515や226関東軍の横暴などが戦後ではよく指摘されるが、当時は永田鉄山石原莞爾山本五十六など、それなりに賢く優秀な人も多かった。ドイツ軍の英雄「砂漠の狐」ことロンメルヒトラーとは一定の距離を保ったために毒殺されたが、軍人が一概に横暴な訳ではない。

 

  ただこれら新勢力の台頭だけでは収まらず、戦乱や混乱が拡大するだけであり、誰かが古いものを始末し破壊する段階が来なければならない。それが前回の転換期ではマッカーサーであり、あまり詳しく知られていないが、フィリピンからオーストラリアに一旦退却した後に、「アイシャルリターン」の宣言通り、敵の隙間を縫うように南太平洋の島に飛行場を造っては更に北の島に移動し、という「飛び石作戦」で最後は厚木飛行場にパイプを加えて降り立った。そして昭和天皇に感銘を受けて後は財閥解体や農地改革、小作人の解放、レッドパージ東京裁判などの破壊を行い、東條英機を処刑して戦前と明確に区別した。

 

  このGHQとともに政治を進めながらも裏では「Go Home Quickly」(早く帰れ)と思っていた吉田茂首相は、日本を軍事路線から経済中心の路線に変えた3番目の段階に当たる。マッカーサー帰国後も5次まで組閣し、最後はバカヤロー解散で退いたが、この辺りは名作「小説吉田学校」が詳しくて分かりやすい。

 

  タイトルこそ吉田だが、作者の思い入れは明らかに三木武吉の方にある。この老政治家は、鳩山一郎公職追放が解けたら自由党党首に戻す約束を吉田が反故したために怒り、民主党を結成して念願の政権交代を果たすものの、当時ソ連や国内でも社会党共産党が拡大してきたことを危惧して、緒方竹虎自由党党首に保守合同を持ちかけて自由民主党を誕生させた。初代党首となった半身不随の鳩山一郎は泣いて三木老人に感謝したという。

 

 今回の転換期の場合、1980年代後半から目立ってきた自民党長期政権の腐敗に対して、中曽根行政改革でも駄目、その後の大平、鈴木、宇野、海部など小粒な首相でももちろん駄目、そこで15代党首宮沢喜一の時に小沢一郎自民党幹事長は細川日本新党を中心とする野党連合で政権交代を果たした。ちなみに鎌倉幕府執権、室町、江戸幕府の将軍も15代ぐらいで終わっている。

 

  選挙制度中選挙区制から小選挙区制に変えて外国のような二大政党が牽制しあう構図を小沢は目指したが、その試みは結局うまくいってない。細川はすぐに投げ出し、次の半袖スーツの羽田孜の真似をする人は皆無、村山の時に阪神大震災で無能ぶりを露呈、鳩山由紀夫菅直人、野田も特にビジョンはなかった。

 

  こうなると、古いものを破壊する段階がどうしても来てしまう。新田義貞は鎌倉を焼き滅ぼし、織田信長比叡山を焼き討ちして足利義昭を追放し、高杉晋作は第二次長州征伐で山口県が四方から包囲されても奇襲や新戦法で徳川幕府軍を散々に破った。

 

  今回の転換期の場合は、2000年頃から長く政権内に食い込んで、小泉や安倍、菅を使って様々な破壊を行っている竹中平蔵がその段階に当たる。民間銀行、いや外資系金融機関の邪魔になるからと巨大な郵政を解体民営化し、一億総中流を支えた雇用慣行を破壊して自分は派遣会社パソナの会長に収まり、更にTPPも多国籍企業から指示されるまま全国数ヶ所で形ばかりのタウンミーティングを開いて現場よりも外資の都合に合わせるよう持っていきかけた途中、東日本大震災が起こってアメリカ抜きのTPPになった。当時たまたま真近で関わってきた身としては日本の地下の神が怒り震えたように思ったものだ。役人から1本電話があり、新幹線が止まったので仕方なくカラオケボックスで一泊したと言い、またいつか会う機会があったら宜しくと悔しそうに東京に帰っていった。

 

  いや、この竹中平蔵の段階はもういい。そろそろ破壊ではなく、創造を行わなければならない。「弱い企業を保護するから日本は弱くなった」としか言わず、強くする新しい知恵が必要なのに、そんなものはないと竹中は安易に見切っているが。台湾のオードリー・タンのような人物こそ、パターン的には新戦法の楠木正成や秀吉、海舟のような人と共通する。日本ではひろゆき氏かと思ったこともあったが、今日の記事で鼻を噛んだティッシュをそこらじゅうに捨てるという妻の暴露を聞いて、ああ2ちゃんねるもそんな感じだなと思ったりした。

 

  4段階目(三木武吉)の統合補佐役や5段階目(鳩山一郎)の完成の話はまた後日。