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日韓摩擦は何故ガンダムになるのか?


 連日ネットを賑わす韓国関連のニュースだが、先日ある閃きをヤフコメに載せたところ好評だったので、ここにその補足的な考察を書く。まずは記事について。

 

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 このブログの初期にはよく「歴史の繰り返し」説を紹介していた。なぜ歴史は繰り返すのか? ユング心理学的な説明だと深層意識のせいになるが、前の基になる段階の状況がまずあり、過去に似たような流れがあると、知らず知らず次段階の選択が過去に似たような展開になると考える。この話を応用すると、日韓問題は「機動戦士ガンダム」のストーリーが両国の中年世代の深層意識に潜在しているからとなる。

 

 つまり、ガンダムで有名な「地球の重力に魂を引かれるな」というスペースノイドのセリフが、韓国では親日を糾弾する時に使われ(日本でも東京の女性と結婚した大阪出身の芸能人を関西人が非難する時に使う)、文在寅が大統領選挙で「南北統一」を叫んだ時、これは朝鮮民族の東西冷戦体制からの独立とイコールになったのである。

 

 そこから韓国はガンダムのジオン独立戦争の展開に近づいていく。慰安婦像や徴用工像の大量生産は、当事者たちの意図は別にあれど、潜在意識ではジオンの量産型ザクに重なり、あの地味な色、弱々しさ、数による圧倒などが妙に符合することになる。

 

 その基段階の次段階の選択として日本は、連邦軍の極秘作戦、ホワイト、3という数字を知らず知らず選び、7月の反撃という形になった。G ソミアという名称も、GアーマーやGスカイ、Gブルなどに近過ぎる偶然だが、非常に印象強いものになった。

 

 そして不買運動のボードとソーラパネルの一致だが、これも補足すると旭日旗への韓国人の妙なこだわりが、ガンダムでのソーラ攻撃の応酬と重なる。「あれは、憎しみの光だ」と。

 

 最後に10月を1年戦争の最終月と予想した件だが、これはまだ分からない。レーダー照射はもう少し後だったし、ホワイト除外が7月だったのを考えると、11月から12月にかけてかもしれない。ただガンダムの話は52話の予定が視聴率が振るわず43話で終わったので、1年戦争といえどもう少し短い可能性もある。

 

 いずれにせよ、出し尽くした感のある文政権にもはや使えるカードはないと言われ、サムスン他財閥企業も青息吐息、高純度フッ化水素もまだなく、ウォン暴落も近い。裕福な層や有能な若者はすでに海外へ脱出し、ネットには「韓国は滅びるのですか?」と書かれる始末。世界からも出場を棄権しただけの世界的プレーヤー、クリロナへの執拗な中傷や中国サッカー大会で優勝カップを踏みつけたり、東京五輪への科学的根拠に乏しい放射能攻撃など異常性が広く知れ渡ってしまった。

 

 大逆転の芽はないと思われ、親韓的だった新聞や学者も見放し始めた。ジオン公国の場合は、連邦と早期に和睦しようとした父デギンを息子ギレンが殺し、それを妹のキシリアが父殺しの大義名分から殺し、ザビ家の血統を残すためと言って自分だけ脱出しようとすると、シャアが自ら大砲で殺すというゴタゴタぶりだった。

 

 もし韓国政府の潜在意識にそれが残っていれば、予想される今後の展開は、夏に少し折れかけたようにムン大統領が通貨スワップなどが関連して水面下で日米に降ろうとし、それを知った強情な側近がこの話をある形で流れさせてムン失脚、そこへキシリアならぬ康京和がムンの弔い合戦の旗を挙げるも失敗、という感じになる。

 

 ただ上記ガンダムの話を日韓両国がよく知って、意識の方へ上げて潜在意識ではないようにすれば、この展開もなくなる。

 

組織は腐る?

 組織の全てが悪いわけではない。良い組織、あるいは良い組織のトップとは、末端の構成員の困っていることを助けてくれるようにできている。前の悪いトップと代わって今度のトップは良いと言われる場合はそうだ。

 

 しかし、良いトップには良い幹部や側近が必要なはずが、悪い幹部や側近には当然悪いトップの方が良く、良いトップは困る。

 

 なぜなら悪い幹部や側近は立場上賄賂を受け取ったり汚れ役を担うことが多く、清廉潔白なトップとは合わないからである。もし良いトップが厳しく口出しが多いと、悪い幹部や側近は排除に動くこともある。

 

 ただ、悪いトップと悪い幹部のままでは、組織の末端はやってられない。ブラックな職場を理由に退職したり、居続けても好き勝手なことをやったりする。

 

 理想なのは、良い組織と良い現場なのだが、政治の世界では腐敗防止のために定期的な選挙がいちおうある。また役人にも民間より厳しいルールがある。選挙が機能していない国、検索すればすぐ分かるがロシアや中国などは腐敗が深刻な問題になっている。

 

 日本でも依然ブラック企業の問題は大きい。賄賂や不正にも頭は使っているが、良いアイデアを絞り出す大脳新皮質の部分ではなく、むしろ欲や見栄に関わる部分の方であり、人間など高等的な動物ではなく、下等な生き物に近くなる。深海魚のようなブラック企業もある。大きな口、鋭い歯、小さな目、小さな脳、アンバランスな形。

 

 まだ調べ方が甘いのかもしれないが、これはという組織、人物、思想、知恵、教養にいまだ出会わない。真逆のものの方が多い。もう少し時間が必要なのかもしれない。腐敗と反乱、鎮圧の失敗、混乱の拡大、そんな中から何か出てくるのだろう。何も出て来ないかもしれないが、身体でもばい菌と白血球との戦いがあり、人は栄養をとり、消毒をする。

 

 

旧弊打破の功罪

  今年の大河ドラマ「いだてん」には様々な“反対派”が登場する。初期にはスポーツの普及そのものに反対する人、次にオリンピック参加に反対する人、そして女子スポーツの普及に反対する人、さらに日本でオリンピックを開催することに反対する人。彼ら反対派にも言い分はあり、日本人にはまだ早い、体格が違いすぎる、女子には子を産み育てる役割がある、等。しかし結局は反対派は敗れ、嘉納治五郎田畑政治が勝っていくという筋書きである。

 

  ここまではメインサイトに今日書いた話で、続きはここに書く。

 

  新しい取り組みに反対する人々は旧来の伝統に基づいた思考で出る杭を潰そうとする。実際、潰された杭は数多い。「いだてん」の場合、欧米の先行例を追う形なので潰されにくく、また試合での勝利や熱狂の後押し、嘉納治五郎そのものがレジェンドだったりと条件が良い。

 

  一方、現代日本はという話に移る前に話題の韓国を書く。あちらも旧弊打破を題目に財閥副会長を逮捕したり保守派を粛正したり、親日派を一掃したりといろいろ聞くが、代替するものがしっかりしていない。財閥に代わる何か、左遷した役人に代わる誰か、親日に代わる親北としても具体的な政治ビジョンがない。

 

  韓国は感情的とよく聞くが、むしろ大脳新皮質による「もし~れば、~する」をフル活用しないので、GーSOMIAを破棄したり不買運動で自分の首を絞めたりする。将棋で言えば目の前の歩を取り合うだけのヘボ将棋になる。これらは以前の日本の野党政権も同じだ。韓国イコールヘボ将棋が真実なら、その結果は王将の孤立と詰みである。

 

  諸問題が解決しない原因を旧弊に求めること自体は間違っていないが、旧弊に代わる仕組みや人材について、大脳新皮質をフル活用して取り組むことを前提に、旧弊を改めていく。逆に言えば代替するものがなければ安直に旧弊を破壊してはならない。

 

  

    

昭和から平成への老衰、令和はシーラカンスになっていくのか

池上彰氏の番組によると、平成の30年間とは大きな事件や事故が起きては再発防止のために法律をつくる繰り返しだった。これは昭和の63年間とは異なる。

 

山本七平氏は昭和を15年周期で解説し、それぞれ“青年”、“壮年”、“老年”と分類していた。このブログでも紹介し、最後の老年をどう見るかについては否定的意見もあるが、今になって振り返れば、池上彰氏の見立てに沿って、病気や怪我で全身治療中の姿があてはまっている。

昭和の15年周期説 - 賢者のつもり

1915年から1930年までが「大正デモクラシーの時代」

1930年から1945年までが「軍国主義の時代」

1945年から1960年までが「戦後民主主義の時代」

1960年から1975年までが「高度成長の時代」

1975年から1990年までが「低成長の時代」

 

 さて、1990年から2020年までの平成30年間に、年老いた身体で無理をしては大事件や大事故に対症療法で対応してきた日本だが(各事件事故は平成事件事故で検索)、令和になっても同じなのだろうか?

 

 前回までの話の続きで、五段活用の仮定形「え」に着目して、例えば「もし少子化がなくなった未来の日本はどうなっているか?」と、大脳新皮質を活発にしてみよう。同じく「もし日韓問題も尖閣問題もなくなっていると」「もし財政問題が解決して老後が安心できると」など。

 

 実際、ある地域では多産化に成功していたり、ある国々は仲良くやっていたりという例があり、絶対に不可能ではない。妨げているのは五段活用の命令形「お」の中にある間違った命令や、未然形「あ」の中にある消極性や禁止事項だったりする。

 

 それらを真摯に取り除いて、仮定形「え」をさらに実現可能な計画に組み立て、連用形「い」で協力しあい、終止形「う」を実現し、新しい命令形「お」の組織につくりかえれば良いのである。

 

 現状は息絶え絶えでも旧来の「お」の継続にこだわって、事件や事故のたびに「あ」で対処するのみ。お年寄りが外へ出て怪我をしたから外へ出るなというのは極論だが、楽しみが減って息苦しさが増す状況は同じである。

 

  大戦後、上陸したマッカーサーが強引に公職追放を行って旧来の老害を一掃した直後から、有能な若手が次々と台頭して日本は短期間で息を吹き返した。白州次郎や池田隼人、三島由紀夫、伊深大、松下幸之助など、それなりの人材が輩出したのは「お」を切り替えようとしたからである。

 

  しかし現代は、医療技術の進歩もあって多数の老害が健在で、心配症なのは悪くはないが、呆けた頭でまだ新企画「え」を行おうとする。だから若手の「え」の企画力がある者は老害寄りの取り巻きから邪魔者扱いされて排除され、今や世界最悪の消極的職場環境と呼ばれるまでに至った。

 

  大脳新皮質「え」がない、意識「い」も低い、「お」中心の、となると、イメージされる生き物は深海魚である。過酷な深海という環境に適応すべく、目は衰え、口はがめついまでに大きく、歯は鋭く、全身は奇怪な形で・・、ブラック企業も同様に奇怪な深海魚にそっくりである。

 

  平成30年間の老衰のまま継続するなら、深海の古代魚シーラカンスのような生きた化石になっていくのだろう。

 

 

 

 

 

新五段活用案と信長、秀吉、家康

 前回の総論の後、今回から各論に入る。詳細はメインサイト「5素サイクル」のブログに書く予定で、ここサブサイトではコラム的に好き勝手なことを書いていきたい。

 

 で、選んだ題材は人気の戦国時代。なんと、五段活用の「え」仮定形が織田信長、「い」連用形が豊臣秀吉、「う」終止連体形が徳川家康になる。

 

 まずは室町時代末期の日本中が大混乱を極めた戦国時代から、いかに安定した江戸時代に変わっていったのか? 誰しも一度は聞いたことがあるフレーズ、「織田がつき、羽柴がこねし天下餅、うまうま食うは徳川」に沿えば、織田信長天下布武を掲げて平らげていくも本能寺の変により道半ばで倒れ、家臣の羽柴秀吉が天下統一事業を引き継いだ。しかし秀吉の死後は後継の秀頼が若過ぎて安定せず、徳川家康江戸幕府を開いて完成させた。

 

 次にこれを五段活用で言い換える。戦国時代の尾張守護代織田信秀の嫡男に生まれた吉法師は、若い頃から野駆けや水練、相撲、時にはウツケと呼ばれるほどの奇行をしつつ、眼力のある人には「ただ者ではない」と恐れられたりしていた。いったい若い信長が本当は何をしていたのか? 現代でも高層マンションのかなり上に住んで育った子供は地面の感触や草木、虫などに一切触れずにいるので知能面で問題が多いと言われる。その逆なのだ。信長はいろいろジカに試しながら大脳新皮質を賢くしていった。仮定形「え」のように、こうすればああなる、そうすればこうなる、といった基本プログラムを作っていったのだ。

 

 これが活きた集大成が「桶狭間の戦い」。ウツケと信じて尾張に乗り込んだ今川義元を自国内の危険地帯である狭間に誘い込み、大雨という悪天候に乗じて短時間で接近し、見事に次期将軍候補と呼ばれた敵の首をとって勝利した。ここまではE1(えのレベル1)である。

 

 ただその後の信長は一切バクチのような合戦には打って出ず、大軍で包囲して勝つ安定的な方向を徹底している。それでも新たな問題は次々と出てくる。国内に上陸してきた南蛮人や宣教師、鉄砲、仏教勢力の一揆も侮りがたい。旧くなった室町幕府をどうするか。ここで信長はE2に進み、仮定形(~すればどうなるか?)をしきりに考えていく。そして方面軍を編成して勝家を北陸に、一益を関東に、秀吉を山陽に、などと派遣したり(四国は長秀、畿内は光秀、東海は家康)、茶器に高い価値をつけたり、天守閣をもつ城を築いたり、と“模索”していく。そんな中、実際的なE3に進化した成功例が鉄砲戦術による長篠での勝利であり、失敗例が隙を突かれた本能寺の変ということになる。

 

 連用形は秀吉。彼は幼い頃からまさに戦国の犠牲と言え、実父の弥右衛門を合戦で亡くし、養父の竹阿弥と喧嘩して家出し、職を転々としつつ放浪し、時には蜂須賀党に属したりした。これらがI1(アイワン)。前回I2はインスピレーションと言ったが、織田家仕官後に太閤記でも有名な墨俣一夜城や金ケ崎撤退戦など様々なアイデアで昇進していく。

 

 そしてI3とは、アイデアが大衆ウケするイベント主催者としての秀吉となる。醍醐の花見や北野の茶会、辞世の“なにわの夢も、夢のまた夢”も同様。

 

 最後に終止形の家康。三河松平氏の出で幼少期は他国での人質生活、次に今川軍の部隊、次に織田軍の部隊、と与えられた職務を全うするだけの前半生だった。これがU1。次に関東全土を与えられて武門以外にも灌漑や交通など町づくり全体を全うするU2。最後は周囲に力ある大名がいなくなって自身が日本一国を与えられた形になって幕府を開くU3へと進む。U3になると、命令形の組織O3を徹底して、3代目の家光になって武家諸法渡を制定して完成する。

 

 O3はやがて、制度疲労を起こしA(未然形)となれば、従わない、拒否する、と群雄割拠や雄藩連合などへと続く。

 

 現代はどうなのか? 米ソ東西冷戦崩壊直後は、押さえがなくなったからか中東でアルカイダイスラム国が暴れたりし、東西対立が米中対立に変わりつつある今は日韓関係の摩擦が大きくなってきた。

 

状態レベルの五段活用式記述法(試案)

 新しいパラダイムがあると、従来は難しかったことが易しくなったり、従来は起こりがちだった悪いことが起こりにくくなる。

 

 方向性をそんな所に置きつつ、新パラダイムのベースは日本語の五段活用の完璧性に依拠し決して突飛なものにはいかないよう注意する。

 

 未然(あ)、連用(い)、終止連体(う)、仮定(え)、命令(お)。これらが人間の各部位に相当するのだが、それは後述するとして、まずは未然形から始めよう。

 

 「A0」とは、未然形がゼロなのでイコール然。蓋然的という言葉はある。1つ度数を上げた「A1」になると、「動かない」「見ない」などの初動的な動詞の未然形であり、「A2」だと、「戦わない」「考えない」などの高等な動詞の未然形である。そして「A3」になると、「絶対に戦わず平和を訴える」や「絶対に疑わず信じぬく」などにレベルが上がる。A0からA3へ上がるごとに自我が強くなっていく。

 

 次に「E0」は、仮定形がゼロなので“もし~れば”がない。「E1」になると、入口の高さが低ければかがんで入るとか、眩しければ目を細めるのような初歩的な仮定形で制御する。関与するのは大脳新皮質の部分である。「E2」だと、“もし~になればどうしよう?”というように心配したり迷う。迷うことは良くないことと思うかもしれないが、一歩成長しレベルが上がった証拠である。そして「E3」になると、“もし~になれば、~だからこうする”というようにもう一段上がった現時点で出来得る裏付けのある制御を行う。

 

 同様な方法で「I0」アイのゼロは意識なし。「I1」はいろいろ直感する。見て思ったり、動いて感じたりする。「I2」は直感ではなく霊感、インスピレーションを閃く。ただしくだらないものも多い。「I3」は素晴らしいアイデア、つまり直感と霊感の一致。

 

 4つめの「U0」は動詞ゼロ。「U1」は“持つ”、“食べる”等の初歩的な動詞。身体の各器官が相当する。「U2」は“治める”、“まとめる”等の高等な動詞。そして「U3」は、良く治める、イコール具体的に暮らしが良かったりする。U3の政治家とは、竈(かまど)の煙が少ないことからしばらく徴税を見合わせた仁徳天皇を思い出す。現代はどうだろう。

 

 こうして終止形が落ち着くと命令形になる。まず「O0」は命令がない。誰も命令されない。次に「O1」は“あれをして”のように簡易な頼み事をする。そして「O2」は“あれをいつまでにしろ”というように少しきつめになる。最後に「O3」になると、“毎日あれを何回しろ”というようにもっと強くなる。こうなると組織である。宗教組織や法人組織。あれとは対象である。

 

 組織の下層では、命令通りにする人もいれば、A1のように追いつかない人もおり、さらにA2のように自主的に従わない人もいれば、A3のように反撃する人もいる。そしてE2やE3のように大脳新皮質で反組織に向かう人もいる。

 

 アルファベットと数字の組み合わせで多少は使えるようになるのではと思うが、まだ出荷できるものではない。これらをサイバネティックスモデルで説明するスライドはメインサイトで公開予定。

 

 モデルなしで平易に書いたこの記事で読者が何か閃くのは大いに結構である。

 

自制心と自我の二面性

  日本語の五段活用の1つ、未然形と自我との関係について。

 

  例えば「する」という動詞を主我で行うなら、逆の「しない」は客我である。

 

  また、「考える」という動詞を客我で行うなら、逆の「考えない」は主我のままである。

 

  このように、動詞の終止形と未然形とは自我が表と裏の関係になる。

 

  ここで自制心に話題を移すと、行ってはいけないことを徹底する場合は自我に表と裏とがあることに注意しなければならない。

 

  自制心がない人は、主我と客我、本音と建前との区別ができていないことである。

 

参考

https://twincybersystem.wordpress.com/

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