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小さなアベノマスクを図面で指示した人も本当に愚かである

  サイズが小さいと話題のアベノマスクだが、この小さなサイズは製造会社が悪い訳ではない。製造会社に図面を渡してこのサイズで作るよう指示した人はいったい誰なのか? 調べているがまだ分からない。縦横の長さ、形、耳ヒモの長さ、どれをとっても多くの人が使っているサージカルマスクとは異なる。異なると分かってて指示した人は、よほど異常で愚かである。

 

  自分の顔に試しに着用して小さいと感じなかったのか? 感じたのに強行したのか? 多額の税金をかけて?

 

  ユースビオやシマコーポレーションなどの名前も、またマスクの専門でもないし、できて間もない会社とか、ベトナムの会社、汚れや虫、国会で追及しても追及しきれず、政府も頑なだが、自宅に届いた布マスクを着用する人は自民党議員でもほとんどいない。

 

  安倍総理だけ顎先を見せて使い続ける映像はホラーである。全国民に配布する前に先行して医療機関福祉施設に届けた時点でも「小さい」と悪評だらけだったのに、その声を重視する人が官邸にいないのか? いても安倍総理聞く耳を持たないとも言えるがそんな感覚の総理なら普通にアウトだ。

 

  安倍総理もアウト、首相周辺のマスク関係者もアウト、なのに追及しきれないこともアウト。穏やかに言わず怒りを込めて「何やってんだっ!」と叱り飛ばせばいいだけで、例えばある重鎮が「安倍! もう着けるな! カッコ悪い!」と縮み上がらせるか、国民がデモで「税金の歴史的な無駄遣い」とプラカードを掲げてテレビ放映してもいい。

 

  いろいろ書いたが、それもこれも賢い誰かが国を引っ張っているのではなく、まったく逆で実際的に愚かな誰かが、官邸でもマスコミでも大勢いると思われたからである。

 

  かく言う私は手作りマスクを着用している。同じ大きさかと思ったら大小様々で、朝家を出る際に小さなサイズはすぐにキツイ、無理だとはずし、大きなサイズを着け直している。確か大きめを作るよう言ったから途中で変え、結局大小様々になったのだろう。

 

  大きめの方が周りのサージカルマスクと違和感がないし、今やマスクは鼻と顎まで隠すことが常識であり、耳も痛くならない。これらの感覚を持ち合わせていない人が各製造会社に図面で小さなマスクを指示した。安倍総理もまだ着け続けている。

 

  未来の日本の歴史漫画では高い確率で、この時代の新型コロナ騒ぎを描く際に顎先を見せた小さなマスク姿の安倍総理のキャラクターが登場する。アベノミクスの統計不正やモリカケ問題、昭恵夫人などよりもその絵が全てを象徴している。

 

 

 

安倍総理はもう実績はあげられないのか?

  スライドギャラリーの音声付きについては取り止めることにした。方法は分かったものの、パソコンではなくスマホで電車内でも公園でも閲覧できるようになった今、聞かなくても分かるようにするべきではないかと考えたからだ。

 

  可否はともかくスライドを進めながら話す機会があれば短時間の合成音声よりもそちらの方がより親切である。

 

  今後の展示する内容はおそらく歴史関係になる予定。なぜ日本史は同じパターンで繰り返すのか?  現代は循環史の中のどこか? 直線史観的には天地創造と生命誕生、そして終末についてどう考えるのか? 等々。以前、部分的にアップしたことはあったが、まだ完全に作ったことがない。特に循環史観は時間がかかると思う。

 

  さて、新型コロナで露呈したことは、今の日本政府の脆さや危なっかしさ。山口県の政治家一族出身の安倍総理は、第3代自民党総裁岸信介首相(安保改正)や第5代佐藤栄作首相(ノーベル平和賞)に負けず何か大きな実績を残そうと必死だが、改憲も経済もどうやら空回りに終わりそうである。

 

  第1次安倍政権の時は「美しい国」を連呼して世界の中の日本らしさを強調、これは第15代麻生太郎首相のオタク強調路線(ローゼンメイデンという漫画を知っていたからローゼン閣下と若者から呼ばれた)よりは上品であり、昨今のラーメン世界進出をはじめ日本文化の国際的人気を考えれば決して間違いではなかったが、大多数の余裕がない国民にそっぽを向かれてしまい、麻生政権と同じく安倍政権も野党に敗れていったん下野した。

 

  小沢一郎が影で操る民主党政権の路線は高速道路無料化や子供手当て等々に典型的な選挙民へのバラマキ(生活第一?)だったが、首相に据えた者が宇宙人鳩山由紀夫イラ菅こと菅直人、小物過ぎる野田、羽田、村山などだったこともあり、特に阪神大震災東日本大震災でトップの力量が足りず限界を露呈した。

 

  こうして第二次安倍政権が誕生すると、もう「美しい国」の連呼はやめて、今度は「アベノミクス」「三本の矢」に切り替えて経済重視を強調した。この結果については、国民の実感としては賃金も依然上がらず、デフレを退治すると言いながらモノが売れず物価も低いまま、そして中国や東南アジアの新興国からも稼げず働きたくない国と言われている現状、決して成功とは言い難い。極め付きは各種統計数字の改竄不正が露呈したことである。一部の数字に限ってではなく、日頃の安倍総理の口舌と同様、当たり前のように虚偽に満ちている。

 

  どうしてこうなったのか? アベノミクスの裏側には浜田宏一や本田悦朗、岩田規久男高橋洋一など大勢の高名な(偉そうな)経済学者たちがいる。彼らが総力を結集して閉塞した日本経済に立ち向かったのがアベノミクスであり、これで失敗は許されない。うまくいかなかったら数字を変えてでも成功していることにしなければならない。

 

  ただ完璧な経済学など実際にはない。うまくいかなければフリードマンのようにもっと自分の言うとおりにすればうまくいったとうそぶく人もいるが、日本経済の病根はもっと深刻で、少子高齢化や中国躍進などもある中、そう簡単に改善するとは誰も思っていなかったはずだ。

 

  安倍総理も何となく気付いていたが、それでもアベノミクスの連呼をやめる訳にはいかなかった。失敗を認めたくない。でもどうしたらいいか分からない。後継者もいない。そんな中で起きた新型コロナ騒ぎと東京オリンピック中止。小さくて顎先が見えるアベノマスクをつけている人は自分以外にいない裸の王様ぶり。外出自粛を求めながら昭恵夫人は花見や大分に出掛ける脇の甘さ。それを詫びもしないから呆れ夫人と呼ばれる始末。もう破れかぶれである。

 

  そもそも安倍総理はどうすれば理想の実績をあげることができたのか? それさえ済ませてさっさと後進に道を譲れば今頃は悠々自適に夫人と旅行できたろう。答はそんなに難しくない。上記のような偉そうな肩書きの人たちではなく、無名でも才能や実力のある人を認めて使えば革命はできる。アメリカやインドのコンピューター業界もそうだし、電話線工事ができないアフリカの大地で簡易な携帯端末の電波を使った決済方法を編み出したのも1人の大学生だった。

 


世界一のキャッシュレス国はケニア?!きっかけはたった一人の大学生だった!! | まんぷくニュース

 

  日本史だって過度期には百姓出身の秀吉や悪党出身の楠木正成、脱藩浪人の坂本竜馬など身分の上下を問わないこれまでの常識を覆す人材活用が見られた。逆に言えばそれをしない限り歴史は良くならず、枯れ朽ちるか滅ぼされる。

 

  最近の日本にも無名の若者による似たような事例は実はあるものの、保守的な人々によりマスコミのプロパガンダで全て無かったことにされている。それでも隠しきれないのが大阪や北海道の若い知事たちだが、彼らは当たり前のことを言ったり行ったりしているだけなのに目立つのは今までが余程だったからだろう。

 

  そう言えば毎日、橋下徹舛添要一百田尚樹などが上から目線の提言や批判をしているが、これは決して彼らが国難に立ち向かう危機感からの義賊ぶりではなく、尋常でない目立ちたがり屋であることを利用して大音量で流すことで他の声や意見、アイデアを聞こえなくしているのだろう。

 

(麒麟がくる) 信長を認めた玄人、認めない素人

  スライドギャラリーは次回音声入りにする予定だったが、以前使っていたサービスが閉鎖されていた。

 

  大河ドラマの感想を久しぶりに書く。今日のタイトルは「聖徳寺の会見」。有名な道三と信長の初対面で、会見内容の詳細はよく分からないものの、会見後に道三は息子たちの代で彼の支配下に置かれることを予言したことで知られている。

 

  ベストセラー「国盗り物語」でもこの会見は前半のハイライトで、以後、道三は信長の援助を惜しまず、自身の知識を幾度も手紙で送り続け、信長も道三の危機には捨て身で応えようとしたと描かれている。

 

  このドラマでは、会見内容については今までのドラマの延長で主に帰蝶のことが中心となったが、実際はもっと我々には思いもつかない話題があったと思う。そして、先ずは道三の方から尾張へ援軍を出したことが描かれた。

 

  振り返れば、一見ウツケを装っている信長が実は将来の天下人になるかもしれないほどの大物だと認めた人はそんなに多くない。父信秀や家臣の政秀、このドラマでは太原雪斎、そして秀吉や利家などの家来、竹千代こと若き家康、ここに美濃の蝮、斎藤道三が加わる。いったい何に気が付いたのか?

 

  その答の前に逆の場合、すなわち信長を認めなかった人を挙げれば、ドラマに何度も名前だけ出てくる清洲の織田彦五郎や、斎藤高政、重臣佐渡佐久間信盛、その先には朝倉義景足利義昭などがいる。武田信玄上杉謙信はむしろ信長を認めている側に近い。

 

  若き信長は旧来の伝統的慣習に盲従せず、馬術や水泳、相撲など実際的なことを好み、そして鉄砲の可能性に気付いて大量購入し、実力や才能がある若者は採用して使っていった。そんな道こそ、これからも混迷続く戦国時代を終わらせることができると思っていたのだ。当然、伝統に盲従する側からは反感を持たれる。

 

  同じく伝統には盲従しない私の説にも、きちんと返信を自筆で書いて送るW先生やI先生のような超大物学者もいれば、政治に活かしたA知事やH大臣のような政治家もいる。現代の「いいね」ボタンや登録ボタンを押すだけの人たちとは違う。ただ皆もう故人となってしまった。

 

  たぶん安倍総理の周りにもマトモな人は1人もいない。安倍1人がスケープゴートになって誰もが知らん顔をしているが、もし周囲にマトモな人がいれば466億円もかけて小さな役立たずのマスクを全国民に配布する前に止めている。洗えば縮むような欠点にも配布前に気付いている。つまり安倍を含め全員が実際的な知恵が欠如しており、そんな政権にはこれからも国民側があの手この手で圧を加えて気付かせるしかない。ただ、その圧さえあまり無いから終わっている。

 

  信長だって誰もに好かれたい気はないし、母親は弟を溺愛しているため、ほとんど孤立している状況の中であの美濃の蝮に好かれたというこの会見は後の桶狭間の勝利以上の強烈な出来事だったろう。

 

 

  

スライドギャラリー別館7 宮本武蔵「五輪書」も追加

日本が誇る剣豪・宮本武蔵が晩年に著した「五輪書」も似たようなパターンなので追加した。特に最後に「空の巻」を置き、「心は空なり」とその境地を究極のものとしたところに、空=天と置けば今まで出てきた「天~地~天」のパターンと同じになる。

 つまり、生涯60数回勝負をして全て勝ったという宿命(天)の持ち主に始まり、しかも敵の中には宝蔵院流の槍や鎖鎌の宍戸梅軒など剣術ではない異色の相手や、吉岡一門相手に1人で戦う「多vs1」など有名無名問わずまさに多彩な戦い。これを武蔵は「風の巻」(~風)とした。そして基礎編の「水の巻」と実戦編の「火の巻」を対置し、最初に序文の地ならしのようなものとして「地の巻」、最後に短い文章の「空の巻」で締めくくった。

 地、水、火、風、空という順番だが、このスライドの通り流れ的には今までのパターンと同じで、巌流島の最後の決闘で日本一の称号を得る。ここを加熱過程の水蒸気や湿気を意味する澤とし、天へと至る。執筆した場所は熊本の霊巌洞という地、そこから空の境地に憧れた。

 こうして武蔵も“ヒーローもの”になり、今では映画やドラマ、小説、漫画などでずっと天に輝いている。
 
 

スライドギャラリー別館6 聖書も“ヒーローもの”

 日本人には馴染みが薄い世界のベストセラー“聖書”。これもよく見れば今までのパターンと同じである。天から始まって地へ向かい、やがて天にまた帰る。ガンダムが宇宙から始まって地球へ向かい、やがて宇宙で終わることと同様に。ということは聖書も“ヒーローもの”の1つか? 確かに旧約聖書の主人公はユダヤ民族、新約聖書の主人公はイエスで、両ヒーローは八卦的には同じパターンである。

 

 順番からいえば、先に聖書があって、後に各ヒーローものがある。一説にはウルトラマンもキリストを模倣して天から地へ降りて、天に帰ったという。ドラゴンボールが世界中で受けたのも、孫悟空にイエス的な救い主の要素が見られたからだろう。
 
 と、ここまで書いてもう1つスライドを作りたくなった。当初は4作品と書いたが…。次は剣豪・宮本武蔵が晩年に著した「五輪書」。各巻のタイトルには、水の巻や火の巻、風の巻、地の巻などがあり、最後に空の巻がある。空を天と見なせば同じパターンになる。
 

スライドギャラリー別館5 ウルトラマンの天~地~天

 天から地に来て天に帰るヒーローといえば、日本ではそもそも「ウルトラマン」がいた。宇宙の彼方、M78星雲から地球に来て、最後はゾフィー隊長とともに宇宙に帰るという設定。この「天~地~天」というパターンの系譜に、ガンダムドラゴンボールも続いている。

 

 各話の共通するパターンは、まず何らかの怪獣が出て来て、いったん危機に陥るものの、主人公のハヤタがウルトラマンに変身してスペシウム光線を放って勝ち、最後にシュワッチと言って飛び去る。スライドの通りである。
 この「天~地~天」、つまり「気体~固体~気体」、冷却から加熱へと一巡するパターンのヒーローものは、遡れば更に原典がある。次回へ続く。
 

スライドギャラリー別館4ドラゴンボールも天~地~天

 次も世界的人気作品「ドラゴンボール」が同じパターンであることを見ていく。

 

 こう見てくると、最初と最後の「天」とは地上の“現実”とは違うどこかであり、確かにこの主人公も宇宙から来てはいるが、多くのヒーローものは王族の地を引く者とか天命の元に生まれた運命から始まり、宇宙とは限らない。
 ドラゴンボールも宇宙から主人公が来たので最後も宇宙編(フリーザ)で作者は終わろうとしたものの、人気があり過ぎて次は界王神のような超越した異次元を登場させたり、最近の映画作品も更に別世界の「天」が出て来たりしているので、上記スライドではどれか1つの天に絞るのをやめ、大団円で結ぶことにした。